プライドって本当に色んな物事の邪魔になるよ。

教育に関わってもう15年。早いぜ。

教育業界にいて先生や指導者という立場の人間から
「もうあの子本当に嫌だ〜」「あの子嫌い〜」
「分かる〜人間だから合う合わないあるよね〜」
という言葉を職員間の中で平気で口にする指導者を目の当たりにしたことが何回かある。

そう言いたくなるほどのことがあったことは察する。

この発言は間違ってると思う。
思っていたとしても言っちゃダメでしょ。
相当嫌なことあったのかもしれない。
でも同じように子どもも相当嫌だったんだと思う。
そこは、大人になれと。学生じゃないんだからさ。


そうじゃなくて、具体的に
「あの子のああいう時の態度や言い方は人を敵に回しちゃうから本当に良くないと思う!」とかだったら全然分かる。
「あ〜分かるあるよね〜」ってなると思う。

そこがクリアすべき課題だよね。とか、じゃあどんなアプローチしたらいいかとか、建設的な話しにつながって結果的に良い方向に進むし、
そもそも「その子自身が嫌い」ということでは全くないんだから。

パパママや保護者はまた別。
自分の子に対して「あ〜もう本当嫌。無理。どっか行って。」ってなるのは分かるの。だって逃れられないんだから。

朝から晩までずっと一緒にいて、離れられる時間はごく僅か。
ずーっと泣き喚いていたり、イヤイヤ攻撃始まって何にも言うこと聞かなくて、挙句の果てには忙しい中せっかく作ったご飯も「いらない!」とか怒って床に投げたりさ、食べてもないのに見ただけで「うわ最悪。おえ〜。」とか言ったりさ。ダメって言ってんのに、高いところ登ろうとしたりさ。

小学生になったらなったで口答えと反抗のオンパレードで
あぁいえばこういうの応戦状態。
中学生になったら思春期真っ只中でヤンチャしてみたり殻にこもってみたり
高校生になったら都合のいい時だけ子どものふりして、大抵は大人ぶってみたり。

とにかくもう一生を通して「お前マジでふざけんじゃね〜〜〜〜〜〜!!!」の瞬間が死ぬほどくるのよ笑。

確かに子どもは家と外で見せる顔は変わるし違う。
でも保育士、教師、とにかく子どもたちから「先生」と呼ばれる
人たちってさ、自分を捨てて「教育者」「保育者」として愛を持って
子どもたちの前に立つべきだと思う。

なんかね。なぜ前述のような「あの子嫌い!」「あぁいう子って嫌!」みたいな言い方をするのかも分かってきた。

そう言いたくなる時って大抵、子ども側に非があるのではなくて
大人側の関わり方が間違っていることのほうがほとんどだと思う。
でも自分のやり方や関わり方を否定されると悔しくて、プライドが傷つくから、予防線はるんだよね。

「私のやり方が悪いんじゃない。あの子がいけないの。」って。
どっちが子どもなんじゃい。って話。

「大人として」
「先生という名前として」
は、プライドを守るための強がりでしかないと思う。

「こういう考えがあって、こうした。」
いくら理由があっても目の前の子どもに響いてないなら
それはその子には違ったアプローチが必要だったということ。
ただそれだけの話。今回は失敗。また次違う手で頑張ればいい。

前を向かずに
本当、くだらない。勿体無い。
バカになって、失敗から学ぶ勇気を持つこと。
それが一番、早く色々吸収できる。
学びは深まる。
浅いところで止まって
賞賛を待つだけの教育者なんてダサい。カッコわるい。


だって子どもたちは本当に可愛い。

憎たらしいことも言うし
意地悪だっていっぱいするし
嘘もつくし
わざと怒られるようなことするし
言うことなんて聞かないし
すぐ暴れるし、転がるし
本当にお前たちは…と思うこともある。

でも本当に可愛い。
心底可愛い。
子どもたちは愛おしい。
可愛くない子って本当にいない。

可愛くない発言や行動はあってイライラすることはあっても
その子自身が可愛くないなんてことは絶対にありえない。
可愛さを見抜いてあげられないなら、その子のことなんて何にも見れてないと思う。

でも、そんな大人が多いと思う。価値観とか風潮も作られていってるんだなって感じる。

子どもの世界を理解しようとせずに
大人の言うことを聞く子が可愛くて、聞かない子は可愛くないみたいな。
ハキハキお返事できる子は可愛くて
みんなと一緒に行動できない子は悪い子。

たくさんのこどもたちと関わっていく中で
本当に色んなことを考えるようになった。

子どもと関わってるからこそ、大人の役割って本当大事だなって思った。

いらないプライドと、必要なプライドの判別ぐらいは
できるような大人になっていたいと心底思う。

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