【短歌&エッセイ】深夜のカラオケ
テキスト・短歌/吉岡優里
カラオケの小窓から、店員がすごい速さで駆け抜けていくのが見える。先頭の店員の後を追うように、次々としかめっ面の店員たちが私たちのいる部屋の前を過ぎ去っていく。私と友人のA子は、「ミュージカル 美少女戦士セーラームーン」の『ラ・ソウルジャー』を前傾姿勢のサイドステップを踏みながら熱唱している最中だった。
「え。まってなんか走ってない? 運動会か何か?」
A子は歌うのをやめて、でもサイドステップは踏みながら、私に話しかけた。
「本当だ。何事? 運動会じゃん」
私も歌うのはやめて、でもサイドステップは踏みながら答えた。
私たちはサイドステップを踏み続けながらけらけらと笑っていた。頭が少しぼんやりとして時計を見ると一時だった。
A子とはよく深夜のカラオケに行った。A子は車を持っていたし、私たちは大学生で、お互いに一人暮らしだった。私たちにとって、カラオケは比較的安全に夜を延長できる特別な場所だった。この日も、いつものように薄暗い部屋の中で時間を忘れたり、思い出したり、山盛りポテトを食べたり、寝たり、踊ったり、泣いたり、歌ったりしながら笑っていた。A子はサークルで歌っていたし、歌うことが好きだったのだと思う。A子の声は力強く、伸びやかで、ちょっと演歌歌手っぽいSuperflyみたいな感じだった。そんなA子に対して、私は人前で歌うことがほんの少しだけ苦手だった。聞かれていると思うと喉の奥がギュッとなって心臓の音が速くなる。歌うことは楽しいけれど、大して歌唱力があるわけでもない私が、心から歌いたいと思う曲は友人の知らない曲であることが多く、そのことがさらに引け目を感じさせた。いつでも他人を楽しませなければいけないという強迫観念が心を薄っすらと覆っていた。そんな中、A子の前では思いっきり歌うことができた。下手でもつまんなくても許されている気がした。
A子とはぴったりと息がそろうように音楽の趣味が合っていたわけではない。私はLISAを歌えないし、A子はカネコアヤノを歌わない。私たちが共有できる音楽は主にセーラームーンと大森靖子だった。その他のアーティストの曲も歌っていたけれど、スプラトゥーンで地面や壁に色をつけるようにセーラームーンや大森靖子を歌って、カラオケの一室を二人でピンク色に塗りつぶした。
この日は、朝が来る前にカラオケを出ることにした。デンモクやマイクを元の位置に戻す作業は少しだけさみしい。さっきまで握っていたマイクには私の体温がまだ残っている。会計をするために受付で伝票を渡すと、店員は言葉を失い、近くにいた店員に伝票を見せながらざわつき始めた。私とA子は目を丸くしてその様子をただ見つめていた。
「あの、すみません。もしかして、えっと、202号室にいました…?」
店員は気まずそうに笑みを浮かべていた。私たちはカウンターに置かれた伝票を見て、このカラオケで運動会を開催させてしまったのは自分たちであったと気づく。そこには「203号室」とはっきりと印字されていた。次々と走っていく店員たちは、私たちを必死で探していたのだった。私たちは部屋を間違えたままサイドステップを踏み続けていたのだ。
カウンターで笑いたい気持ちを押し殺して、謝りながら料金を支払い、カラオケの出入り口の重い扉を開き、二人で思いっきり笑った。笑いながら階段を降りた。何がそんなに面白いのか分からなかったけれど、とにかくいつまでも笑っていた。
大学を卒業してからA子とは一度も深夜のカラオケに行っていない。カラオケどころか、会うことも難しくなった。今、私は名古屋に、A子は仙台にいる。「今からカラオケいこう!」とA子に電話をかけたくなる度に、いつでも二人で夜を延長できた日々が眩しく思える。眩しいだけの日々ではなかったはずなのに、お腹を抱えて笑っているうちに世界からはぐれて、誰にも見つからない場所にいたような気がしてくる。
A子から「春に東京に引っ越すかも」と連絡があった。東京の深夜のカラオケで私たちはまた部屋番号を間違えてしまうかもしれない。そのときは今度こそ怒られると思う。