働き方改革で目指すべきは「哲学者」
コロナ禍を経て、多くの人が今までの常識を強制的にアップデートさせられました。たとえば、今までの常識は「会社に通勤して働く」だったのに対して、コロナ禍では「リモートワーク」という選択肢が普通に選べるようになりました。学校に関しても同様で、今まで「授業は学校で」が常識だったのに対して、コロナ禍によって「オンライン学習」という選択肢が発見されたと言えます。
これまでの社会で、常識を疑うことを日常的にやっていたのは「哲学者」くらいでした。言い換えると、コロナのせいで社会全体が強制的に(プチ)哲学者になったといえます。
#とパブリックスピーカーの山口周さんがおっしゃってました
ぼくら教育者を含めたすべての大人は、今後ますます哲学的な(常識を疑う)思考を身に付けなければなりません。当たり前と思っていたものも、実はよく考えると当たり前じゃないということがコロナ禍ではたくさん発見されました。
常識という枠を外せば、実はいろいろなことができるようになります。特に、働き方改革や業務改善という文脈では、常識の枠を外すことが超大事です。
例えば「通知表の作成」は学校の常識です。しかし、法律をみるとその作成義務はどこにもありません。つまり、常識と思っていた通知表の作成は、実は学校裁量で今すぐにでも止めることのできる業務の一つです。
部活指導についてもそうです。希望しない部活指導によりストレスを溜める中学・高校の先生は多くいます。でも、管理職から打診されしかたなくやっているという実態も少なくない。しかし、給特法を理解すれば明らかなように、教員に対して時間外勤務を命じることは原則できません。つまり、時間外に設定されている部活指導については100%断ることができるのです。
旧態依然の学校の在り方を、哲学者のように「常識を疑う」という視点で考えることは、今後の学校教育を考える上で非常に大事です。ぜひみなさんも、こうした哲学思考を鍛えていきましょう。