この瞳が自伝である
たまに「自伝を書いて欲しい」というラブコールが来る。その度に私は丁重にお断りする。
大した理由ではない。断るというよりも、既にあるじゃん!というお話。
要するに私の小説、詩、エッセイ、音楽、写真に自分史は刻まれている。ちなみに今回は瞳の写真を公開してみた。これを見せた誰だったかが、こう評してきた覚えがある。
「美と苦悩が蓄積されてるね」
凄く嬉しい訳でもなかったが、嫌でもなかった。なぜなら、わりと当たっていたからだ。美なんて言われたら当然嬉しいとして、苦悩を抱えてきたのは事実。だから反発もせずに、あっさりと「うん、そうかもね」と答えた。
では、美についても少し書きたいと思う。単純に汚い大人にはなりたくなかった。だから嫌な人のことはいつも反面教師にしてきた。
そして中学の頃あたりかな。母曰く、私は生まれつき「感受性」が物凄く高い子だったらしい。そして更に奇妙な事を言っていた。
「赤ちゃんの頃からこれから起きる悲しみを全部知っているかのような顔してたっけよ」
こらこら、赤ちゃんに対していくらなんでもそれは大袈裟だし言い過ぎでしょ!と苦笑いしながら言い返した覚えがある。しかし、それから月日が経ち母が言い放った言葉がどんどん当たってゆく事になる。具体的な出来事は書き出すとキリがないので、何か自己探求のヒントになるかなと言う事で、高校の頃に書いた拙い詩を引っ張りだしてみた。
部屋の片隅で
雪は降り続く
心の奥底で
雪は降り続く
積もっていた罪が
溶けかけても
この広い宇宙
雪は降り続く
沈んでいる
何もかもが
寄り添いながら
消えてゆく
澱んでいる光に
照らされて
片隅で怯えていた
宇宙の部屋は
存在すら
忘れ去られてゆく
悲しみは雪と共に
降り続き
わたし、なぜだか
涙が止まらない
やがて視界は滲み
星空さえも消えてしまう
小さな頃から私は、「癒祈」を「雪」と呼んでいた。改良に改良を重ねた詩だが、今読んでも確かに、必要以上に高い感受性のせいで生き辛かった自分が浮かんでくる。ちなみにこの詩に曲をつけたのでいつか発表したいと思う。とてもいい曲なので、少しでも興味を持った方は待っていてほしい。
と…結局、断片的に自伝めいた事を書いてしまった。こういう形ではもう書かないかも。
多分…
では皆さんも暑い日が続く中、体調管理をしっかりとしていってくださいね!夏バテや熱中症、コロナには本当に気をつけてね。
魔術師より愛を込めて。
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