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北京の「Li-Pi Records」が銀座・単向街書店で歩む”レコード音楽の前線”(Tomoko Cole)

取材・構成・テキスト/コール智子 写真/谷川慶典

海外からの観光客が行きかう東京・銀座のはずれに、アジアをテーマにした書店がある。
「単向街書店」――。英語名は"One way Street"。20世紀の思想家ヴァルター・ベンヤミンの著作『一方通行路』が、その名の由来と聞けば、本好きはグッと来るかもしれない。

銀座一丁目に2023年7月オープンした単向街書店

単向街書店は、北京、杭州などに8店舗の書店を展開する中国のクリエイティブ・グループ「単向空間」の海外1号店だ。
「書籍を通じて文化的・潜在的なイメージや偏見を打ち破ること」というモットーが示す通り、中国語(簡体字・繁体字)、日本語、韓国語、英語など多言語の書籍・雑誌が並ぶ店内を歩めばラディカルなセンスが気持ちよく刺さってくる。
中国茶器などの雑貨やアート作品が店内に賑わいを添え、突き当りには小さなカフェコーナーも。まるで店自体が一つの街路のよう。「旅するように」アジア世界の文化と出会える場所だ。

そんな書店の中央で、ひときわ存在感を放つのが、上階へと繋がる竜の背骨のような螺旋(らせん)階段である。

街路のような1階から、螺旋階段に導かれて2階へ

「自由な対話と多様なコミュニティの空間」と銘打った2階のスペースでは、中国や日本の作家、アーティスト、実業家などを招いて、毎週のようにトークショーやライブなどのイベントが開かれている。

2階からのこの眺めが好きだ

単向街書店2階の数あるイベントの中でも、イチ推ししたいのが「文学(本)」と「音楽(レコード)」が融合した「レコード・バー」。毎月恒例のイベントだ。北京で15年の歴史を持つレコード店「Li-Pi Records」(ライパイ・レコード)が主催している。

DJは、Li-Pi Records創始者の馬遲(マチ)さん。司会進行と通訳は、馬遲さんの公私にわたるパートナーで日・中両語を自在に使いこなす「葉子(ヨウコ)」こと張葉さんが担当する。

葉子さん(左)と馬遲さん

8月のレコード・バーでは、パリ・オリンピックにちなんでフランスのさまざまな時代・ジャンルのレコードを流しながら、ヴェルレーヌの詩やマルグリット・デュラスの小説などの朗読が行われた。

フランスをテーマにした8月のレコード・バー
写真提供:莱蒎黑胶唱片(Li-Pi Records)

そして9月、「ロングバケーション」と題してシティポップをテーマにしたレコード・バーが開催された。

「シティポップ」と2つの「ロンバケ」

シティポップとは何か。一般的には、1970年代後半~80年代にアメリカのポップスから影響を受けて日本で流行した“都会的”で”洗練”された一部のニューミュージックを指すらしい。が、明確な定義は無さそうだ。

「シティポップ」感あふれるフライヤー

日本のシティポップが海外で再評価される中、中国でも音楽好きの間で、その注目度が高まっている。
私がシティポップのリバイバルを実感したのは、友人の中国人男性がお茶の水のレコード店で”発掘”した70年代の女性シンガーの中古レコードからだった。ポスト高度経済成長期の日本と現在の中国には、どこか似た空気が漂っているのだろうか。

9月のレコード・バーのイベント名「ロングバケーション」が、1981年の大滝詠一の名盤『A LONG VACATION』から来ていることは、言うまでもない。
が、そこには、もう一つの「ロンバケ」に対する馬遲さんの熱い思いも込められている。木村拓哉と山口智子が主演し社会現象にもなった、1996年の同名の人気TVドラマである。日本のドラマを観て育ったという馬遲さんは、キムタクの代表作は、ほぼチェック済とか。現在の韓流ドラマのように、日本のドラマがアジアを熱狂させた時代もあったのだ。

単向街書店2階の「Li-Pi Recordsコーナー」の前で
談笑する馬遲さん

そんな馬遲さんが、北京から東京に生活拠点を移して2年半が過ぎた。
馬遲さんの「日本」観の根底に、1990年代のTVドラマに描かれた都市生活者の夢があるのだとしたら、今回の「シティポップ」イベントは、日本の「現実」を知り始めた彼にとって一つのアニバーサリーのような意味があったのかもしれない。

二人の「東京ラブストーリー」

馬遲さんと葉子さん夫婦のなれそめを馬遲さんは、はにかみながらも「東京ラブストーリー」という言葉で表現する。鈴木保奈美と織田裕二主演による1991年のTVドラマの題名だ。

