与えられているもの
【何も見えなくなると見えてくるもの】
皆さまいかがお過ごしでしょうか?
気がつけば3ヶ月ぶりのnote。
「コロナ禍」は私たちに想像もしない現実をもたらしましたね。
2020年が “あっ“ という間に半年過ぎていきました。
皆さんは何を感じて何を思い、日々どんな選択をしていらっしゃるでしょうか・・・
私自身は2020年3月からこの7月の末に向かい新鮮な体験をしています。
この42年ほどの人生の中で18歳で上京した時と同じような気持ちで大きな2度目のスタートを切っています。
何も見えなくなったからこそ、見えてきた光。
そもそも私の全ての活動の根源にある動力は
『人生は自由に選び直すことができる、何度でも。』
と伝えたい思い。
14年ほど前、
28歳で始めた『自己観察』トレーニングで最初に泣き崩れ落ちたのは
その2日間の宿泊のセミナーでもうエンディングも佳境と言う頃
「人は訂正できる」というトレーナーの一言でした。
必死で生きて誰も助けてなんてくれないと思い込んでいて、一度言葉にしたら有言実行しかないと激しく自分を追い詰めて、セルフイメージと自分の正しさにガンジガラメになってた時に頭を金槌で叩かれたような体験でした。
嘘をつく人を疎ましく思い、言ったことをやらない人を蔑み、コソコソする人を許さず、群れて人を傷つける人を暴いて追い詰めて、いつも無表情で誰にも文句を言わせないために有言実行して自分の正しさを守っていました。
それは裏を返すと、嘘をつくのは人として最低だと思い込んでいたし、言ったことをやらないのは人として終わってると思っていたし(酷い思い込みですよね汗)、群れて人を傷つける人を卑怯者だと思って怒りだったのは全て私が子供の頃から
“禁止“されていたことたち
なのでした。
禁止された時に痛く辛い体験をして
『2度とあんな思いはしたくない』という原動力で全て選択していたので禁止事項は増えていく一方で自分に許可できていないから、
人の中に自分の禁止事項を見出すと激しく否定していました。
(無意識にとはいえ本当に酷かった、、、ごめんなさい。)
なのでその全てを自分自身の中にある最大の“嫌悪感“で顕にして、
全身で「近づくなよ💢」のエネルギーを発信して、人を寄せ付けないことで傷つかなくて済んでいました。
そうやって、『私は誰も必要ない、信じられるのは自分と仕事だけ』と言い切って10年走って、突き詰めた先には自分の概念で自分を殺してしまいそうなほど、自分の存在を消してしまいそうなほど、自分を追い込んでいました。
虚しさを紛らわせるために深夜に浴びるほどお酒を飲んで馬鹿騒ぎしては翌日また無表情で仕事に行く20代。
「カーテンの向こうは女優だと思いなさい」
と教育を受けた美容サロンのクローザーは、知識と小手先のテクニックである程度の業績をつくれるから、自分の感情なんて必要なかったのでちょうどよかったのでした。でも
「私は嘘つき。」
その言葉がいつも心を掠めるのでした。
それはいつしか
「私はニセモノ」
と自分のしていることが本当にその人のためではなく自分の正当化のためにつくる売上のためだと過ればよぎるほど数字は伸びなくなりクレームと解約の嵐で、
数字争いでトップから転落したら行き先は無くなりました。
独立した先輩たちに続き、自分も独立に向けて組織を作る中、猜疑心となって、
全て崩壊したのでした。
今思うと、壊れてよかった。
24歳、人生2度目の挫折。
人を騙せても自分自身は騙せない。
罪悪感でお客様にご予約の電話をする手がもう動かなくなって、怖くて、誰にも会いたくない、誰とも話したくない、この仕事は続けられない。
そうして一度、三面美容を信じてくれた、私を信じてくれた大切なお客様も、大好きだったはずの仕事も裏切ったと思った私は、2度とこの世界には戻れないと思いました。
6年走り続けて糸がぷつりと切れたのでした。
そこから、深く人に関わらずに続けられる美容業だと思いネイリストに転向して、4年の心の休憩の間、様々な出会いに触れ、私の根っこにある“本当の思い“が蘇ったのでした。
「私、やっぱり人の人生に関わる仕事がしたい。」
そう思うと不思議なことに4年ぶりに突然電話があり「ネイリストでもいいから戻ってこないか」と。
ご縁が巡るのを感じながらありがたく受けたのでした。
そして戻って最初に社員教育が変わったからという理由で『自己観察』トレーニングに参加するように言われた時には全力で断りました、社員教育なのに(笑)
「私変わりたいとか思ってないんで。今のままで困ってないんで」
って。今思うとよく許可されたなと思いますが(笑)半年間拒否でした。
だけど、復帰すると蘇る過去の記憶で、自分のしてきたことが許せなかったり、あまりにも不自由で滑稽でガンジガラメの自分の人生に辟易として、
「そんなに言うなら受けてみてもいいですけど」
(偉そうにっw こんな社員嫌ですよねw よく受け入れてくれました ^^;)
そして1時間の受講面談は2時間経っても会話にならず、トレーナーは
「ダメだこりゃw まーもういいからとりあえず受けてw」
なんと寛大な^^;
