回想 & 一区切り
はっきり云って、Noteに小説を載せるほど身はすり切れる。
無料公開の作品に、命は擲てないだろう。てきとうに。てきとうに。そうおもうほど、創る力は腐ってしまう。命の火をかきたてながら、創ることが肝なのに、冷気に命を漬けて、火を葬っている。
しかし、Noteで試みたことは、現代への道を築くことであった。
私は4編『快刀乱麻』『汽車ごっこ』『蛙は風になる』『珍客』を載せた。けっこう駄作だと思う。自分のなかで窮めて良くない時期に書いた作品である。だが、自分の位置付けとしては、不可欠な4作だった。
あるひとつの悟りから、死を乗り超えること。
死を乗り越えて、日常に還ること。
日常に還り、自然に身をゆだねること。
自然に身をゆだねてから、熱意を恢復すること。
この4編により、私は自分の道を建て直したように感ぜられる。
仮に読者のひとりに、死にたいと苦しむ者がいたら、4編ぜんぶ読んでみることを勧める。もしかしたら、何かの鍵をみつけるかもしれない。私は、先ほど駄作と書いた。これは、文のつたなさをもって、駄作と書いたのである。私が、あの4編に据えた思想には、それなりの自信がある。
4月から全く別の態度を以て、Noteに向かおうと思う。(こんなNoteへの宣言、誰が読むんだ?) 羞らいがなくもないが、ともかくも一区切りである。
ひとつずつ、自分のしたことに意味づけることは、自分の過去から生命力を享けることかもしれない。すべてに意味はないと知りつつ、それでも意味から命の火をかきたてられる、こんな矛盾にふるわされる三月の夜。
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