単向街書店1階で、本に囲まれた二人

2018年春、早稲田大学大学院を目指して来日した葉子さんは、北京にいる馬遲さんに誕生日プレゼントとして東京行の航空券を送った。東京で互いの気持ちを確め合い、恋人同士となった二人。
しかし2020年、コロナ禍で国境が閉ざされる。
さらに、中国政府のゼロコロナ政策による厳しいロックダウンで、馬遲さん経営のLi-Pi Recordsは4店舗中1店舗のみを残して閉店に追い込まれた。
1年2カ月にもわたる会えない日々を二人は毎日のビデオ通話で乗り越え、その間、馬遲さんは東京で葉子さんと暮らすことを決意。Li-Pi Recordsの経営体制を整えながら、東京移住への準備を進めていった。
2022年春、早大大学院を卒業し、東京の著作権エージェンシーで働き始めた葉子さんに、来日した馬遲さんがプロポーズ。二人の東京での生活がスタートする――。

以上が”東京編”のあらすじである。
前編の“北京編”については割愛するが、夕暮れ時の北京の柳が印象的な二人の恋のはじまりは、現代の漢詩のような美しさだったことを書き添えておく。

「私たちの善意と勇気を表明したい」

想い出はモノクローム 色を点けてくれ

大滝詠一「君は天然色」

単向街書店の「ロングバケーション」イベントを3日後に控えた9月18日、中国・深圳で信じられないような痛ましい事件が起きた。
日本人の父と中国人の母を持ち日本語学校に通う10歳の男児が、通学中に校門の近くで刃物を持った男に襲われ、亡くなったのだ。

母親の目前で無抵抗の子どもが何度も執拗に刺されて殺害されたことに、私は何も手につかなくなるほどのショックを受け、涙が止まらなかった。怒りと悲しみ、そして悔しさ。さらに、これから起こりうることを考えると不安と恐怖で圧し潰されそうになった。
日本人の私ですらそうなのだから、日本で暮らす中国人である馬遲さんと葉子さんの気持ちは如何ばかりだったろうか。

「シティポップ」の都会的な恋の駆け引きが彩る夢の世界と、あまりにもかけ離れた、残虐で不条理でヘイトに満ちた現実の世界。
心の折り合いがつけられないまま単向街書店の「シティポップ」イベントへと向かったものの、地下鉄銀座線の電車の中、私は顔を上げる気力すら無く、溜息だけで呼吸をしていたと思う。

9月の連休初日のこの日、単向街書店2階の会場に集まった客は20人ほど。
8月のレコード・バーでは、私以外の客は全員中国人で「(パリ・オリンピックの)卓球決勝戦の中継、本当に観なくていいの?」と冗談を言い合ったものだが、この日は驚いたことに、ほぼ半数が日本人だった。
第二外国語で中国語を選択しているという女子学生のグループや、華流ドラマのファンで中国語を独学中という夫婦、「通りすがりになんとなく」というシティポップ好きの男性もいた。

夏のバカンスを思わせる波の音をBGMに、この日のレコード・バーは馬遲さんの中国語のスピーチから始まった。

以下は葉子さんの日本語通訳をもとにした大意だ。日本で暮らす一人の中国人の言葉として書いておきたい。

既にニュースでご存じかもしれませんが、数日前、とても恐ろしい事件が起きました。このような暴力は、時代や場所や規模や形を変えて、今この瞬間も世界のあちこちで起きています。とても悲しいことです。

しかし、だからといって、今日の音楽は重苦しいものではありません。むしろ逆です。このような暴力に対して、書店という場所が持つ強いパワー、そして軽やかな言葉とロマンティックなメロディーで、私たちの善意と勇気を表明したいと思います。

私たちは本を読み、音楽を聴きます。そこには、いろんな気持ち、いろんな味、そして、いろんな色彩があります。色は白と黒の2つだけではありません。今夜はカラフルな世界をともに楽しみましょう。

私は世界のいろんな場所を旅して、今は東京にいます。2年かけて日本語を勉強し、やっと日本語の文章が読めるようになったところです。幼い子どもが少しずつ成長するように。宮崎駿さんのアニメの日本語も全部とはいえませんが、半分はわかるようになりました。彼の作品からは、いつも日本文化の豊かさと生命力を感じます。

故郷から遠く離れた日本で、美しいメロディーやリズムとともに、夏の夜のすばらしいひとときを皆さんと一緒に楽しみたいと思います。
日本はお寿司も麻婆豆腐も美味しい。故郷のジャガイモ料理の味も恋しいけど。

