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旅立つ人を想ふ


ある日、子供に
お母さん仕事の時に、
死んだ人を見て怖くないの?
そう聞かれた。

私は、少し考えて
怖くないかなって答えた。

怖くないけど、
すごく寂しいよね。
と続けて答えた。

子供たちにしたら、
死んだ人=幽霊・おばけみたいな認識だ。

核家族で、
人の死を間近に経験する事も、
昔に比べたらないものね。

未知の世界だもん、
あなたの知らない世界だもん
怖いと思うのは普通だよね。

もうすぐ死ぬよって言われたら、
そりゃ誰だって怖いよね。
私だって怖い。

┈┈┈┈┈


看護師という仕事をしていると、
人の死というのは避けて通れないもの。
これまでたくさんの人の最期を見送ってきた。
看護師は人の死に慣れてると言われるけど、
慣れているのではなく、
人の命は永遠でない事に、
納得して向き合える様になったのだと思う。

今思うのは、
人生最期のゴールをした人の
旅立ちを見送るという感じが、
自分的に1番しっくりくる。

人生最期の旅立ちは様々。

短くとも長くとも、病気と懸命に闘った人。
急に旅立たなければならなくなった人。
自分で旅立って逝ってしまった人。

これまでたくさんの旅立つ人を見送ってきたけれど、見送る時の気持ちは変わらない。


┈┈┈┈


病気と懸命に闘病して旅立った人とは、
その過程を共にしていて、
病人という側面以外の事も知るし、
良い時も悪い時も知っている。

病気って得体の知れない恐怖心を抱かせるものでもある。
まだ生きたい、
もうやだ逝きたいと言いながらも、
そんな恐怖や苦痛と懸命に向きあった人たちを忘れられない。
最期まで闘いぬいた人は、
すっきりと穏やかで安らかな顔をしている。
そして、
なぜか思い出すのは、
その人の笑顔だけだったりする。


私が看護師になって、
初めてエンゼルケア(死後の処置)をした人は、自ら命を絶った人だった。
入院していて、外泊中に自ら命を絶ってしまったのだ。
看護師としてひよっこもひよっこだった私は、何でよりによって初めてのエンゼルケアが、そんな事をした人なのかという思いで、
怖いという思いしかなかった。

処置グッズを震える手に持たされて、
師長さんとその人の元へ。
震えながら目の前にしたその人の表情は、
何とも言えなかった。

安らかなのか、苦しいのか、
正直わからなかった。
今、思い出してもわからない。

残されて泣く奥さんと子供たちを見て、
どうして自ら命を断ってしまったんだろうと考えてしまって、しかたがなかった。
自ら何か決心したのか、
病気がそうさせてしまったのか。

その選択や結果を責める事はできない。

考えても本当の答えなんて、
もう誰もわからない。

ただ、
残された人はずっと、
急にいなくなってしまった大切な人への、
どこにも向けのようのない想いとともに
生き続けるのかなと思った。

その人が、苦しみから解放されて、ただ穏やかで安らかであると良いなと思う。

私はただの看護師として、
自ら命を絶った人のケアもするのだけど、
自ら旅立った人たちの顔も、
残されて哀しむ人の顔も、
なぜか忘れられない。
今だにずっと。


そしてもう1つ忘れられないのは、
13年前の震災での光景だ。

あぁ、人ってこんなにあっという間に
不可抗力に消えてしまうものなのだと。
こんな天地がひっくり返る様な、映画みたいな事って起こるんだと。

若いとか年寄りとか関係なく、
生きたいとか死にたいとか、
そんな考えや選択も許されず、
そんな間もなく、
人って消えちゃうもんなんだと。

私はあの時、幼い娘と生き延びて、
今を生きている事は奇跡なんだなって。
そして、存在しているから今が続いているのだなって。

自分の死生観が変わった時。

だから最期まで生き抜かなきゃならないと、
強く思えた。

なぜ産まれたのか、
なんのためになぜ生きてるのか、
その意味を問い続ける人もいるけれど、
今は、
生き続けていく中で、その意味が生まれてくるものだと思っている。
だから、生きていかなきゃわからないのかもしれない。


┈┈┈┈┈┈


死は必ず訪れるもの。
死んだほうが楽だとかマシだとかは、
わからない。

死んだ事がないから。

死んだからって、それがわかるかもわからない。

何か番狂わせが起こって、
明日死んじゃうかもしれない。

待ってればいつか必ず、
嫌でもゴールの白いテープか見えて、
旅立つ日が来る。

人生にはたくさんの小さなゴールがある。

受験に合格した。
就職が採用になった。
恋人が出来た。
結婚した。
子供が産まれた。

でもそれはゴールな様でゴールではなくて、
何か達成しても、
その後から後から色々な試練がある。
悩みも尽きない。
人生はそれの繰り返し。
おもしろいし、しんどいね。

人生は長い長いマラソンの様だと言う。

ちょっと早く走ってみたり、
休み休み歩いたり、障害物を乗り越えつつ、転んでもまた立ち上がって、歩いたり、走ったり。良い時も、良くない時も…。

そして人生最期のゴールに、
みんな辿りつくんだろうなぁと思う。


┈┈┈┈┈┈


そんな事を少し砕いて話して、
子供たちに伝えてみた。

だから、
頑張ったねって、言ってあげたいよね。
お母さんは仕事の時、
その死んじゃった人が、
頑張ったのを沢山見て、
一生懸命生きていたのを知ってるから、
そういう思いでお別れするんだよ。
けれどやっぱり、
もう目の前からは居なくなっちゃうから、
会えなくなるから寂しいよね。
でもまたいつか会えるかもしれないって
思ってるよ。
って。

子供は、
ふーん。って聞いてた。
そりゃ、ふーんだよな。

これから色々な経験や出会いをして、
色々起こる中で、
いつかこの話した事が
何かどこかで、
ふと浮かんでくれるといいなと思う。

私も人生走りきって、
ゴールした時は、
お母さん良い顔してるねって、
良い顔で旅立ったねって
見送ってもらいたいな。

なので今日も1日めいっぱい生きる。













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