なんで帝王学なの?
お師匠様が仰いました。
この世は虚だ、
あなたが見ている全ての事象は
虚でできている。
と。
【大きなものを手放すと大きなものが入ってくる。人生は等価交換だ】
そうなのです。
先週、この1年私が何をしていたかって、
とっても長い長い独り言を読んでくださった方々、
この場をお借りして心から感謝申し上げます。
で、その後どうしたの?
ってところから、今日は始まります。
結論から言うと、
2021年1月末で24年積み重ねてきたキャリアと、
大切なお客様と、
愛したサロンと、
売り上げの全てを手放しました。
そして惜しんでいただきながら
施術者の第一線を退いたのです。
手放しました。人生で最も大切にしてきたものを。
コロナ禍で私の心理状態が世の中と逆行して、
とてつもなく穏やかで感謝に満ち満ちていた、
というのは前回をお読みくださった方々はおわかりだと思う。
それで、
本当に不思議なのだけど、
「あーもう手放したほうがいいな」と思ったのです。
2ヶ月の穏やかな休業は、人生を振り返る時間になりました。
美容業を一所懸命、愛して止まなかった、
人の輝くまでの過程をまるで花を育てるように、
種を見出し、水をやり、陽にあて、毎日手塩にかけて育てて、
愛情注いで、それで大輪の花を咲かせるのが喜びだった
自分の24年を愛でる時間でもあったのです。
初めて流れるゆっくりとした時間。
もっと言うと、子供の頃からの自分が何を感じて、
どうなりたくて、
なぜあの時挫折して、
何に期待して東京に来たのか、
何を見てこの仕事を選び、
誰を傷つけて涙して
どんな迷いの中生きていたか、
そして何を恐れていたのかも、
全部見るのに十分すぎるほど
穏やかな時間と毎日過ごす一人の世界が、
このサロンで本当は何をしたかったかを
思い出させてくれたのでした。
【全てがうまくいっていた。そして突然天地がひっくり返ったようだった】
育成を本格的に学び直したのは、30歳
離婚をきっかけに
経済事情だけじゃなくて
精神的に本気で自立したいと思ったのと
まあ、ちょっとの恨み心が
見返してやりたいと思う人たちが数人いたのと(笑)
もし私自身が自力で組織マネジメントができるようになれたら、
きっと私みたいに必死で生きてる女の子たちが夢を見て実現して、
輝くために何をしたら良いのかを伝えられるようになる、
生きる希望になる、と本気で思ったからでした。
そうこうしてると、口コミが故に
お客様のご紹介は女の子に限らず
男性も「変わりたい、人生を変えたい」
といらっしゃるようになり
お客様のみでなく
スタッフにも数名の男子を抱えることになり
私の性格的特徴もあって
概念の発見のトレーニングセミナーの
トレーナーデビューはなんと
男性グループ担当でした(笑)
先々、一人でサロンをやるころには
経営者様層がほとんどで6割男性でしたが
この頃は想像もしておらず
男性スタッフを正直言ってどう育てて良いか
男性のプライドやその方の尊厳を
傷つけてしまったこともありました。
それとは別に
男女混合のサロンは完全予約制でありながらも
いつも賑わい
イベントと言えば2ヶ月に1回
50〜60名がいつも集まって
その中からたくさんのご縁が生まれて
コミュニティとしてもとても豊かな日々を
過ごして充実していました。
2016年に西新宿に出店するに至る頃には
2012年に独立して以来ベルフルールのスタッフは
20名になっていて
正社員たちは関連サロンでの合同表彰式典で
新人賞を獲るのが誇りだったし
お客様方の授賞式では
毎回40名ほどのエントリーがある中で
私自身は10年間でグランプリも
準グランプリも特別賞も受賞者を
他が抜けない記録を打ち立てた。
10年で17名の受賞者を育んだ。
私のダイエットコーチ業の現役最後に担当したお客様が
三名とも受賞をする
グランブリ・準グランプリ・特別賞の三冠を飾って、
あーもうやり切った!
ここにいつまでも居座ってないで
次世代を育てよう!!