Don‘t worry. Be Happy!  
一緒にロングバケーションを楽しみましょう。 

―馬遲―

Li-Pi Records流「シティポップ」の夜

TVドラマ『ロングバケーション』のサントラ盤から、Anna McMurphyの「Long Vacation」で9月のレコード・バーは幕を開けた。
40年前(1984年)のちょうどこの日にリリースされた大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」、シティポップが世界的に注目される発端となった竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」のカバー、小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」(TVドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌)を香港の俳優イーキン・チェンが広東語で歌った「廿世紀的戀人們」など約30曲が「シティポップ」ナイトを彩った。

レコードプレーヤーは元エンジニアの馬遲さん自作

以下は、この夜のプレイリストから馬遲さんに選んでもらった特におすすめの3枚だ。
共通するのは、いずれも2020年代にリリースされたアルバムだということ。日本と中国のシティポップの「現在」を伝えたい、レコード文化を若い世代に繋げたい、という馬遲さんの思いが伝わってくるセレクトだ。

・伍嘉成(ウー・ジアチェン)『無名島』(2020年)

アーティストは1990年代生まれ。
これぞ現代中国のシティポップ


・李行亮(リー・ハンリャン)『悠長假期(ロングバケーション)』(2020年)

イラストは大滝詠一『A LONG VACATION』の
永井博!


・GOOD BYE APRIL『swing in the dark』(2022年)

薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」カバーなど。
現代の日本のバンドによる新感覚のシティポップ

レコードで世界の「場所」と繋がる

これまで韓国や米国ロサンゼルスなど世界を旅しながら、現地のローカルなレコード文化と繋がってきたという馬遲さん。
彼は今、言葉も習慣もビジネスのやり方も、そして、馬遲さん自身の言葉によると「人間や音楽に対する認識も異なる」日本で、これまでに無かったレコード店としての新しい可能性を模索している最中だ。

単向街書店のレコード・バーは、そんなLi-Pi Recordsの「実験」ともいえるだろう。その核には「こんなレコードショップがあったらいいな」という馬遲さんと葉子さんの素朴な思いがある。

その一つが「文学(本)」と「音楽(レコード)」の融合だ。
「本屋で、本を読む気分でレコードを聞いたり探したりする。文学の感覚と物語る内容の気分で音楽を楽しむ。それっておもしろいと思うんです」と馬遲さん。
「例えば、『ノルウェイの森』を読んだらどんな曲を聴きたくなるかな、って思いながら僕はレコードを回す。逆にレコード・バーで音楽を聴いたお客さんが、そのときの気分で何読もうかな、と本を探すこともあるかもしれませんね」

中国語と日本語で朗読する葉子さん

一方でレコード・バーのテーマに沿って文学作品を選び、会場での朗読を通して文学と音楽の出会いを創り出すのは、葉子さんの仕事だ。

レコード・バーの朗読は、希望すれば誰でも参加できる。言葉は自分で準備しても、葉子さん持参の本から選んでもいい。自作の詩や文章も大歓迎。ジャンルや使用言語も自由だ。

日本語ラップのレコード×古代の中国詩の朗読

中国では唐の時代、詩は歌うために作られ、音楽として理解されていたという。
この夜は「ロングバケーション」や「シティポップ」の世界観を意識して「夏の思い出」や「恋」をテーマにした中国語や日本語の朗読が、馬遲さんセレクトの音楽と混じり合った。

華流ドラマで知った愛の詩を読む日本人の女性

音楽と文学だけに限らず、映画や美術や漫画など異なる分野を融合したイベントを作りたい――。それは葉子さんがずっと温めてきたアイデアだ。
「出会うことで互いに触発し合い、さらに新しい可能性やストーリーが生まれる。そういう瞬間を大事にしたいんです」

レコードを聴きながら読書を楽しむ中国人の男性
中国茶をお供に勉強する日本人学生たち

レコード・バーには、もう一つの”目玉”がある。テーマに沿った即興のオリジナル・カクテルだ。
この日は、新疆ウイグル出身の于家璇(ウ・カセン)さんがバーテンダーとして参加。飲食店経験が豊富で、独特な美的センスを持つ于さんは、味の好みや「今の気持ち」などを伝えると、即興でその人にピッタリのカクテルを作ってくれる。
ちなみに、于さんは東京芸大音楽研究科の研究生。「個人体験を強調し、平等で流動的な空間を創出する試み」として、書店を舞台に自らのアートを探求しているそうだ。

