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大学受験で落ちる感覚を体験してみよう受験のリアル(現役編)
お久しぶりです。しゅーといいます。
現在2回目の大学1年生をしています。
以前の記事でご紹介した通り、私は大学受験で2回本命の大学に落ちています。
レベル感で言うと偏差値60ほどの自称進学校から地方の国立大学を目指して2度落ちているという感じです。
はっきり言ってnoteをやっている皆さんは私よりも学歴が高い方が多いと思うのでこんな恥ずかしい体験を書きたくありません...
しかし、もしまだ高校生とかで大学受験を経験したことが無い人にとっては、大学受験ってどんな感じなんだろうと思っていると思います。どんな合格体験記を見るよりも気を緩めず勉強しようと思える内容になっていると思います。
僕の学生時代を想像して読んでもらって一緒にほんとにリアルな不合格を体験して欲しくて書いています。
こんな人生歩んでるやつもいるんだなって感じでどう思うかは人それぞれだと思いますが、おそらく体験したいとはならないと思います。
結構長いし、暑苦しく語ったんで現役編、浪人編と分けるつもりです。
落ちるとこだけ見ても良いんですけどそれだけじゃ面白くないと思うので最初から読むと、なおよし?!
ーーー本編に入りますーーー
そもそもなぜ、その高校に行こうかと思ったのかを言うと単純に家から非常に近い高校で家から歩いていけるし、その時間を使って勉強すればいい大学もいけるだろう思っていた。
中学生当時の私はとくに行きたい高校もなかったため学力的にも少し頑張れば行けそうだと思える高校に進学することにした。
結果は内申点もあり、余裕の合格!
合格当初は嬉しくて、俺はなんでもできるんだという根拠の無い自信に溢れていた。
(今思い返すと相当恥ずかしい)
こんな感じで高校に入るも中学からの同級生は女子ばかりで男子は自分一人だけだった。
結局うまく人と繋がることが出来ずに帰宅部にもなってとくに高一高二はやること無く終わっていった。
色々と部活も勉強も真面目に取り組む文武両道系の高校だったので部活をやっていない私は勉強で頑張る以外にポジションをとる方法がなかったのだ。
その期間にも色んな行事があって似たような境遇の仲間達と放課後遊んだり、寄り道したりそれなりに楽しむことができたのはいい思い出ではある。
クラスでの成績は目立つ訳でもなくだらだら過ごしていたが、
高校2年時の
定期テストでクラス1位学年5位(全320人中)
を取ってしまいそこから注目されるようになってしまった。
普通に自分自身もとてもびっくりした。
この時は大して勉強をしていたわけでもなくこんな高い点数を取れてしまったから周りの持ち上げ具合に自分もちょっと天狗になってしまい、そこからは下降する一方だった。
もちろんそうならないような努力はしていたつもりだ。逆に三者面談でも担任からはこのまま頑張れば北海道大学も狙えるねと言われ勉強はますますやる気十分だった。
しかしもうこれ以上やってもこれ以上の成績は取れないという、誤ったバイアスに支配されていてなにかとサボりがちであった。
よくある定期テストでは頑張って模試では結果が出せないタイプの人間だ。
しかもこの時はみんな部活で忙しい上、定期テストの勉強をまじめにやってるやつなんてほぼ居ない。
順位とかの名前は紙に貼り出す学校だったんで不思議とみんなから勉強ができるやつとしての地位を確立していったのを覚えている。
課題の答えを要求されたりするのが頼られてるようで嬉しかった。みんなから信頼されて楽しい高2だった。
という感じで、高2までは順調に進んでいった学園生活でしたが、高3のクラス替えの時期でクラスの雰囲気に馴染めなくなってしまったのだ。
ある人のいじりがクラス全体に悪影響を及ぼす感じで、「この大学狙えないやつとか生きる価値ないだろ〜www」「こんなとこ目指してても意味ないってww」とか人に自分の考えとかを大声で言っちゃうタイプ。
高三にもなって他人の成績や受験校に口出ししてくるやつはろくでもないと思う。
私は受験校に貴賎はないと思うし、生き方も人それぞれでいいと思っている。
みんな受験生になってやる気もどんどん上がって来たのにクラスの士気下げるようなこと言う奴らが多かった。自分は無理してそいつらに合わせなきゃと思っていたのかもしれない。
合わせる必要なんか全くないのは分かってたし、そこで笑っていないと次は自分が標的にされるのが怖かった。
