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海に還りたいのかもしれない

盆は例年、わたしのほうの祖父母の墓と
夫の父母の墓に参る。
夫の方の墓まで車で3時間。
今年はとくに、閉口する暑さだった。

墓は、海を見下ろす、有名なデカい寺にある。
わたしにとっては、一年に一度来るだけの
場所だ。
石には夫の名前が赤い文字で刻まれていて、
つまり、夫とわたしは、この墓に
入ることになるのだろうか。

この墓を必死な思いで、未亡人になった
姑が、高いお金をかけて建てたのだろうが、
わたしは、申し訳ないが、
なんだか墓に入る、ということに
気がすすまない。
骨をうめて、上に石を乗せられるのか、
と思うと、息ぐるしい。

しんだらどうしてほしいか、というと、
跡形も無くしてもらったらいいのだが、
そううまくいくのだろうか。

生きている間から、自分の葬式や墓のことまで
しっかり準備できる人がいるが、すごい。
尊敬する。しかし、準備をしてこなかった
ものにも、必ずその日はくる。

墓参りが終わると、義理の姉の家に挨拶をし、
夫は仮眠をとる。
義理姉から、最近、「墓じまい」の話が
出るようになった。
自分たちも永代供養にするし、
もう墓、あってもしゃあないんちゃう?
というのだ。

夫は寝ていて、その話を、わたしだけ
聞いていた。
きょうだいで決めてくれたらいいです、と
義理姉に伝える。

帰りのクルマで、お義姉さんから、墓じまいの
話がでたよ、と夫に言うと、夫が、

「わかった。今度の墓参りのとき、
ハンマー持っていこ。」

とにやにやしながら言ったので、

「勝手にしまっときました、ってか」

と、笑った。ばか。
お義父さんとお義母さん泣くぞ。
そう言うわりに、毎年欠かさず墓参りはいく。

家の仏壇にも手を合わせない夫だが、
今まで何回もした引越しのたびに
1人で、この重い、でかいものをかついで、
運んだのを知っている。
運んだときの傷で、仏壇は傷だらけだ。

そのくせ、手は合わせない。
なんでよ、と聞いたら、

べつに自分の中にいるなら
それでいいやんか

と言う。まあ、そうだけど。
仏壇とか墓とか、生きているものが、
手を合わせて死んだひとを思い出すために
あるだけなのかも。

だから、いつも心の中で思い出すことが
できるなら、形は必要ないのかなあ。
わからない。

しんだらどうしてほしいか
より、
生きているものが、どうしたいか
で、いいのかもしれない。

わたしの中で、最後はこんなかんじで
跡形も無くなれたらいいな、と
思う映像がある。
たぶんこのMVの映像からは、

「しんだらからだはどうなんのか」

みたいなことが伝わってくるのだが、
歌詞は、別にそんな事がテーマになって
いなくて、歌詞を訳すと、

「だいすきな彼女がタイに帰っちゃう。
とっても嬉しそうに。俺のことなんか
どうせ忘れちゃうんだろ。
てか、タイってどこだよ!」

みたいな感じの歌詞なのだ。
なんでこの歌にこの映像?てなる。
曲は、のんびりしているから、
のんびりしたきもちのときに、聴いている。
歌詞と、曲と、映像が、なんだか
ちぐはぐなんだが、すきだ。

最後は、こんなふうにからだが
かわいいかんじになって、大すきな海に
還りたい。

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