バーテンダーの于さん

お酒が飲めない人は1階のカフェスペースでコーヒーや中国茶もオーダーできる。古書店街・神保町のカレー文化を単向街書店風に”解釈”したキーマカレー、そしてオリジナルレシピのバスクケーキも人気だ。

葉子さんは言う。
「北京にはレコード店を併設したライブハウスのような賑やかな場所はあるんですが、日本のジャズ・バーやロック・バーのように、落ち着いた雰囲気の中でお酒やコーヒーを楽しみながら、レコードの世界に浸るような文化は私が知る限りありません」

東京という都市に、馬遲さんと葉子さんは、どんな未来を描いているのだろうか。
「まずはレコードという素材を媒介に、さまざまな場所と繋がってDJイベントを企画したいですね。東京だけでなく日本中のおもしろい本屋、素敵なカフェやバーと友達になりたいんです」
興味を持った方は、Li-Pi Recordsにコンタクトしてほしい。

「シティーポップ」イベント最後の曲は宇多田ヒカルの「Automatic」。
「皆さん、踊りませんか」と葉子さんが声を掛け、会場のダンスの輪に馬遲さんも加わる。

この温かくて幸せな瞬間が、いつまでも続いてほしい――その場にいた全員が心からそう思っていることが伝わってきて、私は踊りながら、ちょっと涙ぐんでしまった。

お揃いのピンクを着た葉子さんと馬遲さん

馬遲さんとLi-Piと葉子さんのこと

最後に、馬遲さんとLi-Pi Records、葉子さんのことをプロフィール代わりにもう少し紹介しておきたい。

馬遲さんは中国東北部の撫順出身。その昔、「満州」と呼ばれた地域の一部だ。ガイドブックによると、撫順は中国有数の石炭の産出地として知られ、満鉄(南満州鉄道)を支える財源となっていたようだ。
さらにガイドブックのページをめくった私は、撫順で1932年に旧日本軍による住民の大虐殺があったことを初めて知った。そんなことも知らずに馬遲さんに撫順のことを無邪気に質問していたなんて……我ながら愕然としてしまった。

馬遲さんは幼いころから音楽が好きで、14歳の時、ジョン・デンバーに憧れてギターを始めた。そして、16歳でセックスピストルズに出会う。
北京航空航天大学に進学し、航空機の設計を学ぶ傍ら、馬遲さんはパンクバンドを結成。バンドでは、ボーカルとリードギターを担当した。

大の映画ファンでもある馬遲さんは、北京航空航天大学の正面にある映画専門の大学、北京電影学院の講義にもしょっちゅう潜り込んでいたようだ。
敬愛する映画監督は「岩井俊二」と即答。ほかに、ジャン=ピエール・ジュネ監督の『アメリ』、中国の婁燁(ロウ・イエ)監督の『天安門、恋人たち』、そして王家衛(ウォン・カーウェイ)の全作品が好きだという。「シティポップ」イベントの数日後には「中国映画のことをもっと知ってほしい」と新宿の映画館で上映中だった姜文(チアン・ウェン)監督の名作『太陽の少年[4Kレストア完全版]』に私を招待してくれた。
単向街書店の「レコード・バー」でも時々、馬遲さん自作の動画がDJの背景に流れている。

大学卒業後、馬遲さんは航空機のプロペラを作るエンジニアとなり、2000年代初頭には日本企業との共同開発で映画撮影のための無人ヘリを作るプロジェクトに2年間従事した。いわゆる「ドローン」だ。
そして、プロジェクト終了後、馬遲さんは半年の休暇を利用して、学生時代に買い集めたレコードコレクションの一部を売ることを思いつく。新しいレコードを買う資金の一部になれば、ぐらいの軽い気持ちで。

品揃えは馬遲さんセレクトのパンクやロック。まるで自分の部屋の延長のように、学生時代の友達がたむろする”ゆるい”店。ところが、たまたま訪れた客に「ジャズは?」「クラシック音楽は?」と聞かれ、勉強熱心な馬遲さんは他ジャンルも買い集めて聴くようになった。
レコードの枚数は減るどころか、どんどん膨らんでいき、馬遲さんは、ますますレコードの”沼”にはまっていく。

そして2009年、ついに馬遲さんは北京の798芸術区に小さなスペースを借り、レコード販売を本格化させる。Li-Pi Recordsの誕生である。

2009年、Li-Pi Records開店当時の馬遲さん
写真提供:莱蒎黑胶唱片(Li-Pi Records)

798芸術区は、もとは冷戦時代に旧東ドイツの出資で建設された工場群の跡地だった。現在はすっかり観光地化しているが、当時はアトリエを持てない若い芸術家たちが集うシェア・スペースだったという。