その嫌なクラス替えから半年間は自分では割と頑張っているつもりだった。
しかし一向に成績は上がらない。
わたしが目指していた第1志望の大学は私の高校ならみんなが目指すような地方の国立大学だ。
それなりに難しく世間からの評判も高い大学でそこを目指し必死に勉強しているはずだった。
共通テストの配点が高く、簡単に言えば共テ次第で合格はほぼ決まってしまうようなところなのだ。
ここで受験生に伝えたいが共テははっきり言って得意不得意がかなり別れると思う。
クラスメートで定期テストはダメだけど模試ならすごい出来るやつは共テがすこぶるいい傾向にあるのだ。
しかし一方で模試より定期テスト!って感じの人はあまり共テでは高い点は望めないことが多い。
たまにどっちもいける天才もいるがそいつらはライバルじゃない。
私の共テは数学が特に訳分からん状態であり、得意な英語を除いた他の科目はどれだけ対策しても5から6割程度のほぼ博打状態であった。
普通に大門丸々全部0点だったりなんかもよくあった。でも基礎がなかった訳では無いし、形式に慣れていなかった訳でもない。
なぜ共テに私がハマらなかったのだろうか。
それはやはり、私は情報処理の能力を見て試されている近年の入試トレンドについていけなかったのだろう。
共テの成績はずっとD判定ばかりでなんにもうまくいっていないし自分にもいい加減嫌気がさしてくる。
周りの模試得意組のヤツらは「今回の倫政が満点行けそうだった。」「はい易化あざす笑」「うわー総合8割切ったー詰んだ笑」とかを常にほざいてるのだ。模試の自己採点の時くらい静かにしててくれ。
これを無下に扱うのは難しい。自分も必死についていかねばという使命感に駆られるが、もうすでに燃え尽きた気持ちで机と向かう。同じ合格を目指す上でライバルに負けてるのは悔しい。
共テは悪くても2次試験ではA判定を連発していたので共テさえ伸びれば、共テさえ良けれ合格すると思っていた。 私自身だけでなく、後から聞いた話、周りの人もみんな合格するだろうと思っていた。
しかし最後の共テ本番を想定した模試でも6割に届かず510点くらい成績で、私の焦りはますます高まった。
どうにかしてあと1ヶ月弱の時間でこの点をあと100点くらい上げなければならない。
経験者ならわかると思うが現役生は1月の共テ当日、いや試験直前まで点数があがり続ける。
共テ対策もそこそこにして本番にかけたい気持ちもあったが、やるしかなかった。
こんなところで受験を終わりたくはなくてそこから加速するように勉強した。
1日で起きてる時間は勉強するくらいの気持ちだったが、その時にはもう完全にやる気が削がれてしまっていた。
彼女が同級生と浮気したり、人間関係のしがらみが勉強の妨げになったのは間違いない。
受験生は恋愛しない方が身のためになる。
私は塾には通っていなかったため、近所にある図書館や公共施設で勉強をしていた。
入塾も検討したが、親に負担をかけるのが申し訳ないと思って東進に相談だけしてやめた。
言っておくが何かしらの塾には入っておいた方がいい。
12月くらいになると高校も自習をさせてくれる。冬の講習も何コマかとっていたがほとんど行かなくなってしまった。どーせやっても無駄と思い始める自分の悪い癖が出ているからである。河合の冬の講習だけ何コマか取った。
その勉強も共テ前に近づくほど手につかなくなってくる。ペンを持ったのは最終的に共テの5日前とかであった。暗記系に頼っていた。
勉強するふりをして家を出たこともあった。
本番が近づくにつれどんどん勉強をしなくなっていき、メンタルも変になってくる。
布団に入って早く明日を迎えたいのに一向に眠くならない。私は大事な日の前にはしっかり準備をしてからサプリだったりスマホを控えたり、軽い運動でよく眠れるようにしていたのに。
人生の方向性が決まると言うありえないほどの緊張感で前日はあまり寝られず、当日を迎える。
雪がとても降り積もった綺麗な朝だった。
会場の北海道大学まで車で送ってもらった。
会場にいるたくさんの受験生を見てもっと勉強しとけばよかったなと思う。
緊張はするがまだ何とかなるという高校入試に受かった時の根拠のない自信が脳内でリピートされる。
1日目、2日目と科目を受けている間はさほど緊張しないが休み時間や試験前のあの永遠とも感じられる待ち時間はとても緊張する。
そして試験終了。
まあ案外行けたかもと思った。
そんなに悪い科目はないと思った。
試験後、別の高校の仲良い友達と2人でカラオケに行って各予備校の解答速報をみる。
