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生きていくって結局美しいみたいよ


 数日前に、樋口一葉『十三夜』を読んだ。なんというか、久しぶりに心が大きく震えたというか、胸にせまってくる感情が何なのか分からなくて、うまく言葉に出来なくて、ぐるぐると色んなことを考えていた。実はまだ全然まとまっていないのだけど、忘れないうちにこの得体の知れない感情をメモしたくて書いている。

◼️あらすじ

 簡単に言うと、「悲恋」「身分違いの恋」「家・結婚・もどかしさ」。主人公の関(せき)が、夫の原田勇の仕打ちに耐え切れず、夜に一人で原田の家を出て実家に戻るところから物語は始まる。実家に到着しても、両親を心配させまい、迷惑をかけまいとなかなか離縁したいことを切り出せない関。やっとのことで嫁ぎ先で今までに受けた仕打ちと離縁状をとってほしいことを両親に打ち明けると、母親は関に同情し、これまで耐えてきた娘を思い怒りに燃えるが、父親は娘の気持ちに寄り添いつつも原田の家に戻るようさとす。もともと原田の家は関の家より格上で、関の弟は原田の計らいで就職できるなど、関が原田に嫁いだことで関の実家は助かっていたことも事実、また、関が離縁して実家に戻るとなると、置いてきた息子、太郎とは一生会えなくなる。そのようなことを諭され、関は原田の家に戻ることを決意する。
 関は原田の家へ戻るために人力車に乗るが、その車を引いていたのはかつて関が思いを寄せていた録之助だった。すっかり昔と変わってしまった録之助に驚く関に、録之助は関が結婚し子どもを産んだと知った後の自分の退廃ぶりを語る。昔の思い人同士の二人は今はまったく身分の違う二人になっていた。この世の不条理を感じながら、関と録之助は別れを告げる。


◼️日本語って美しいんだな

 読みながら第一に、日本語って美しいんだな、と思った。あらすじをまとめるのが苦手で上で長々とストーリーを語ってしまったけれど、本当は作品を読んで欲しい。青空文庫に格納されているし、数十分あればさくっと読むことができるので、是非美しい日本語を味わいながら読んで欲しいな。
 派手な表現は出てこない。ささやかで丁寧で淡々と描かれているのに目が離せない。一言一句読み飛ばしたくないような気持ちになる。正直、私は高校時代古典が得意ではなかったし、今回とても読みやすいと思ったわけでもない、単語の意味があやふやなものもあったけれど、それでも美しいと感じた。テンポの問題なのだろうか。声に出して読みたいな、と思った。

◼️主人公の健気さと家族のかなしみ

 私は平成生まれ、比較的自由が尊重され、一人一人の権利が叫ばれる時代に生きてきた。嫌なことは嫌だなと思うし、自分の人生は自分で決めたいと思う。だからこそ、関の「原田の家に戻る」という選択には驚いたし、関に原田の家に戻るよう説得を始めた父親の言葉を読みながら心に暗雲が立ち込めて仕方なかった。そして、関が原田の家に戻る決意をした時、まじかよ〜とすら思った。
 この作品が書かれたのは100年以上前のこと。この状況や関の選択の理由を「時代」と言えばそれまでだろう。でも、それだけでは片付かない部分があるから今の時代に生きる私にも響くのではないかと感じた。

「同じく不運に泣くほどならば、原田の妻で大泣きに泣け。ーーーお前が口に出さんとても親も察しる、弟も察しる、涙は各自(てんで)に分て泣こうぞ」

 父親が関を説得する言葉の中から。関が辛いことも分かった上で、関にとって家族にとって(おそらく社会的に、今後のことを考えた時に)最善の選択をさせようとする父親の言葉のいたみとかなしみ。きっと何もなければ、今まで辛い思いをしたね、早くうちへ戻りなさい、離縁状を取るから安心しなさいと言いたいだろう。関も父親の言葉の裏の思いを汲み取ってこう返す。

「今宵限り関はなくなって、魂一つがあの子の身を守るのと思いますれば、良人(夫)のつらく当る位、百年も辛棒(辛抱)出来そうな事」

 こんなこと、自分は言えるだろうか。関と関の家族は、同じ「かなしみ」を共有してそれぞれの家で生きていく。家族ってこういう役割というか、捉えられ方をしていたのだな。今もそうかもしれないけれど。

◼️生きるってどうしようもないな

 この話の好きなところは、原田の家に戻るという絶望を抱えた関も、どうしようもないその日暮らしをしている録之助も、死を選ばないところだ。そう簡単に人は死なない。不条理でどうしようもない世の中を生きていくだけだ。そこが美しいなと思うし、私はハッピーエンドでもバッドエンドでも、ストーリーがその後も続いていくと感じることができる物語が好きだ。

「誰れも憂き世に一人と思うて下さるな」

 録之助に関がかける言葉が好きだ。どんなに憂き世でも、同じ憂さを持つ人がどこかで生きている。ひとりではない。録之助が「生きていればこうやってあなたに会える幸運なこともあるもんだ」という風なことを言うが、それも同じ。関は関で、録之助は録之助でそれぞれの憂いを抱えながら過ごしてゆく。それでも私は不思議とラストに小さな希望が見えるような気がした。二人の状況を考えると、そんなものどこにもないように見えるのに。希望を見出さなければやっていけないのかもしれないし、綺麗事だと言われたらそれまでだけど。

◼️叶わない恋だから綺麗なわけではなく

 この物語を一言で表すと、やはり「悲恋」であることに間違いはないと思う。それでも、二言目に私は「美しい」を出したい。この話は、切ないから美しいわけではなく、叶わない恋だから綺麗に見えるわけでもない。主人公に多少同情する気持ちはあっても、全面的に共感、といかないのには、きっと時代もかかわっていると思う。主人公の関は、立場としては悲劇のヒロインなのだろうけれど、私の目には悲劇のヒロインに映らなかった。悲劇のヒロインぶらない、それも良かった。関は芯がある。強い。登場人物の皆が、致命的なタブーを犯さない。それぞれが自分の守備範囲内で、自分と人のために必死に生きることを選択している。お涙頂戴、読み手のエモに訴えかける、みたいな大袈裟なものではなく、生きる上で生まれるどうしようもないかなしみと、交わらないものが交わる瞬間の煌めきと、不条理な世でも生きることを諦めないその在り方に心を掴まれた。生きていくって、結局美しいみたいよ。




※全て私個人の感想です。解釈が違っていたらすみません。


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