オープン直後のLi-Pi Records。右側が入口。
五星紅旗の前に立つ米塑(米粉を練った工芸品)の
毛沢東像はアイロニックな芸術作品だ
写真提供:莱蒎黑胶唱片(Li-Pi Records)
開店当時は約30平方mの小さなスペースだった
写真提供:莱蒎黑胶唱片(Li-Pi Records)

ちなみに「Li-Pi」(ライパイ)という店名はHi-Fi(高再現性を意味するHigh Fidelityの略語)とレコードのLP (Long Play)をもじったもの。
馬遲さんによると、Li-Pi Recordsの開店当時、MP3を用いたデジタル海賊版の跋扈(ばっこ)によりレコード業界は壊滅的な打撃を受け、アメリカをはじめ世界中でレコードストアの倒産が相次いでいた。
「そうした中で全世界的にレコードストアを支援する運動が起こり、中国でも一部の音楽好きの間でユーズドのレコードに注目が集まっていたんです」

なぜ、レコードにこだわるのか。馬遲さんは元エンジニアの観点から「録音時の”環境”の再現性」について説明してくれた。周波数の話は難しかったけど、馬遲さんの次の言葉は私にも理解できた。

「演奏者の呼吸や、そこに吹いている風や、その瞬間を伝えることが大事だと思うんです。その場の“空気感”というか。それが音に“厚み”をもたらすんです」
「あと、ビデオ電話があっても対面で話す瞬間にはかなわない、というような感覚的なものもありますね」。それも、わかる気がする。

現在のLi-Pi Records本店(北京798芸術区)。
日本のレコードも充実
写真提供:莱蒎黑胶唱片(Li-Pi Records)

次に、馬遲さんのパートナーであり、馬遲さんにインスピレーションを与える”ミューズ”でもある葉子さんについて。

単向街書店の創始者で作家の許知遠氏(左)と
葉子さん、馬遲さん
写真提供:莱蒎黑胶唱片(Li-Pi Records)

葉子さんは、中国南西部にある貴州の出身。中国酒の中でも非常に強いお酒として知られる「茅台(マオタイ)酒」のふるさとである。

中国福建省泉州にある華僑大学の日本語学科を卒業した葉子さんは、留学先の早稲田大学の大学院で現代文芸の研究に没頭。坂本龍一とも親交が深かった小沼純一教授のもとで「文学と音楽の融合」というアイデアを熟成させていく。
ちなみに、大学院で書いた論文のタイトルは『音楽として読む村上春樹ーー文学と音楽の繋がり』だ。

現在、葉子さんは東京にある著作権エージェンシーで、日本と中国の出版物の翻訳・版権に係わる仕事に従事している。
9月末には、葉子さん担当の簡体字版『坂本図書』が中国の出版社である中南博集天卷文化伝媒から出版されることが決まった。序文は、単向街書店の創始者で、坂本龍一と対談したこともある中国人作家の許知遠氏が書いている。

中国で発売される簡体字版の『坂本図書』
写真提供:中南博集天卷文化伝媒

「シティポップ」イベントが終わり、夜の銀座に灯る単向街書店の窓を振り返って見上げた時、坂本龍一の「Front Line(前線)」という曲が突然、頭の中で流れ出した。
若き日の教授が音楽に対する自身の姿勢について書いた曲だ。

When the whole world turns black at night
I see one little window (it's me)

夜、世界がまっくらなのに
ポッカリあいてる窓が一つ、それが僕だ

坂本龍一「Front Line」

Li Pi Records(ライパイ・レコード)
中国語表記:莱蒎黑胶唱片

Instagram https://www.instagram.com/lipi_records/
問い合わせはInstagramのメッセージで(日本語OK)

単向街書店(たんこうがいしょてん) 東京銀座店
英語表記:One Way Street Tokyo

東京都中央区銀座1-6-1 銀座クレッセントビル1-2F
営業時間 11:00~20:00

公式webサイト https://one-way-street.com/
X(旧Twitter) https://x.com/OwspaceGinza828
Instagram https://www.instagram.com/onewaystreettokyo/

コール 智子/Tomoko Cole
ライター。興味があるテーマは「遊子異郷客」(根無し草)。どこにも根を持たず同時に根について考える人々に惹かれる。音楽関係の取材ではトゥバ共和国のフンフルトゥ、ヤトハ、ハンガリーのムジカーシュへのインタビューが特に心に残っている。登山と茶道で自分をチューニングできるか試行中。

Instagram https://www.instagram.com/tomoko_cole_work/

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