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取り返しがつかない失敗とゲーム課金の関係、という話

ソシャゲやオンライン配信などで課金が当たり前になってきてから顕著になってきたことだと思うのですが、いわゆる中毒になってしまい生活が破綻するケースが多くなってきたようです。

特にまだ自立をしていない子供が課金にハマってしまったことがきっかけで、生活どころか家庭崩壊に陥っているという話も身近で聞いたことがありました。

僕自身もネットやゲームに課金をしたことはありますが、だいたいある程度のところで我に返ることが多く、そのほとんどにおいて無料で楽しめる範囲で留まっています。

とはいえそこにハマってしまう気持ちや抗えない焦燥があることも理解できていて、その本能的な欲求はどこにあるんだろう?と考えていました。

取り返しがつかない失敗を取り返す

ここでは特にゲームに関する話で進めていきますが、ゲームにハマって膨大な時間を無駄にする(←後から思えば)という事案は課金ができるようになる以前からあったことでそれ自体は昔から問題視されていたことではありました。

僕はゲームに課金してしまう心理を射倖心(←課金してレアアイテムをゲットする)を撃ち抜いているせいだと当初は思っていたのですが、課金が当たり前になる以前からゲーム中毒と呼ばれる現象があったのだとしたらそれは射倖心とは別の理由があるのかもしれません。

それである時ふと気づいたのが、ゲームの中ならではで起き得る”死ぬ”というイベントです。

”死ぬ”は敵にやられてしまったり、タイムオーバーになったり、打てる手立てがなくなってしまって(詰んでしまって)それ以上ゲームができなくなる状態のことです。

現実世界での“死ぬ"は取り返しがつかないことで後からではどうすることもできません。

ところがゲームに関してはほとんどの場合、ライフや残機が減った上でのリトライや少し前の状態からリスタートとなります。

この”死ぬ”という一世一代の大イベントを繰り返せてしまうというゲームの特性が中毒を引き起こす因子になっているんじゃないかと思いました。

中毒と感情の振れ幅の関係

仮にゲームの世界であっても”死ぬ”時にはかなり大きく感情が揺さぶられます。やり込んでいるゲームであればなおさらで、虚無の感情が芽生えたり激しい怒りが込み上がってきた経験がある人も多いと思います。(PvPの場合などは特に)

そうした激しい感情は現実世界で体験することはあまりありませんが、ゲームではそうしたレアな感情を味わうことができます。

そかもそれを容易に繰り返すこともできる…そう課金さえすれば。

ここで一つ思うのは、なぜそうした行為を中毒的に繰り返してしまうのかについて。

ゲームの中で死んでしまうのはポジティブな出来事ではありませんし、課金しすぎてしまった後の後悔も本来であれば繰り返したくない現実です。

普通に考えるのであれば嬉しいこと喜ばしいことを繰り返すほうが自然だと思うのですが人間なかなかそうはならないようです。

この理由はたぶん中毒が生まれるきっかけになるのは感情の種類ではなく、感情の振れ幅の大きさだからなのではないかと思います。

しかも普通に成功と失敗の数を比べたら失敗の数の方が圧倒的に多いわけで、そちらの方がより一般的です。

そしてその失敗から生まれる感情の振れ幅をコントロールすることで射幸心とは違うやり方で中毒を作り出している。。。

そう考えるとなかなか恐ろしい発想ですが、このメカニズム自体を理解していれば中毒そのもの自体も制御や抑制できるような気がしました。

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