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校内研究いるんかい?
先生方の学校では『校内研究』をしていますか?
今回は、この研究について考えてみます。。、校内研究主任が主題や研究仮説を立て、その仮説を検証するために研究授業を代表者が行い、それをまとめて研究紀要として次年度へ引きつぐ。そのような流れがテンプレ化していると思います。
それを今一度、問い直しましょう。
おそらく、学校の先生に「校内研究をしていくにあたって、研究仮説は必要だと思いますか?」と聞くと、99%は「Yes」と言うでしょう。しかし、「では、ご自身の学校の研究仮説を言えますか?」と問われると、99%が言えないという事実が浮かび上がるのです。おそらく、研究主任ですら、言えないと思いますw(;'∀')
99%という数字はなんの根拠もないですが、もしぼくの予想が正しいとしたら、これは研究仮説というものが「頭では大事だと思っていても、実際には忘れても何ら支障のないこと」になっているということです。
学校教育のパターン化の罠が、ここにも潜んでいるのです。
ぼくが知る限り、ほとんどの公立小中学校では『研究紀要』を作っていると思います。研究主任が、そのために遅くまで残っているという実態も少なくないでしょう。そうして完成した研究紀要は、その年の研究の成果・課題を記して次年度に引き継がれます、しかし(これは個人的に思うところですが)、新年度が始まったときから、校内の隅に追いやられ、誰にも読まれないという悲惨な状況を何度も目の当たりにしています。研究主任と校内の先生方の努力はなんだったんでしょうか?
完成したことで満足しているだけなら、現場への還元は望めません。そして、研究紀要はまさにその典型だと、個人的には考えています。
そもそも研究とは、何かの仮説が正しいのかについて検証を繰り返すことによって明らかにしていくプロセスです。しかし、学校にいる先生方の授業スタイルや教育観、または学年や子どもの実態まで多種多様な状態の中、一つの決まった研究仮説を追求していくことは土台ムリな話です。少なくとも、研究機関である大学のようなエビデンスを確立するための研究は不可能です。
学校現場に必要なのは、研究ではなく『工夫』です。
先生方がそれぞれの立場から、ご自身の教育観を持ちつつ目の前の子どもたちのために創意工夫することが大事です。そしておそらく多くの先生方は、校内研究があろうがなかろうが、関係なくそれを実行しているはずです。
このような流れで整理していくと、校内研究なんて無くてもいいと思いませんか?
ゼロヒャクで論じる意味はありませんが、ぜひパターン化の罠にハマった無意味な研究にならないよう、ぼくの考えを頭の隅にでも留めていただけると幸いです。