見出し画像

大学受験で落ちる感覚をリアルに体験してみよう(浪人編)


お疲れ様です。しゅーといいます。


前回の投稿からしばらく時間が空いてしまいました。(しばし大学生活を満喫していました)


みなさま現役編は読んでいただけたでしょうか?

あれは、かなり字数もあったので長かったと思います。


読んでいただいた方はありがとうございます。


↓まだ読んでいない方は是非こちらから↓


さてここからは
大学不合格→入学→休学→再受験→???
という地獄の1年間がスタートします。


それでは後編の始まりです。


⚠︎なぜか文末がだ、である調で書いてしまってるので多めにみてほしいです。



結局、現役時の私が受かったのは私立の一校だけで、入学手続き日の限界まで浪人するか進学するかを迷っていた。


以前の記事でも書いたが、そこは外国語学部でかなりの苦戦を強いられた。

読みたい人は読んでみてほしい。

私はいつからか大学についていけなくなった。



大学に入学して前期の授業が終わってもまだ、第一志望に落ちたという失望感と学歴コンプレックスに悩まされていた。


途中から大学の講義にも行かなくなり、単位も全然取得できず、成績も下から5番目くらいになってしまった。


なぜそんなに単位が取れなかったのかは上の記事に書いてある。

記事をまとめると学校が家から遠いのとやりたい勉強に興味が持てなかったからだ。


てな感じで5月くらいから大学から徐々にフェードアウトして、前期の成績発表の日になんのために勉強しにきたんだろうと絶望した。



もうこの大学に居れるわけがないし、第一志望の大学に落ちたことが振り切れず、もう一回チャレンジしたいという気持ちがまた点火した。


不合格の時点で沸々とそれは心の中に湧いてきたのだが、この成績発表(おそらく8月も終盤らへん)でもう決意は固まった。


今のまま大学に通っても結局ダメだと。
どのみち留年する。ような気がした。
この頃から大学に通うのが億劫であった。

そして休学することにした。

休学にはいろんな手続きが必要だ。

まず、1番大切なのは親を説得することだ。

後期の授業が始まるまでにこの手続きを終わらせなければ学費50万がパァになってしまう。


我が家の両親は意外と寛容で喧嘩もすることなく休学には許可をくれた。


あまりにもやる気のない息子にもう一度チャンスを与えてくれたのだろう。

まず誰でも休学して再受験に臨めるわけじゃないから親にはいくら感謝してもしきれない。


何かしらの形で親孝行したいと思う。


親の了承を得たら、その次は学部長との面談があった。学部長は授業で面識があり、クラスの担任の人だったのでかなり気まずかった。


もう少し授業に来れたら単位あげたのにねぇ、みたいなことを言われたけど、今はそれどころじゃない。

私立だったけど自分が通っていた学部はその地域では1番のレベルではあったので、あまり休学(退学)で辞める人がいないらしく驚かれもしたがこれも最終的には私の再受験を応援してもらえた。


こうして私は休学(他大学を目指して退学を見込んだ)することができたのである。

当初の私のこの休学を決めた瞬間の嬉しさと言ったらなかった。 

休学理由をカテゴライズするなら
仮面浪人(今の大学に通いながら、別の大学を目指すこと)だ。

私は休学を挟んでいるため現実には仮面浪人ではないのかもしれないが、、、

でも休学していても落ちたところをまた目指してこそこそ勉強しているので仮面浪人だと多めに見てほしい笑.....