そして『自己観察』トレーニングのスタート。濃ゆい濃ゆい2日間。
感じていることに意識を向けていくのですが、
「は?別に?」
感じてることは?と聞かれるとそう言い続けて、1日目の夜最後にやっと出てきた言葉は
「ムカつく」
何度聞かれてもそれだけ。本当に酷かったんですよー私^^;
「感じてることとか言って超キモいんですけど」
ってアシスタントトレーナーに言い放って困らせておりました^^;
困ってるの見てザマーミロと思っていた心の粗末な28歳ミチコ。
そうだった、その「心が粗末」もある時人に言われてガーン( ̄◇ ̄;)ってなって初めて自覚したのでしたw
言葉も心も本当に粗末だった。
小さな頃から「言うだけ無駄」って思ってきたから、言う必要がなくなって、いつしか感情なんて感じるだけ無駄ってなってから、
だから「何感じてるの?」って聞かれることは当時の私には拷問に近かったのでした。苦しいと感じとるよりも早く
「イラつく」
と口走っていました。
2日間でたくさん思い出された子供の頃の記憶。
“あーあの時、もう言わないって決めたんだ。“
っていうのも映像が見えてきた。
2日間、私の人生が今こうなってしまった28年のカラクリがなんとなく見えて
消えてしまいたくなっていたその時、飛び込んできた一言。
「人は訂正することができるんです。何度でも。気付いたらその時に。」
嫌悪感で2度と引き返すことはできないと思っていた私に、『許し』が与えられた瞬間でした。
その言葉が飛んできた一瞬、
もうゲームオーバーだと思って地の底に落ちていくような暗闇にいた私に
“もう一度やり直していいんだよ“
と私の中の誰かが囁いたのです。
椅子から落ちてしまうほど全身が床に雪崩れ落ちて止められず、その日初めて2日間を受講した集団の中で2日目の最後にやっと、一人嗚咽をあげて泣いていました。
そしてその言葉と一緒に
“人生は言葉通りになる“
そう知らされた若い日の衝撃たるや(笑)
「だからこの人生なんだ‼︎」
と小さな目玉が飛び出すんじゃないかというほどの驚きでした。
納得したのです、全て。
そしてもし訂正ができるのなら
『本物になりたい』
心が洗われるということはこういうことなんだなと思いました。たくさんたくさん泣かずにきた分、たくさんたくさん今流れて止まらない涙は私の心の汚れや傷を洗ってくれているんだと思いました。ボヨボヨに腫れたまぶたが何故か嫌じゃなかった。
その日から14年ほどになるでしょうか、、、
美容を通じて、人の人生に深く関わる仕事を通じて
『本物になりたい』
思いの実現のためにひた走りに走りました。
感情に名前をつけるところから始まって、
自分が今何を感じているのか、伝えたいことは何か、言うことを諦める癖が本当にしつこくて、すぐに白けていくし、一人でやりたがるし、
瞬間瞬間止まって、「本当はどうしたいの?」って自分を止めて、瞬間瞬間選び直して、
途中、何度も道に迷い、痛み、傷ついたり傷つけたり、地べたを這いつくばるような思いをしたこともあれば、愛する喜びを知り心が震えたこともありました。
身を剥がされるような悲しい出来事もあればステージの上で光を浴びて祝福の花束を受け取ることもありました。
たくさんの人の人生に触れてたくさんの感情と共に生きてきました。
『1番信じてなかったのは、自分自身だったんだ』
と気づいた時には、自分をギュッと抱きしめてあげたかった。
「ごめんね。寂しかったね。」
その日から怒りの感情は静かになりました。
そして今度は、過去の過ちのように「カーテンの向こうは女優」ではなく、
最高の笑顔で
“大好きな人たちと幸せになりたい“
その一心で
思いを伝える人生を生き直してきたのです。
今もまだ途中。
『人生は選び直すことができる、何度でも』
皆さんに伝えたいと日頃言っているこのメッセージは、
本当は私自身の人生の大きな課題そのものなのです。
キャリア心理学や乳幼児発達心理学、認知行動療法を学び始めたきっかけは自分自身の人生が腑に落ちない出来事の連続で自分自身の不自由さに何か抜け出せる糸口を求めたり、自分が体験してきたことを学問と一致させていくことで人にお伝えしていける何かに変換していけたら、と思ったからでした。
“怒り“の感情しか自覚せずにシラけて生きた28歳までの人生は、
自分の存在意義を求めていたのだ冷静に自分の選択を客観的に見ることができたのも、
全ては、
例え何も見えなくなったとしても、その暗闇から這い出すことを、
光を求めることを諦めなかったから。
『所詮こんなもんでしょ』
って言ってシラケて諦めさせようとする私もまだいます。いなくならない。
だけど、気付いたらその瞬間選び直すことができるのです。
もう限界ってところまで自分を追い詰めたとしても、もう一人の私が
『みっちゃん頑張れ、大丈夫!』
って、「本当はどうしたいの?」って聞いてくれます。
12年間の自己観察トレーニングを通じて出会ったたくさんの“私“。
1番そばにいて1番応援してくれる人、それは
“私自身“
そう、それは
あなた自身なのです。
