大純はる著『日野根の王』感想
先日、Noteのつぶやきで、
以下のコメントを頂きました。
(文字数3,760)
という依頼があったので、
『日野根の王』の感想を書きたい。
『日根野の王 』
(室町戦国文庫) p294
大純はる著 2024/11/16
だが当方が何かの感想を書くと、
誠に申し訳ないが、
単なる感想にならない事も、
予め申し上げたい。
期待したものと,
全く異なるかも知れない。
それは最初に申し上げておく。
(ご不快にさせる意図はないが、
驚かれる可能性はあり。誠に申し訳ない)
大純はるさんは、当方の小説や記事をある程度、
読まれているようなので、不思議な話をしても、
大丈夫かと思うが、今回その対象になるので、
御覚悟の程、幾ばかりか計り知れない。
漫☆画太郎の漫画『珍遊記』並みにぶっ飛んだ
仏教ファンタジー『玄奘の旅』辺りから、
当方の小説をお読み頂けているようだが、
この流れで、ご自身の小説の感想を、当方に、
依頼するとか、どれだけ秘密が暴かれるか、
御覚悟の程、幾ばかりか計り知れない。
『玄奘、西天取経の旅に出る』
脅かすのはこれくらいにするが、
この記事はネタバレなので、
未読の方で、これから『日野根の王』を、
読む予定がある方は、リターンして下さい。
まず大純はる(おおいとはる)さんのご紹介だ。
歴史、小説、音楽、サッカーが好き。
室町時代の歴史小説等を書いてます。
村上春樹、司馬遼太郎、稲垣足穂、仁木英之、伊東潤。
Eminem、Coldplay、R.E.M、川本真琴。
ヴィッセル神戸、奈良クラブサポ。
★kindle書籍販売について、
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上記、プロフィールから転載だ。
主に室町時代の歴史小説を書いている。
射程範囲は、室町時代から
戦国時代くらいだろうか。
足利尊氏とか、応仁の乱にも
興味があるかも知れない。
ただ誰もが知るような日本史の有名人より、
当方も知らない歴史上の人物を取り上げる事が多い。
(ゲーム『信長の野望』とか好きなようだ)
そのため、
歴史的な事象の知識的な検証はできない。
起きた出来事が正しいかどうか、当方も、
分からない事は、予めご了承頂きたい。
室町時代については、当方も、
一編だけ短編小説を書いた。
1477年の豊島氏の滅亡だ。
練馬区の照姫祭りを見て書いた。
シン・聊斎志異
『てる姫のこい(日本語・英語・フランス語)』
なぜか英訳・仏訳しているが、御愛嬌だ。
あと足利尊氏について、書くかもしれない。
ビオイ・パラレロイ
『サダム・フセインと足利尊氏』
予定としては、これくらいだ。
室町時代は正直、得意ではない。
(日本史は外国の歴史のように感じる)
それに対して、大純はるさんは、
室町時代を得意とし、沢山書いている。
当方は室町時代を、こんなに書けない。
室町・戦国三都小説集:
六丁の娘/花、散りなばと/北風の賦
(室町戦国文庫) p254
大純はる著 2024/9/4
歴史小説を書く時、誰でも、得意な時代、
苦手な時代があり、得手不得手が生じる。
フランスの国民的歴史作家、
マックス・ガロ(1932/1/7~2017/7/18)
の小説を読んでも、それはある。
マックス・ガロは、日本で言えば、
司馬遼太郎のような存在だろう。
アカデミー・フランセーズのイモータルだ。
当方は、よくマックス・ガロと
ピエール・ブリアン(1940/09/30~)
の本をよく読む。
ピエール・ブリアンも、イモータルで、
古代ペルシア史を専門とする。
アレクサンドロスの著作・研究で有名だ。
マックス・ガロの話に戻すが、
フランスの国民的歴史作家なので、
フランス史を担当せざるを得ない。
そのため、得意ではない時代も書いている。
ただマックス・ガロのジャンヌ・ダルクの小説は、
まるで見てきたかのように描写されている。
特に序章の火刑による処刑シーンは凄まじい。
このまるで見てきたかのように、
生き生きと描写できる事は重要で、
歴史作家の真価が問われる。
マックス・ガロも全ての歴史小説で、
そういう描写ができている訳でもない。
どちらかと言うと、平凡な描写も多い。
流石に全時代をカバーできないという事だろう。
だからフランス史の重要人物を取り上げた。
あくまでも、当方の考えだが、霊的に言って、
(そういう話は受け入れられないという方は、
本題まで飛ばしてよい)
マックス・ガロが過去世、生きた事がある時代は、
生き生きと、小説で描写できると思う。
だからジャンヌ・ダルクの時代、マックス・ガロは、
過去世、生きていて、実際に目撃した可能性がある。
無論、当方に他人の三世を見通せる霊能力はないので、
単なる推定に過ぎない。間違っている可能性もある。
