【短歌&エッセイ】幽霊だった
テキスト・短歌/イトウマ
昔聞いていた音楽を久しぶりに聴くとその音楽を聞いていた頃の風景や空気、温度や質感を思い出すというのはよくあることだと思う。もちろん私にもそういった音楽はいくつもある。中学の頃に音楽と出会うきっかけとなったSEKAI NOOWARI、高校生の頃に夢中になったクリープハイプ 、大学時代に憧れたCody・Lee(李)、社会人になった私を支えた尾崎リノと幽霊。どれも今も大好きなバンドではあるが、当時夢中になって聞いていた曲を改めて聴くと、あの頃の風景も空気もそして苦しさまでも鮮明に思い出せる。
今の私はフリーターである。大学を卒業した私は新卒で企業に就職したものの、はじめてのひとり暮らしや働くことの難しさ、社内の信頼できる先輩の転職などが重なり少しずつ元気はなくなっていった。おまけに趣味でやっていたバンドもメンバーと噛み合わなくなり、恋人とも喧嘩が増え、しまいには別れた。どうにもこうにもいかない日々の中で精神的に調子を崩した私は、とうとう会社にも行けなくなり半年で会社を辞めてしまった。本当に情けない話である。
そんな半年の間、特に精神的な調子を崩してからよく聴いていたのが「尾崎リノと幽霊」だった。尾崎リノと幽霊とは、弾き語りで活動している尾崎リノさんのバンドセットの名前である。元々弾き語りをメインに活動されていた尾崎リノさんだが、私が働き出した頃にバンドセット始動の発表があり、数ヶ月後には音源『幽霊たち』もリリースされた。
尾崎リノと幽霊の『幽霊たち』というアルバムがリリースされると知った私は、音楽アプリのサブスクに加入していたがモノとして欲しかったのでCDを通販で予約し、発売日に到着するようにした。発売日が平日だったのでCDが届くのは18時頃に設定した。 17時の定時に仕事を切り上げて帰れば間に合うという計算である。
当日の朝、サブスクで聴こうと思えば聴けるが、はじめはCDで聴きたかったので会社から帰ってきてから聴くことにした。私はCDプレイヤーにCDを入れる動作や、CDプレイヤーから空気を伝って部屋全体に音楽が流れる感覚が好きなのだ。
仕事は思ったよりもスムーズには終わらず、1時間ほど残業をした。18時が近づくにつれ宅配便の方に申し訳ない気持ちが募った。18時が過ぎた頃、私は仕事を終わらせ退社をした。宅配便の方には頭の中でたくさん謝った。満身創痍でなんとか自宅までの20分ほどの帰路を歩いた。こんなに働いても好きなCDを受け取ることさえできないのか、こんなのが社会人なのか、と思った。そんなことを考えていたら、帰路の途中で急に気持ちが折れてしまい泣きそうになった。この頃はこんなことがよくあった。このまま家に帰る気にもなれず逃げるように小さな公園に入った。遊具が滑り台しかない小さな公園の生垣に腰掛け、急いで耳にイヤホンを刺した。世界からの全てを遮断するように。スマホを急いで触り音楽アプリを開き、尾崎リノと幽霊の『幽霊たち』を流した。数秒しても音が鳴らず不安に思ったが、確かに再生はされていた。少し待つと心臓の鼓動のような音がして曲が始まった。一曲目『或る漁港(合奏)』の厳かな雰囲気に少し緊張しつつ聴いていたら、突如幽霊たちは轟音を鳴らし始めた。あ、だめかもしれない、と思うと同時に感情が溢れ私は泣いていた。実家を出て数ヶ月のひとり暮らしを始めた22歳が小さな公園の生垣に腰掛けて泣いている。客観的に見たらダサくて恥ずかしくて、少しドラマみたいだと思う。そんなことを考えていたら曲は進み、尾崎リノと幽霊は曲ごとにころころと曲調を変える。ひとつひとつに明確な情景があり、憂いがあるように思った。最後の曲『羊を抱く夜に』まで聴くと空は夜に近づいていて、足早に家に帰った。ポストには再配達の紙が入っていた。
それからの日々、私はこの『幽霊たち』をたくさん聴いた。仕事のお昼休憩のとき、私はよく会社の近くにあった小川の流れる広場のような場所でご飯を食べていた。その広場には木製のベンチと屋根があったので、いつもそこに座ってご飯を食べた。昼食を食べ終わったらベンチに寝転がって残りの時間を過ごした。その時にいつも小さな音でスマホから『幽霊たち』を流した。特に『湾岸線’21』という曲をこの場所で聴くのが好きだった。小川の雰囲気も、そこに生ける草木も、草木を揺らす風も、この曲にぴったりだった。木製のベンチに寝転がり『湾岸線’21』が流れるスマホを胸の上に置き目を閉じる。そうすれば小川の存在も、草木の揺れる音も、広場を通る風も、全てがより鮮明に感じられる。この瞬間は出勤してから退勤するまでの時間で唯一好きだった。
それから数ヶ月して、10月末に結局仕事を辞めてしまった。やはり精神的な不安定は続き、家から出られない日が増えて会社を何回も休んだし、意味も分からず何度も泣いた。会社側は私が会社に残れるよう様々な工夫や働き方の提案をしてくれたのに申し訳ないことをしたな、と今になって思う。今になってこそそう思えるが、やはり当時は会社に行くことを考えるだけで体が動かなかったし、どうにか出勤しても仕事中に涙が溢れて途中で帰る日もあった。私はなにもできなかった。
もう会社を辞めて2年近くが経つ。今はとても元気で、新たな目標ややりたいことに向かって頑張っている。尾崎リノと幽霊は今も変わらず大好きなバンドで『幽霊たち』も新譜の『open gate』もたくさん聞いている。あの頃の気持ちは幽霊のように私の中に残って、時に私を蝕み、時に私を励ます。『幽霊たち』を聞けばひとり暮らしをしていた街の景色も暮らしも温度も空気も全部思い出す。『湾岸線’21』を聞けばあのお昼休憩の小川の広場で目を閉じた私が蘇る。どの記憶も、どの私も、幽霊のように私を呪い、私を守ってくれる。全ては地続きで、全てを背負って、全てに呪われて、私はこれからも幽霊と共に歩いていくのです。
(追記)
少し前、尾崎リノさんは活動名義を「江野利内」に変更すると発表がありました。やはり過去は幽霊として私を守ってくれるみたいです。幽霊になれなかった私たちはまた一歩、歩み進めるのです。