あとは新天地で
この技術と知識とコーチ術を部下育成に全力を注いで
彼女たちの「サロンオーナーになる」
夢の実現だけを一生やり続けよう!
と思っていました。
そして、口コミ店舗
完全紹介制3ヶ年多店舗展開の計画は
お客様からお買い上げいただけて
ご自慢くださりご紹介が絶えない人材を生むこと
”育成”
そのものでした。
ところが、
これがそんなに一筋縄ではいかない、どころか。
突然叩きつけられる現実。
うまくいき始めたと思った矢先に
スタッフたちに異変が絶えず起こるようになりました。
怠慢、引き抜き、退職
無断欠勤に、鬱療養
ネットワークビジネスの勧誘、金銭のトラブル
私の人生もやっと努力が報われ始めたなんて
絶対私には許されないことなのねと思うくらいでした。
楽をしようとしてしまったのかもしれません
悪魔が忍び寄ったと言うか。。。
「青天の霹靂」の日々
現実をなんとか乗り切ろうと無理をしたせいか
私の卵巣脳腫は2センチから7センチに膨れ上がっていて
緊急手術。
「でも今休めないから、破裂してもいいです、どうせ子供産まないし。」
って病院で言っている時
私の頭の中は今このサロンをどうすればいいのかに
占領されていて
卵巣を残すかとか子供を産むかなんて
そんなこれから先の事に関わることを聞かれても
そんなの考える時間も余裕もなかったのでした。
だけど、激痛に見舞われ、夏の暑い日に、動けなくなって、
それでも入院のための休暇スケジュールが2ヶ月取れず、
秋の始まりに手術を受けたけれど、
こんなになってまでスタッフを手放さずに
まだ育成がしたかったのは、
ただの自分の執着だったと知るのには
まだまだ時間がかかったのでした。
この直後に
今の帝王学のお師匠様に出会いことになるのですが
もしこの手術と「青天の霹靂たち」がなかったら
ご紹介してくださった時に「行ってみます」と
言わなかったかもしれない。
術後経過が悪くてもサロンを維持して給与を払うために
無理して仕事してる時にあまりに辛そうだったのか
話を聞いてくださったお客様がいて
その時に私が独学で中国古典から
リーダーのあり方を学ぶことで救われてる
と話した時でした。
「帝王学をご存知ですか?帝王を生むための学問なんですよ、
お師匠様が本物だと思ったから僕も学んでます。」
あのタイミングじゃなかったら行ってなかったかもしれない。
と今も思う。
個性の強いスタッフを好んで採用していたのは、
彼女たち彼らに、独特の可能性を感じて、
普通ではない価値観や、
そのハングリーさ、生い立ち、成長欲求、
不自由なまでに自己実現に夢を見てもがく葛藤にこそ
美しさを感じていたからで
それは、逆を見れば、
一般的な社会性を養うことも育成の重大項目に入るくらい、
個性の豊かさと常識の欠如が表裏一体だったのです。
それはまさに自分自身でした。
自分の中にある小さな傷や思いが
シンクロしていたのだと思います。
だからこそ、彼らにその未来にある可能性を感じて
ワクワクして止まらなかった。
もしかしたらこの子、すごい事になるかもしれない。って。
それは、私自身の人生の変化に伴う、
たくさんの気づきや発見、
努力と結果の過去の蓄積に反応していて、
「人生は自由に選び直すことができる気がついたらその瞬間、何度でも」
と伝える事で男女問わず
人生に向き合って自ら切り拓く努力と
チャレンジを惜しまない人材の育成ができないかと
そのためにはまず大人からだ、と。
夢実現プロジェクトの下書きができていた頃でした。
無理に売り上げを出す組織マネジメントではなく
サイクルが生まれればいい
子供たちに20年、自分の個性を引き出して、
未来を自分から切り拓くことができると教えて育てたら、
20年後、募集と育成に悩む必要はないじゃないか。。。
と思ったのでした。
20年かける人材育成、
そのために今、20年かけても現実を生きる大人たちが
まずこのように行われている事でこそ、
子供たちはその背中を見て
ただそれが当たり前の世の中がつくれるのじゃないか。。。
だからこそ、私自身が今、