そんなことを経て経て、どんな学術より大切なことが自分自身の中にあると思って、今は自分自身の生き方あり方を扱う、“帝王学“を学んでいます。
自分が自分を育てる世界。
人生のリーダーは私自身。
あなたの人生のリーダーはあなた自身ですね(^^)
【与えられた時間】
この3ヶ月、特に東京都休業要請によって2カ月間のサロン休業の間、
現実にこんなことが起きるとは思いもしなかったのんびりした時間、
子供の頃からこんなにゆっくりと自分と共にいる長い長いお休みは私にとっては生まれて初めての
ほとんどパラレルワールドのような世界でした。
神様に与えられた時間。
日々が追われて任務と責務とビジョンにかれてそれが本当にやりがいがあったとしても稼働している歯車を止めることなんて不可能な現実に
突然訪れた緊急停止。歯車は止まり、時間はゆっくりと流れ始めたのでした。
過去も未来もなく、あるのは誰からも影響を受けない“今“という時間と空間と私の体と、読もうと思いながら手付かずだった専門書の山と、手塚治虫の作品たちと、いつか見たいと思っていた映画の数々でした。
一日16時間以上ほどを仕事に費やしてきた20年以上の中で、一日8時間しか仕事をしないことが私には罪悪感から始まり、
その罪悪感を感じると同時に自分自身のこの感覚が滑稽に見えて笑えてきたw
「もういいんじゃない?w」
そう言えている私がいて、サロンのベランダから見える青い空に清々しい気持ちで過去の苦悩の体験を解き放つが如く、とても穏やかな気持ちにさえなりました。
まるでパラレルワールド。止まった時間。
読みたかった本を読んで、自分のために体が喜ぶ料理をして、見たい映画を見て、時々お散歩をして、のんびりお掃除をして、
それでも社会復帰できなくなりそうなのが怖くて毎日サロンに行く真面目な自分にまた笑えるけど、今はこんなバカ真面目な自分も好き。
もし私が専業主婦だったらこんな生活をしたのだろうか、結婚していた時間もあったがその2年半は私にとっては苦行だった(笑)結婚していたかどうかより人生に“苦行以外“の時間はなかったのじゃないかと思う(笑)
それでも、読もうと思っていた分厚い専門書の山に手をつける時間はなかった。
今私に必要なものじゃないんだな、と思いました。
本能が拒否ってるw
そんな静かな穏やかな毎日の中で、読んだ本観た映画のほとんどに共通したものを感じました。それが私に必要なスパイスだったんでしょうね。
それは
“尊さ“
でした。
生きることの尊さ。
歴史上の人物や史実に基づく作品がほとんどでしたが、そうではない本や映画も、私が欲したものたちに共通したものは
“生きる“ということを誰かの人生を通じて伝えてくれているものばかりでした。
毎日、そうやって何かしら出会って、毎日少しずつ、この14年間で私を縛っていた何かが剥がれ落ちて
最後に見えてきたものは
「あー。私、愛してる人たちと生きていけたらもうそれだけで幸せだわ。」
美容でもいいし美容じゃなくてもいいし、世の中で評価されるような成功しなくてもいいし、有名じゃなくてもいいし、誰かと比べなくていいし、優秀じゃなくてもいい。
そう思いました。
そしたら、
「あ、私、私には美容しかないしって思ってたんだね、、、評価されるような成功しないと報われないってどっかで思ってたんだね、、、有名になっていく人を見てどこかでいいなって思ってたんだね、優秀でいたいって思ってたんだね、、、この人生の努力が報われたいって思ってたんだね。報われるってそういうことだと思ってたんだね!」
って思えたんです。で、報われるってそれじゃなくて報われるじゃん!!!!って言っている自分がいました。
「死ぬ時に、生まれてきて良かったって思える人生なら幸せ♡」
大好きな人たちと泣いたり笑ったりしながら生きていけたら幸せ。
努力が報われるかどうかより、そっちの方が大事♡
過去は関係ない、今と未来だけ。
全ての体験は、神様からのプレゼントだなーって。
その体験たちがあったから、今、そう思えるようになったんだと思うと、
陰も陽も、出来事やたくさんの感情の全ては
“与えられているもの“
誰一人として同じものはない、人生の彩りそのもの。
大いなる自然の一部の私たちは
全て与えられているのだと、心から思う今日この頃。
そうすると、見える景色が変わったのです。
今、全て与えられているだなんて残酷だと思うような出来事に見舞われている方々も当然いらっしゃいます。その方々が私たちの代わりにその体験をしてくださっているのだとしたら、
被災地の方々へも悲しい別れを体験した方々へも
心からの敬意と、
去られし方々のご冥福と、
残された方々へこれからの未来に神様の祝福のあらんことを。
令和2年7月27日
庚子 癸未 辛未
美知子
【鏡花水月】
鏡に映った花や水に映った月のように、目に見えていながら手に取ることが出来ないものの例え、知覚することはできるが現実に存在しない幻。
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帝王学の師が登壇
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