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行基菩薩 et le pont arc-en-ciel

 遍(あまね)く広がる大宇宙、黄金の大車輪が回転していた。
 だがよく見ると、それは黄金のクラウド上の釈迦大如来だった。
 周囲に無数の仏がいる。仏の大群が、星雲のように、重なっている。その全てに、大日如来とか、阿弥陀如来とか、薬師如来とか、御名が付いているが、もうよく分からない。仏の親戚の大群だ。
 その遥か下の方の下界で、金人と首皇子が大仏の前で、何か話している。
 「あの者たちを助けるのだ。東の国に大仏を建てよ」
 釈迦大如来がそう言うと、右手に巻物を出した。作業指示書だ。
 「……御意。これより一菩薩として、かの地に降りまする」
 マッチョな如来が現われて、その巻物を受け取った。中身は細密な図面だった。3DCADみたいなイメージが流れて、如来の頭に吸い込まれた。読込完了だ。如来は一礼し、東の国に降下して行った。宇宙からの降下作戦だ。

 若い行基は、法相宗飛鳥寺の道昭に師事していた。
 なお道昭は若い頃、遣唐使で海を渡り、三蔵法師、玄奘に師事した。
 「……あの方は西域求法の旅に出た。天竺までの長旅だ」
 道昭は唐での玄奘の思い出を、若い行基に語った。
 「そなたは梨の人に似ている。あるいはアレは未来のそなたかもな」
 玄奘は目を細めて言った。若い道昭は首を傾げた。
 「……梨の人?」
 「昔、西域を旅した時、飢えてな。だが一人の僧が現われて梨をくれた」
 それから体力が回復して、玄奘は旅を続けられたと言う。不思議体験だ。
 「それから、西域のとある国で岩から掘り出した大仏の前に辿り着いた」
 岩山を刳り抜いて造った紅い大仏だった。
 バーミヤンの大仏だ。今はない。回教徒に爆破された。
 「それを見て、何としても天竺に行かねばと思いが募った」
 だがヒンドゥークシュ山脈越えは、筆舌に尽くせない苦しみがあった。
 「……だからこのお経は海を越えて渡ってきた。いや、天竺から来た」
 二人はお経を見た。
 玄奘には申し訳ないが、やはり新訳より、旧訳が良かった。
 「大仏は天竺にもありますか?」
 「……いや、聞いていない。ないのではないか?」
 道昭はそう答えた。玄奘から、天竺で大仏を見たという話は聞いていない。若い行基は考えた。唐には大仏がある。本朝にもぜひ建てたい。
 「百済から伝来した土木建築の法を教えて下さい」
 実は二人とも渡来系で、先祖は百済から来ている。エンジニアの家系だ。
 それから師弟で土建に従事して仏国土建設に励んだ。勿論、法も説いた。
 「道を開け!橋をかけよ!土建こそ救世だ!土建は仏の慈悲だ!」
 道昭は、ちょっと変わっていた。
 だが若い行基は心服していた。何も間違っていない。
 しかし世間は厳しかった。飛鳥寺の方針に反していると言われたし、役人からも睨まれた。朝廷が定めた僧尼令があり、僧は祈祷するだけで、伝道は禁じられていた。ましては、勝手に人を集めて、土建を始めるとか、朝廷的に在り得なかった。
