『津波てんでんこ』という考え方
おはようございます!
最近はもっぱら鴨頭さんのYouTubeから学んでいます。
皆さんは『てんでんこ』という言葉をご存知ですか?
僕は鴨頭さんのYouTubeで初めてこの言葉を知りました。
警視庁災害対策課の2020年3月11日のツイートでは
津波被害が多い三陸地方で「津波起きたら命てんでんこだ」と伝えられてきました。これは「津波が起きたら家族が一緒にいなくても気にせず、てんでばらばらに高所に逃げ、まずは自分の命を守れ」という意味です。今日で東日本大震災から9年を迎えました。この教訓に基づき命を守る行動を取りましょう。
というツイートがあり、災害対策の考え方の一つになっています。
そして、鴨頭さんは『てんでんこ』の考え方でいることが、死の受け入れ方も違うと語られています。
災害から避難する場合、学校や地域でみんなで避難すると、誰かの指示によって生死が分かれたり、指示が必要な立場の人は責任問題になりかねません。
でも、学校が地域が家族がそれぞれ『てんでんこ』の考え方でいるとそれぞれが死を受け入れることができる、と。
僕は今の日本に大事な考え方だなと感じました。
介護の話をすると
自宅で一人で高齢者の方が亡くなられたとします。
これって誰も悪くないですよね。
地域包括支援センターや市が悪いんでしょうか。
高齢で一人暮らしの方は、みんなが介護保険の枠組みに沿ってサービスを受けたり、施設に入らないといけないんでしょうか。
生活保護や介護保険、後見人の制度があるので、日本はどうにかすればサービスは受けられる仕組みになっています。
だからこそ、『何か手の施しようがあったんじゃないか』と思ってしまいがちですが、実際は本人が望んだかどうかだけの話だと思います。
避難訓練であれば、
『自分が考えたルートではなく、必ず非常階段を使わなければならない。』
そんな感じでしょうか。
国民皆年金、生活保護の制度、地域包括支援センター、社会福祉協議会、民生委員、後見人、ケアマネジャー…
これだけの非常階段が用意されています。
そんな中でも一人で亡くなられるのであれば、それはもう本人が選んだ道だと思うのがいいんじゃないでしょうか。
超高齢化社会の生き方も『てんでんこ』でいいと思うんですよね。
『てんでんこ』で介護の話をするのは拡大解釈すぎるかも知れませんが、組織よりも個が重視されるこの時代に、まさに合っているように思います。
働き方も生活の仕方も死の迎え方も
『てんでんこ』でいい。
その中で、介護職としてサポートが必要であればサポートする。
そんな死生観、看護観、介護観が広まればいいのになと思います。
では、いってらっしゃい!
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