仮面浪人のメリットには休学を挟まなければ前の大学の単位が次の大学の単位に認定されることなどがある。

自分を変えるための唯一残されたチャンスが
その浪人という何者でもない時間だ。


はっきり言って毎日がプレッシャーだった。


結局は休学をしながらの仮面浪人でしたが、これは学費の節約という点でも良かったと思う。


休学をすると後期の授業料は払わなくて済むからだ。その分を他の参考書なり自分の学びたいことにつかえる。

こう聞くと聞こえはいいがそれは全くの嘘だ。

現役の時より圧倒的な時間と知識があるのに仮面浪人生は油断してしまう。

理由は仮面浪人はもうすでに居場所があるからだ。基本大学に受かるまで大学生にはなれない浪人生とは気の持ちようが違う。中途半端だ。


そもそも一度落ちた大学なのだ。去年の努力以上のことをしなければ受かるわけがないのだ。


浪人という字面からも浪する人、あらゆることに妥協してきた有様なのだから勉強ベースの生活をしないとダメなのである。


休学をした時はもう9月に入るくらいだった。

あと5ヶ月くらいで現役生たちに追いつかなければならない。


まず私は家での勉強はあまり好きではなかったので、休学をした日にいろんな自習室を調べた。


最初は塾に通うことも考えたが、今からでは到底ついていけないし、何より周りの浪人生(友達も含む)から白い目で見られるのが怖かった。


そして駅から近くにある有料の自習室を親に頼み込んで使わせてもらった。(月1.5万)


そこの自習室は24時間空いていて、会員カードをかざせばいつでも自由に利用でき、Wi-Fiも使えるし、ジュースやコーヒーが飲めてとても便利だった。

自分のような浪人生もチラホラいたが、フリーランスで仕事をされている方が主だった。

みんなが自分の座りたい席に座って、自分のやりたいことを取り組める最高のスペースが私に与えられた。

この環境で絶対に合格してやると思っていた。


まず何からやったらいいのかは明確にしていた。


最初に必要なのは数学だった。

去年の成績で見ると共テでも二次でも数学の点が圧倒的に足りていなかった。

自分でできるところは自分でやって、苦手なことは他人に任せるというのが私のポリシーだ。


そこで数学は受験界の神である河野玄斗さんに教わることにした。
河野玄斗さんの経営している勉強サイト(stardy)で見つけた。

はっきり言って受験は英数国の主要3科目がバランスよく取れれば落ちることはまずないのだ。

河野玄斗の講義を受ければ数学の神になれると思っていた。

自分の貯蓄と親の出資で講座代約20万円を払った。

講座は確かに効果があった。
基礎が身につき、数学に必要とされる思考力、計算力、ひらめきが彼の上手な伝え方でみるみる伸びていった。

数学に関してはもう安心していた。

私は文系国立志望なので、共通テストは5教科8科目を受ける必要があった。


実は、現役で大学に入った5月くらいから世界史の勉強を密かにやっていた。


現役時は日本史選択だったが、世界史に変更した。

理由は日本史は漢字が多すぎて見ていて疲れるからである。



というのは半分冗談で半分ほんとだ。


本当の理由は共通テストの世界史選択の満点の多さだ。

日本史より圧倒的に点が取れやすいことがデータに出ていることを阿修羅さんという東大理Ⅲをずっと受験し続けている方のnoteでみた。


なんでも私は国際系の学部にいたし、グローバルな物事に関心があった。

世界で起きている複雑な情勢をテレビで眺めているだけで理解できないのはなんかもどかしかった。


そのため世界史は受験勉強というより教養という意味合いが強く、あまり勉強している感じはなかったかもしれない。


天性の才能などあるわけがないことは、不合格の時点で十分わかっていたが、それでも浪人生というのはプライドが高い。

時間が有ればたくさん点が取れるような気がしてしまうのだ。


誇り高きサイヤ人ならぬただの浪人生である。
妥協することしか知らない。


毎日起きるのは9時くらいで自習室には11時前くらいにはつき、6時までは自習室に篭るような生活を基本毎日していた。


時には本当に気が許せる友達とご飯やストレス発散でカラオケに行くこともあった。


そうでもしないと気が狂いそうだった。

やはり人と過ごすことはかなり大切なんだと実感する。人は1人では生きていけない。


仮面浪人なんて誇れることじゃない。

インスタはアプリを消したり、周りが楽しそうにしてるものを見ないようにシャットアウトしていた。

SNSも浪人生には心が病む。私は高校生の時にInstagramを始めた。だが、現役時の合格発表が出た日にはアプリは消して見れないようにした。

受かった人達は周りの目も気にせず、ストーリーなどで「今日から遊べる人〜?!」「〇〇大学合格した!受かった人大学でもよろしく!」みたいな投稿がたくさん挙げられる。

周りがみんな私の行きたかった大学に受かっていて、ストーリーやその人のプロフィールに書いている、その大学を省略して書いたローマ字などを見る度にメンタルがやられていった。