ここにいるスタッフ、これから出会う彼女彼らを
導けるだけの力をつけないと。。。
そして同時に、
「私には無理」
その言葉が、何かあるたびにいつも頭をかすめて
どんなに理想や思想があっても私にその実力がなかったら、
私自身がそれをやり遂げられる人でなかったら
誰も私の言うことに耳を傾けない、
こんなもんかとがっかりしてきっと去ってしまうだろう、
私自身がリーダーとして、本物にならないと、
私の夢は実現できない。
そう思っている2017年、
11月27日
39歳を迎えて、
まだ術後の傷が塞がりきらずに痛くて仕方ない体と、
フツフツした葛藤を持って、
雨が降って寒い中、無理をしてでも何かを求めて、
秋葉原に向かった。
あるセミナー会場で
運命に導かれるように
お師匠様に出会ったのでした。
その方は、
もうすでに、
私が身につけたい全てのものを持っているように
見えたのかもしれない、今思えば。
目の前に現れた姿が、
あらゆる苦悩を乗り越えた後に纏う
微睡のような不思議な空気感と、
その奥行きにある確かな”何か” 。。。
でもその時は、何に惹かれたのかもわからず、
ただ始まって14分くらいで
「参加申し込み」に印をつけている私がいました。
人生をかけた大いなる実験
そうして帝王学を生きている方に出会ったこの4年間で
私自身の変化にどんなことがあったかは
今後お話ししていくとして
2020年、お師匠様のもとで
一緒にお仕事をさせていただきたいと申し上げたと
言うのは前回の投稿で書いているのですが
あのコロナ休業の2ヶ月間である時
ふと思ったのです。
「あ。もうやりたいこと、ここにないんだ。もう美容業で誰かの可能性を育むことはないんだな・・・。」
私自身が、あの走り抜いた20代30代の苦悩の時ほど
美容を通じて誰かの人生を輝かせることに
もう情熱がないことに気がついてしまったのでした。
その途端に、今サロンに足繁く通ってくださる
お客様方に本当に申し訳ない気持ちに
なってしまったのです。
夢実現プロジェクトが
キャッシュポイントを持たない活動で
どうやって運営していたかと言うと
美容業やコンサル業で頂くお代金を
サロンの維持費の他に夢実現プロジェクトや
テレジアの資金や人件費に当ててきたのですが
情熱をもう持っていない事に
気がついてしまった私は
これは、私のエゴのためにやっている仕事に
なってしまっているのじゃないか。。。
と、罪悪感を持ってしまったのでした。
もちろん、お商売をするにあたりは、
自己利益を追求することを否定はしません。
ただ、私自身がそもそも、
東洋思想や帝王学、商業道徳を好んで学ぶ上に、
マネジメントと自己利益を区別して
経営をすることを教えられてきたり、
giverだの利他だのと重じて育成をされてきたことも、
してきたことも、
心の心地よさになってしまっていて、
情熱が持てない仕事で売り上げを上げて、その実、
そのお客様へその事業で還元するのではなく、
他の活動に当てていることが、
まるでお客様たちに対して
愛人でも隠しているような気分になってしまったのです。
夢実現プロジェクトに稼ぎをつくることを目的としておりませんが、
お陰様で、コロナ禍にあっても年商に変わりはなく、
一般年収以上の年収をいただいておりました。
だからこそ、何か自分がやっていることが
世の中の通りではないようなザワザワした感じを
持ってしまったのも事実です。
実際には何もやましくはないのですが。。。
そしてふと。
「やりたいことだけやって、
生活のためには少々の収入があればいいか。。。」
と思った時に目の前に西新宿のデニーズがありました。
「またウエイトレスからやったっていいんじゃない?
上京した時みたいに(^^)」
て思ったんです。
なかなかの爽快感でした。
あーそうか。
もう一回人生やり直せるね、まだ42歳だし、
今まで24年頑張ってここまできたけどさ、
どうせいちいち言わなきゃ人には
キャリアなんてあってもなくても一緒だし、
足し算じゃなくて、リセット、アリじゃない?