第三者検証性がない話なので、こういう話は、
全く意味がないと考える人もいるかも知れない。
それでもあえて、言うなら、室町時代を、
これだけ書ける大純はるさんは、過去世、
室町時代に生きていた可能性は高いと思う。
そういう前提で『日野根の王』を読んでみると、
色々と気が付く事がある。恐らくだが、
大純はるさんの過去世の体験も入っている。
(具体的にどれとは言えないけど)
さて、具体的な感想に入ろう。本題だ。
当方は、第六章に大変注目している。
特にP159から171までだ。
モズと呼ばれる矢野在清(やのありきよ)が、
シギという娘に、見事にはめられる話だ。
このシーン、とても面白くて何度も読み返した。
いわゆる、祭の夜、神社の裏で、という話だ。
このテーマ、実は当方もずっと考えていた。
日本では、こういう事が1,000年以上続いている。
男女がどこでくっつこうが、知った事ではないが、
コレ、日本神道の闇の奥に通じる道があると思う。
神社の裏というのは、異界に通じている。
もののけが隠れている。民族神が隠れている。
ゲルマンの深くて暗い森ではないが、
ヤバイ場所だ。
祭の夜、神社の裏で、
男女が、というのは、
今ではもうないかもしれないが、
相変わらずエロゲとかの題材にはなる。
ただ面白いのが、大純はるさんが、
かなり話を捻っている処だ。
シギという娘が、モズという男に近づき、
有り金全部、巻き上げた話だ。頂き女子?
とにかく、跡取りがいない。
男の兄弟がいないとシギは言い、
それでも私を抱いたのだから、
親に挨拶に行くのが筋と言う。
困ったモズは、
いやいや、一夜の出来事じゃないか、
これは風流だよと言うと、
シギはきっとモズを睨んで、
お待ちしております、
と捨て台詞を吐く。
モズは逃げたかったが、
逃げられない状況が発生し、
結局、シギの親とモズは会い、
上司に報告すると脅されて、
モズは有り金を全部、
渡す形で、解決する。
この話、よく出来ている。
本当にあったような話であり、
生き生きと描写されている。
しかもこのエピソード、
全体の話から独立しており、
モズは主人公でもない。
一登場人物だ。
誠に失礼ながら、コレ、
大純はるさんの体験ではないか?
過去世かどうか、定かではないが、
実によく出来ている。傑作だ。
庶民の日本史の1シーンとして見ても、
このエピソードは日本性をよく示している。
当方も『シン・聊斎志異』で、散々、
日本人の卑怯な性質、民族性について、
アメリカ人からの視点で指摘した。
不意打ちの日本史というテーマで書いた。
大純はるさんが、どういう意図で、
このシーンを書いたのか知らないが、
インスピレーションはあったのだろう。
仮に似た話が他にあったとしても、
このエピソードはよく出来ている。
日本について、考えさせられるシーンだ。
ここだけでも読む価値があると思う。
皆さんも大純はるさんの『日野根の王』を、
アマゾンで買って、読んでもいいと思う。
当方からのお奨めだ。
『日野根の王』全体に関して言えば、
復讐劇というお話になるが、
形としては、出来ていると思う。
世にある小説の水準に達していると思う。
特に違和感なく読める。自然だ。
当方には書けない小説だなと思う。
当方は日本人であるが、
ある意味、日本人ではないので、
日本について語る時、どうしても、
外国のような感じがしてしまう。
どうしても、この国になじめないのだ。
言葉がホントに通じない。外国語?
日本人は独特な世界に生きている。
その典型が、日本神道であり、その世界観だ。
当方は日本の民族神の9割以上に、嫌われている。
だから神社にはもう近づかないようにしている。
北野武監督の映画『首』を観た時も感じた事だが、
日本って、ホントこういう世界だなと思う。
映画自体はよく描けているけど、やっぱ嫌だなと思う。
当方が注目する日本人の一人で、西郷隆盛がいる。
いつか西郷さんのお話も書いてみたいと思う。
この人、日本神道系の魂じゃなくて、
もっと古い日本人の魂を持っている。
『ホツマツタヱ』の大神に連なる系譜の人だと思う。
本当の日本男児とは、西郷隆盛だと思う次第だ。
ま、坂本龍馬もいいけれど、
アレは当方と同じ外国の魂だ。
そもそも日本人の魂じゃない。
だから維新の回天ができた。
勝海舟も好きだが、
この人も日本人じゃない。
どちらも世界史的人物だ。
日本は9割、日本人の転生者から、
構成されており、残り1割ぐらいが、
外国からの転生者だ。馴染めない。
当方もまた別の国に生まれ変わるが、
Noteで日本の皆さんと交流できた事は、
とてもよい事だと思っている。
当方、変わり者ではあるが、
引き続き、宜しくお願い致します。
あ、大純はるさん、すみませんでした。
以上