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モダンチェンバロと呼ばれている楽器について(フランス)


「モダンチェンバロ」という名称に多少違和感がありまして、調べてみました。



この本の場合「Modern Harpsichord Makers]は現代(近代)のチェンバロ製作者たちということです。いわゆるモダンチェンバロも製作したアーノルド・ドルメッチについては息子のリコーダー奏者カール・ドルメッチが執筆しています。イギリスについてはまた後ほど。

モダンチェンバロは19世紀末にヨーロッパで起こった古楽復興運動の流れの中で新たに製造された楽器です。20世紀初頭からはフランス・ドイツ・イギリスを中心に製造されました。

モダンチェンバロが発案された経緯は

「バロック音楽」の再発見という意味では1829年の「マタイ受難曲」に始まります。それまで古楽音楽や古楽器が全く忘れ去られていた訳ではありません。ずっとサークルのようにして続いていた習慣でもありました。19世紀の初めには後期ルネッサンスからバロック期の音楽に対する趣味は上流階級では流行となっていました。1829年の「マタイ受難曲」の再演をきっかけに1830年代、40年代はドイツでバッハブームが起こりました。

それでは楽器の再製造としてはいつからなのでしょう?
フランスでは偶然発見された「二段鍵盤チェンバロ、パスカル・タスカン製作、パリ 1769年 オリジナル楽器」が始まりで、これは1882年にルイ・トマシーニの修復「楽器には「Refait par Louis Tomasini en 1882」と記されている」されました。

この楽器はその後、当時2大ピアノメーカーであったエラールとプレイエルに貸し出され研究されることになりました。そして、1888年頃からモダン(新しく)のチェンバロを製造し始めることになりました。いずれも1889年のパリ万国博覧会に出品しています。(プレイエルはこのために最初のチェンバロを作りました)。因みに1889年のパリ万博では、ルイ=ジョゼフ・ディエメ( 1843~1919)(パリ音楽院でピアノ科の教授であった)によってクラヴサン演奏会を催されています。
ルイ・ディエメが演奏したのはタスカンであったと思いますが、同時に出品されていた新しいチェンバロにも興味があったであろうから弾いたことだと思います。
ワンダ・ランドフスカの愛弟子のD・レストウによれば、1900年頃からパリに定住したランドフスカはプレイエル・ピアノ会社の主任技師、M・ラミーと共に博物館を訪れ、自身の夢に合致するような楽器ができるまで何度も設計をやり直した。とあります。そうして1912年にブレスラウのバッハ・フェスティバルで大型のプレイエル・チェンバロ「Grand modèle de concert (clavecin)」を披露しました。




時系列で考えれば、1889年パリ万博に出品された楽器(エラールとプレイエル)は1769年のパスカル・タスカンを研究したチェンバロでその後プレイエルにランドフスカがアドバイスし、新しい楽器が製造されたということでしょう。これはモダンとは呼ばず「Grand modèle de concert (clavecin)」です。
ランドフスカによって広く知れ渡ることとなりました。
モダン(歴史的ではない)という意味ではこれが最初です。
「モダン」に悩みます。



 



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