現実として受け入れたくないことは見ないほうがいいのだ。


話は変わって、勉強の指標となる模試のことについて

高校の時のように浪人生には学校が準備した模試は用意されていない。

なので自分で申し込み、東進、河合、駿台の共テ模試を受けた。

結果は悪すぎて覚えていない。
東進の共テプレだけは自己ベストを超えるくらいだったが、他はそれ以下だった


つまりここ2ヶ月くらいの勉強では全然ダメだったのだ。

まずいかもと思い始めた。

だが去年とは明らかに違うやる気があった。
この時期10-12月はちゃんと質と量のどちらも確保した勉強ができていた。

長いようで一瞬でその年が終わった。

共テの演習がまだ完璧じゃなくて年明けからは大急ぎで取り掛かった。

共テは対策に時間がかかるし、マーク式だから自分の思ってる答えと少しでもずれてたら全く点にならないのが面白くない。


そう文科省に思いつつも、国立の大学に行くには必要なのでこの時は毎日、日替わりで一つの科目を何年分も演習して復習していた。

点数に一喜一憂せずなんの問題をどういう理由で間違えたかを頭の中で整理していた。


時はあっという間に過ぎて、


そんなこんなで共テ前日を迎える。


その日も自習室にいき、5時くらいまで対策していた。

駅近くのローソンでブドウ糖のinゼリーとホットアイマスクを買った。

家に帰って明日の準備をした。

会場は去年と同じく北海道大学。

いろんなニュース番組を横目に気持ちが高張る。

その日は体調に気を付けて気をつけまくった。

なんせ共テでは体力、集中力、忍耐力が必要だからだ。

11時くらいには布団に入ったけど全く寝れない。こんなにホットアイマスク意味ねえのかよとか思ってきた。目覚めてくる。汗もやばかった。

なんとか寝れたのが1時くらいで6時半に起きた。まあまあ最悪の出だし。

まあ徹夜よりマシだし俺よりコンディション悪い人もいそうと思って布団から出た。

朝食と身支度をして、会場に向かう。

この日は父親が車で送ってくれた。

雪が降り積もっている北大。その日は快晴で、寝不足なことを忘れるほど気分は心地よかった。

開場前なので玄関前には多くの受験生がならんでいた。北大志望で浪人していた友達もいた。
そいつと軽く挨拶をして教室に向かう。

そいつも同じ教室だった。去年に関しては席が隣同士だった。
ちょっとリラックスできたので良かった。


なんだこの偶然!?とか思いながらテストに臨む。

1日目は文系科目で手応えとしては悪くなかった。結構ウキウキして親には今年は受かりそうって報告した。

肝心の2日目

理科はいけたが数学が全くわからなかった。半分も取れていない感触

まあよくわかんなかったけど、そんな心配するほどでもないって感じで会場を後にして友達と合流した。


この時は開放感がすごくて遊びたい気分だったから、去年と同様のアホ友達(大学は5月から一切行かず、大学の時間だけ家から離れる親不孝)と一緒にすすきのど真ん中にあるマックに行った。

有名なニッカウイスキーの看板や街並みを見ながら初めてベーコンレタスバーガーを食べて感動した。あの時のワクワクした気持ちは死ぬまで忘れないだろう。

そのあとは近くのカラオケに行って自己採点をした。去年と違って友達はもう自己採する必要がないからスマホを見てた。

緊張しながら解答速報をみて1人で採点する。

結果を先に言うと

世界史63
倫政64
国語130
英語R70
英語 L75
生基35
地基37
数学IA 27
数学ⅡB 42
の合計551点だった。




あまりにも悪い...

