宮脇俊三で「読み鉄」三昧
同好の士の皆さんからしたら「何を今更……」だろう。でもここはあえて勇気を振り絞って言いたい。人は「何かにハマったとき」が、その人にとっての「ブーム」なのだ。私のブームは宮脇俊三。鉄道紀行のパイオニアである。
宮脇俊三の著作との出会いは、10年ほど前にさかのぼる。当時、鉄道好きを自覚し始めた私は、太極拳レッスンで知り合った、同じく鉄道好きの女性とランチに行った。おしゃべりの内容は、太極拳よりも鉄道。
「先輩鉄子」さんからいろいろな情報を聞くなかで、鮮烈に覚えているのは「五能線いいよ!」と「宮脇俊三いいよ!」だった。
どちらも未経験・未読だったひよっこ鉄子だった私は、早速宮脇俊三のデビュー作「時刻表二万キロ」を購入。(その後、五能線にも乗りに行った)
正直、その時は「すごい御仁がいらしたものだ」と感心して読む程度だった。すごいけど、真似はできない。
あれから10年。自分でも旅に関するnoteをアップしたり、旅行記を書いてみたりしている。しかし、己の語彙力・表現力だけでは、どうにもうまいこといかない。こういうときは、他の人の著作に触れてみる。そこから学ぶこともあるし(時に他人様と自分の出来の差に凹むこともあるが)、単純に気分転換にもなる。
何かなかったか、と文庫本棚の整理をしていると、当時買った「時刻表二万キロ」が出てきた。ああ、こんな本もあったなあと手に取り読んでみた。途端に、ハマッた。
ハマッた理由を3つに絞ってお伝えする。
一つ目は、リズム感。文章のリズムが、実に心地よい。まるでカタタン、カタタン、と、列車に乗っているかのような気持ちの良さ。大事件は起こらない。ドラマティックでもない。どちらかといえば淡々とした、冷静な文章が、かえって読み手の想像力をかき立てる。まるで一緒に列車に乗って旅をしているかのような心持ちさえしてくる。
二つ目は、悪いところも書くこと。いやだなあ、と思った(であろう)ことは、ちゃんと「いやだなあ」(こんな稚拙な表現ではないけれども)と書く姿勢。それがまたクールでニヒルで、どこかおかしみがある。これはご自身のことを書く際も共通で、ご自身を「オチ」に使うときも決して卑屈でなく、最後に「ふふっ」と笑わせてくれる。
三つ目は、ハショリの潔さ。「えー、そこで終わっちゃうんですか⁈」「そこ書かないんですか⁈」というところで終わってしまう。しかしかえってそれが、読み手に深い印象を残す。もしかしたら単純に紙幅の都合だったかもしれないけれど、完成品としてはものすごいインパクトのある文章構成だ。
すごいけど、真似はできない(二回目)。
特に二つ目に気づいたとき、私は打ちのめされる思いがした。自分がいかに八方美人な文章を書いてきたか。
もちろん、誰かを不快にする「ディスり」はいかんけれども、ネガティブな面や、「いやだなあ」と思ったことを書かないために、自分の正直な気持ちを表現しきれていないのではないか。だから私の文章はつまらないんじゃないか。自分でそう感じるのではないか。結局、凹んでしまった。
宮脇氏の作品は、鉄道紀行文としておもしろいのはもちろんだが、昭和の鉄道史を知る上でも貴重な史料だ。すでに廃線になってしまった鉄道、車両、駅舎が、作品の中では生きている。読めば往時を追体験できる。
遠出のままならないご時世、「読み鉄」で鉄分補給されるのはいかがだろう。