今からもう24年、それでもまだ66歳。
もう一回更地からやり直してもまだその先、
もしかしたらまたワンクール24年もありかもね(笑)
長いねー人生って、まだあと2クールも。
こりゃ完全に今世は行だな。。。(笑)
って思ったんです。
だから、美容業をやめる事にしました。
愛してきたもの全部、手放して、
更地から、でもゼロじゃない、
上京したあの時と同じじゃない。
目に見えるものは何も残らなくても
私が魂に刻み込んだたくさんの”体験群”は
今も生々しく生きていて
それは一生消えない。
今の私からまた再出発をする。
身軽になって、
たくさんの優しい気持ちと一緒に
本当にやりたい事にチャレンジしよう。
そう、
お師匠様が仰ったのです。
「大運で戊午が律音の10年が始まるね、すごい事になるよ。」
たったその一言が、
知らない間に私の頭のどこかに残ってた。
そんなに意味はわからなかった。
だけど、また始まるんだなというのはわかった。
「またあれが来るんですね、、、」
そう呟いてる私がいました。
その時は。
”しんどそう” そう思ったから。
けど、
すごい人生を生きてきた方が、
すごい事になるよって仰るなら、
その答えが本当かどうか、
私は見てみたい。
目に見えないものを信じて、
自分の可能性が自分で見えなくても
誰か一人でも見えているのなら
その可能性を信じて、
私はまだ、自分の人生を諦めたくない。
どうせ、保証のない人生なら、
どうせ生きていかなきゃいけないのなら?
帝王学を生きたらどんな人でも開花するのか
こんな私でも開花するのか
「壮大だね」と言われる身の程知らずな夢だけど
私でも夢を実現できるのか
人生をかけた大いなる実験
そして今
2021年1月末、サロンを閉めて、
お師匠様の2300人のお弟子様に尽くしながら、
私の夢も一緒に実現するために
生まれて初めて大阪に住む事にした。
陰陽五行論塾、大阪運営に入る機会をいただいて、
まず、尽くすことができるお相手がいてくださる事に
これ以上の感謝があるだろうか
と思う日々を今生きている。
毎日があっという間で、
やり終わらない事だらけで
読みたい本も山積みだし、
大阪も4月の緊急事態宣言から
リモートで P Cにかじりつきだけど
やりたい事に向かって、カタツムリくらいゆっくり、
だけど確実に、一つ一つのことが
夢の実現に結びついていることを感じ取れる。
今、心から幸せを実感する日々を生きている。
【鏡花水月】
鏡に映った花や水に映った月のように、目に見えていながら手に取ることが出来ないものの例え、知覚することはできるが現実に存在しない幻
ってタイトルにしたのはね。
お師匠様が仰いました。
全ての事象は見る人の数だけ真実がある。
真実は人の数だけあるのだ。
その事実が一つしかなくても。
だから、目に見えないものを信じなさい。
直感を信じなさい。
世の中の基準は影響力のある誰かが
言い始めたことに過ぎないのだから。
そう仰ったことがあるのです。
ああ、そうかと思いました。
今私が創り出している現実は、1秒後にはもう過去で
そしてその時、私が何を感じて何を思っていてもそれは
誰にもわからない。
でもちゃんと、私の中では生きている。
美しい彩と共に。
すべては幻のようなものなのかもしれない。
だったら、美しい世界を信じて生きていたい。
誰もが、自身の中にある、内なる情熱に目覚めて
夢の実現に生きる喜びを知る世界を作りたい。
その夢がどんなにささやかなものであっても
それを描くその人の命が輝くのなら。
叶わなくてもきっと、
その途中で命尽きるのならそれが本望。
そう思いました。
だから、私は最後の瞬間まで、
鏡に映る花や、水面に浮かぶ月を眺めて生きていたい。
ただ、絶対に、現実に地に足をつけて。
実業を成すこととともに。
そして影響力を持つまでに成長できるだろか。。。
それはやってみないとわからない。
だからこれは宗教ではなく
帝王学なのだ。
辛丑年
壬午月
癸巳日
美知子
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