 道昭は、飛鳥寺の外に出る事が禁じられ、止む無く行基が寺の外に出た。
 ――こんなの間違っている!だが師匠と同じやり方ではダメだ!
 691年、24歳の時、高宮寺で受戒して僧になった。この寺は葛城山の近くにあり、役小角の修行場にも近かった。行基はここで禁欲修行して、霊道が開けた。霊能者になった。これ以降、行基は三世を見通す力を持つ僧、と言われるようになる。
 700年、師である道昭が72歳で亡くなると、704年、37歳の行基は飛鳥寺を出た。師の思想を受け継ぎ、土建と仏法で本気で世界を救えると考え、大衆教化に乗り出した。勿論、法律違反である。役人に見つかったら、只では済まない。棒で百叩きだ。
 701年、大宝律令が制定され、運脚夫(うんきゃくふ)が地方から都まで長旅をして、租庸調(そようちょう)を納めるようになった。だが途中で行き倒れて、草葉の陰から見守る者になったり、思い切って、野盗にジョブチェンジする者が出るなど、社会問題となっていた。
 「身包み全部置いて行け!有り金も全部だ!」
 山の街道で行基は、ブッシュワッカーに包囲された。だが手に持つ武器は、こん棒や竹やりで、誰も金属製の武器を装備していない。元々、運脚夫だったのだろう。都に納める筈だった重税に手を付けて食い詰めた、どうにもならなくなった連中だ。貧しい。
 「……悪い事は言わん。今すぐやめろ。仏に帰依するんだ」
 行基は三人の男を見た。過去世に仏縁がある。二重写しに前世が見えた。だが今は悪心を抱き、不成仏霊に憑依されている。そこの草葉の陰から見守る者だ。赤黒い無念が渦巻いている。
 「なにおう!」
 リーダー格のブッシュワッカーはいきり立ったが、襲って来なかった。
 「……お前の心に迷いがある。本当に僧を襲っていいのかと」
 指摘すると、男たちはたじろいだ。
 憑依する悪霊たちも、全く同じ顔をする。シュールだ。
 「……それはお前の仏性であり、過去世で仏の教えを学んだ証だ」
 二人の男が互いに顔を見合わせている。リーダー格の男は動かない。
 「……我らは仏縁に寄りて、今世再び巡り合った。仏に帰依せよ!」
 行基が錫杖を横凪ぎにはらうと、光に撃たれた不成仏霊たちが外れた。悪霊の憑依から解放されると、三人の男は大人しくなって、その場に跪いた。両手を合わせて合掌する。そして行基は言った。
 「……そこな草葉の陰から見守る者たちにも告げる」
 目に見えない者たちに声をかけた。男たちはキョロキョロしている。
 「……汝らの無念、拙僧が預かり、弔う故、直ちに成仏、帰天せよ」
 行基が錫杖を縦に振り下ろすと、不成仏霊も手を合わせて消えて逝った。
 「坊さん、何者だ?死者の霊が見えるのか?本当に弔えるのか?」
 行基は黙って頷いた。本来、僧は霊感がないと務まらない。あの世が分からないといけない。だが飛鳥寺でも、職業僧侶は沢山いた。だから土建の法を説いたのだ。霊が分からないなら、せめて信徒と共に汗水垂らして世のために働け!それが仏道だ。
 「すげぇ!坊さん、ホンモノか?俺たちついていくぜ!」
 カリスマ誕生の瞬間だった。
 行基はこのように荒くれ者を治めて、傘下を増やした。
 