友達はかなりの馬鹿なので数学はすっぽかして1科目分すっぽかして先に街にくり出ていた
先に私が解答を言って採点させ、私が大爆笑する流れができた。
「やば、地理30点ww」「総合で4割くらいなんだけど詰んだーww」って感じでカラオケルームで大爆笑した。
同じような言葉でも私の高校の人たちとは違うその言葉に心から笑えた。
試験も終わって気が楽になったのもあっただろう。
その感じで私も採点してみた。カラオケルームで叫びながら採点してみた。結果は総合点555点ちょっと。自己ベストではあった。最後の模試より高いし意外と取れてたから嬉しかった。
家に帰る途中の電車で、判定がある程度予測できるがこれだとD判定ということがわかった。
世間は厳しいと思った。
翌日、学校に行き点数をまた採点する共テリサーチというものがあった。その頃には自分は誇れるような点数でもないのがわかっていた。
みんな7割付近を取っていた。
もうこいつらと合わせる顔もないくらいに思っていたが、彼らは会心の出来だからお互いを褒めあっている。「お前2次で3割だけ取れば受かるじゃんwww勉強すんな、もうペン持つなよよ!」とか「もう志望校決まっちゃったわ笑」とか私の傷口をえぐるような配慮のない言葉が飛び交っていた。
周りの成績に対して口答えする奴らが軒並み余裕の合格圏内の点数を出していて何にも言えず、ただ見せつけられた点数の差に悔しくてしょうがなかった。
担任との面談もあったが正直なにを言われたかも覚えていない。たしか別の大学を志望するように言われていたはず。
自分が一番やばいことを自覚していたから他の人の言葉なんて入ってくるわけなんてない。
いつも一緒に帰る同じくらいの点数の友達もいたがそいつはもう俺より先に帰って行った。あ、多分よくなかったんだろうなと思った。
後日談だが、そいつは最後に面談する予定だったが担任に忘れられて怒って先に帰ったらしい。それでいいのか担任。 そいつも一緒の大学を受けて落ちた。
いろいろあったがその日の帰りのことは鮮明に覚えている。
溶けてベシャベシャになった雪の上を1人で半ベソかきながら帰った。疲れてもうヤケクソになっていて、セブンオリジナルのカップ麺を5つくらい買って家で泣きながら爆食いした記憶がある。
悪い夢でも見ているみたいだった。嫌なことから逃げようとして、どんどん自暴自棄になっていく。
後日ふたたびの三者面談で今後の進路について話し合いをした。今の成績で行くと過去の先輩でも逆転合格をした人が1人だけいるけど厳しい戦いになると思う。〇〇は2次の成績いいからオススメはしないけど挑戦もありだと思うというものだった。
私は当初から(今も)浪人はしたくなかったので、地域内で通学できる私立を2校受験することにした。
どちらも国立の準備に時間をかけていたので赤本も解かずに舐めてかかった。
私立の結果は国立の試験日より早くわかる。
一つ目に受けた私立は合格した。とりあえず大学生になれることは決まったので、親と握手。試験の手応え的に特待の奨学金もあるぞと思っていた。しかし実際は下から10番目で結構やばかった。
もう一つのところには落ちた。ほんの3点差で。2学部を受験して落ちた。正直微塵も落ちるなんて思っていなかった。余裕で受かるとしか思っていなかった。その大学は私の高校では落ちる人はいないくらい合格者が多く、落ちた人は恥ずかしくて言えないくらいの雰囲気だった。
むろんその結果がわかったのは2次試験の前日2/24日である。
もう後がないくらい追い込まれていて毎日のように通っていた。
街中の勉強スペースに向かっていた。その2/24日も行ったがたまたま第一志望が同じのクラスメートがいて、そういえば今日〇〇大学の合格発表じゃん、みる?と自ら聞いてしまった。
その時は受かる気しかなかった。その子も受けていたのでまずは自分が和ませようと思い先にみる。少しは緊張しつつも流石に受かってるっしょ!と思いログインパスワードを入れて見てみると、画面には不合格の文字があった。一瞬時が止まる。なにが起きたかわからなくなる。その3文字が読めなくなるのだ。
ただ気まずいのは嫌なので「落ちてたんだけどwwどうしよ〜w」と言ってなんとか場を凍らせないようにした。
その友達も「じゃあ〇〇の方が頭いいし俺も落ちてるかも」と言って、結果合格していた。腹立つー。
なんにもフォローできてねーよおい、と思いながらその友達は明日に向けて前泊するわ〜と早めに帰って行った。相手も気まずかったんだろう。
共テの点でも負けてるし部活でも活躍してたし俺にはなにができるんだよ!