 話は逸れるが1917年ロシア革命時、レフ・トロツキーが、地方で単独行動していた時、武装した強盗団に襲われたが、トラックの荷台に登り、アジ演説をかまして、強盗団を折伏し、その場で部下に任命して、引き連れた英雄行動がある。やっぱりマルクス主義はアヘンだ。

 行基は、運脚夫の社会問題を解決するため、事業を興し、街道沿いに布施屋を次々建てた。街道で行き倒れる者を防ぐためであり、治安の観点から防犯性も持たせた。
 行基のこのアイディアは当たり、やがて全国に広がって行った。この頃から、行基の土建屋としての救世活動も盛んになり、数々の工事を請け負い、圧倒的な民衆の支持の下、建設した。
 当然、国も黙っていない。行基は役人に見つかって、棒で百叩きの刑にあった。だが土建で鍛えたマッチョな行基には通じなかった。この程度では死なない。ついでに弟子の分まで引き受けた。
 行基は生きる伝説になりつつあった。朝廷は行基小僧と蔑んだが、民衆は行基菩薩と持ち上げる。流石に国も具合が悪かった。これではまるで悪代官である。対立の構図は続いた。
 だが思わぬ事が起きて、行基の土建屋としての救世事業がストップした。
 735年、伝染病が流行り出した。天然痘だ。これは人から人に伝ると分かったので、土木工事は無理になった。止む無く、疫病が治まるまで待つしかない。だが状況は想定を遥かに超え、あまりに多くの人が逝き、斃れて死んだ。平城京は骸で溢れた。埋葬さえできない。
 この状況は1348年、西欧がペストで、ネクロポリスになったと状況と同じだった。
 「行基様、本当に大丈夫ですか?このままだと皆、死に絶えます」
 元ブッシュワッカーで、弟子の一人が、心配そうに尋ねた。
 「……大丈夫だ。必ず止まる。感染の上限は、人類の半分までだ」
 「それって、つまり、人口の半分まで持って逝かれるって事ですかい?」
 行基は頷いた。止める方法はある。
 信仰だ。仏に対する帰依だ。だが信心が足りぬ。
 「……今こそ大仏を建てたい。もう小手先の土建では救えぬ」
 「大仏?大きな仏像を造るんですかい?意味が分からないんですが……」
 「……人が信心を起して、神仏に祈ると後光が出る。この光が守るのだ」
 行基の眼には、人のオーラ、後光が見えた。信仰心を持つ者が、神仏に祈ると、天と繋がり、光が増すのだ。一種の通信だ。この光が全てのマイナスの存在から守る。魔なる存在から守る。回教徒は偶像崇拝と蔑むが、本来仏像等に向かって手を合わせる事は、凄い意味がある。
 「……唐では疫病は目を持つと言われている。感染症は不信仰者を狙う」
 中国古典だ。信心深い役人の説話だ。
 疫病は信心がない人を好んで憑依する。悪霊の一種だ。
 「大仏を造ると、人々の信心が集まって、集団で光が出るようになる?」
 行基は頷いた。目に見えない仏を、目に見える形にしたのが大仏だ。信仰装置と言ってもいい。一種の増幅器で、天まで通じている。実は仏壇、人のお墓だって、原理的には同じだが、大仏だと出力が桁違いだ。ピラミッドだって、本来墓ではなく、アレも星辰の門だ。
 741年、転機が訪れた。聖武天皇が自ら、行基の元まで尋ねてきた。何と大仏を造立すると言う。これはもう運命だった。天の采配だった。乗らない手はない。その場で承諾した。
 だが行基も73歳であり、時間との戦いになりつつあった。それでも相変わらずマッチョだったので、最後のもうひと働きと言わんばかりに、大仏造立のPMを聖武天皇から拝命して、金策と人材集めに全国を奔走した。この時できた日本地図は、行基図と言う。江戸時代の伊能忠敬に塗り替えられるまで、使われていた古地図だ。
 本当に凄い男だった。聖徳太子、空海に次ぐ日本史No.3の英雄だろう。
 「金が採れなくて困っている」
 ある時、行基は聖武天皇から相談を受けた。
 すでに行基は大僧正になっている。
 「……分かりました。御仏にお祈りしてみましょう」
 天平期、日本では金は未発見だった。だが行基が祈ると、749年金が採れた。陸奥国遠田郡涌谷(宮城県遠田郡涌谷町)で砂金が出た。749年、行基は亡くなった。

 大仏の完成を、行基菩薩、もとい行基如来は、虹の橋から見ていた。
 天竺僧が大仏開眼師を務めていた。ボーディセーナだ。一瞬、天を見上げて頷き、視線が合った。アイキャッチだ。
 二人は前世から縁がある。カピラヴァストゥで共に誓った誓願は、今ここに成就した。二人とも釈迦の直弟子だった。
 天界では、首皇子と聖徳太子が、大仏の前で談笑していた。
 目が青い尼僧もいる。
 「Regarde, le pont arc-en-ciel!」(見て、虹の橋!)
 仏語だ。仏の語と書く。なぜ?仏と関係がない。
 行基如来は、観覧車のように、エスカレーターのように動く虹の橋に乗って、天界をゆっくりと上昇していた。星界が見えて来た。回転する黄金の大車輪が見える。釈迦大如来だ。降下作戦は成功した。これが行基菩薩et le pont arc-en-cielだった。
 
            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺057

奈良の大仏 3/3

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