せめて今日くらいは残ろうと思ってちょっと遅めに帰った。親にはごめんと謝った。「あした頑張ればいいんだよ。〇〇は頑張ってるよ」と言いつつも、親のがっかりする顔を見て申し訳ないと思った。
予期せぬ敗北で布団の中で交感神経が高まりまくってあまり眠れなかった。焦燥感と明日への不安で頭が同じことを考えるのをやめれない。
各科目何点取ればいいみたいなことを何回も考える。
いつのまにか寝ていて目が覚め、そして迎える国立2次試験当日、朝早く準備し無事に会場に着く。今日全部出し切って合格すれば全部チャラだと思っていた。
人生を決める試験前に武者震いがする。
長丁場の試験も終わり、気づけば外はもう暗い。試験疲れで重くなった体を立たせるとふらっと倒れそうになる。たくさんの受験生のいろんな表情を見ていた。
試験の手応えは微妙だ。正直半々くらい。最低点でもいいから滑り込みたいと思った。
でももうここに来ることは無いかもなと会場を後にした。
それからはいろいろな人と最後の高校生活を過ごした。卒業式も解放された顔してみんなで集まれた。
卒業アルバムの寄せ書きでいろんなことかいてもらえて、意外とこのクラスも悪くなかったかもなんて思ってしまう。
1週間前くらいから合格発表がチラついてソワソワし始める。
時はすぎ3月6日
朝7時
もう少しで自分の進路が決まる。
落ちたら最初に受かった私立に行くしかないし、受かったらラッキーくらいに思おう。
そう思うが合格発表の1時間前くらいからドキドキが止まらない。じっとしているのが難しい。自分なりだけど努力してきたから。
体感としては五分五分くらいだ。二次で英語が上振れていたら受かる。
10時
大学ホームページにいき、発表特設サイトをロードする。
自分の番号は身に染みるほど覚えた。
ただ番号はなかった。
その瞬間に、自分の心がどこか遠くに行ってしまう気持ちになり、ものの見事に5分くらい固まってなにも考えられなかった。
時が止まると言うのは誇張じゃない。実際に止まっているぐらい尋常じゃなく長く感じる。
徐々に現実世界に戻ってきて自分がしてしまったことの重大さを実感する。
周りはどうなったんだろうと考える、浮かぶこと全てが嫌に思えてくる。
死んでやろうかとも思った。
生きているだけで負け組になったような気がして居ても立っても居られない。
この落ちた事実は一生覆らないからだ。
私が落ちるなんて誰も予想していなかったと思う。
私もそうだ。
ここで、根拠のない自信が(確信に変わりました)ほんとに根拠がないことがわかった。
思考するのをやめれたらどれだけ楽かと思う。
ただそれは敗者にしかわからないだろう。
この時点で私は勝負に負けたことが決まった。
LINEには〇〇大学どうだった?という感じの通知が何件かきていたがそんなの言いたくもなかったのでしばらく黙ろうか迷った。
なんとかこのことを忘れたかったがでも別に浪人が決まったわけじゃないしまだマシかと前向きに捉えて事実を伝えた。
今思えば合格発表が卒業式の後でほんとよかったと思う。
後からわかったことだが、その年はなんとうちの高校から私が落ちた大学に最も多く受かっていた年であった。前日にあった友達も受かっていた。教室で自分勝手に騒いでいた嫌いなやつらもみんな受かっていた。もう誰にもあいたくないし、なにもかも苦しかった。生きることがしんどかった。
居場所がなくなった気がして、その日は一日中布団にひきこもっていた。
1週間は家から出られなかったし、外に出ると負けと言われているようで完全に気分は最悪だった。
もう完全に全部負けたんだ。なにもかも。
そう思うと自然と涙が止まらなかった。
今まで抑えてきた分も全部流れていった。
泣くだけ泣いてどうにか自分を保った。
結局僕は別の大学に進学することになる。
というかそれしか選択肢がなかった、、、
その話はまた今度後編でしたいと思う。
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ーーーー後編へ続くーーーー