採点途中から動悸が止まらなくなる。
最後に数学の採点をした時にはもう生きている心地がしなかった。

カラオケ屋のトイレで泣いた。

自分を否定されているようでしばらく出てこれなかった。

友達には悪いけどすぐ帰ることにした。
もう一刻も早く家に帰りたかった。

家までの帰路はずっと下を向いて泣いていた。友達も察してくれたのか何も言わず横を歩いてくれた。

家の前まできて親に申し訳ないと思ってまた泣いた。

どうだった?と聞かれたけど、ダメだったとしか答えられなかった。

風呂場でも自分の部屋でも泣いた。
生きている心地がしなかった。
思い出すだけで胸が締め付けられる。
辛いと言うより苦しい時間が二次まで続くことが耐えられなかった。

どこにも行きたくないけど、どこかへ消えてしまいたかった。

よく聞いたことがあるセリフが浮かぶ。

自分が存在する意味ってなんなんだろうかと
希死念慮が芽生えてきた。

人生の中でも1番の苦痛を経験した。


父親もいろんな出願校を見るように勧めてきた。

レベルを下げれもっと他の国立公立大学があったが浪人のクソプライドで見てもいなかった。


道外で一人暮らしなんて絶対できないような気がしていたのも理由だろう。


こんな点数でも去年落ちた私立の共テ利用には受かる可能性があることも教えてくれた。


正直点数が低すぎてそんなわけないと思っていたけど、私立は2.3科目さえ点数が高ければいけるらしい。


ということで、私大(去年は✖︎)で行きたかった学部の共テ利用を3つほど出願した。

去年のボーダーで見れば2学部はギリギリ合格圏内で1つはチャレンジ枠


この時の自分はどこにも受かるわけないと思って部屋に引きこもってYouTubeでつまんない動画ばかり見ていた。現実逃避ばかりだった。 


学歴に関する動画が出てきたら逐一非表示にして見れないようにしたりしていた。


そんなどうしようもない状態だった自分にしっかりとしたデータで選択肢を見せてくれた父親には頭が上がらない。


共テリサーチも終わって去年より今年は易化していた。


第一志望は余裕のE判定だった。


もうあまりやる気はなかった。


ただここでも父親の助け(過去問を大量印刷してきてくれたり、30年前の赤本を買ってくれたり)して、本番に向けいつも通りの冷静な自分を徐々に取り戻せて行った。


去年以上の過去問の徹底的な復習で自信もついた。


2/24

先に私立の結果が出る


公式のwebサイトに入り
1学部だけ受験番号を入れた。


すると全ての学部の結果が一気に出た。

見るのが怖かったが


結果は全て合格。


正直飛び上がるくらい嬉しかった。


こんな点数でも受かることに驚いた。


とりあえず今の大学は辞めれそう。
(これが1番大切)


いいスタートが切れたと思った。


そして気づけば国立2次試験の2/25
だらけることもあったけど、自分なりに去年以上の努力と根性で戦えてきた。


会場は遠いので、6時には目覚めるよう早めに就寝した。


この日も父親に送ってもらった。
雪道の運転は怖かったけど無事に会場に到着した。


人がたくさんいるし、教室は寒かった。去年も思ったけど建物がボロすぎて集中できない。


数学が簡単に作られているので、ここで8割近く取れれば受かる可能性がグッと高まる。


英語は記述式で苦手だったが、持ち前の英語力でなんとか自分の中では納得できる出来栄えだった。


そして、2時間目の数学では完全解答の部分は全部自信を持って解けた。


案外取れた自信はあった。
おそらく去年よりは高い。
でも一個だけ信じられないようなミスに気づいた。


中学生でもわかる公式を間違えてしまった。
しかしすぐに試験終了の時間になった。


この瞬間にほぼ、不合格を確信した。


汗という汗がとめどなく全身を流れる。


頭の中が真っ白な状態で自分の魂が抜けていくのを感じた。

廊下を出てトイレに行くが自分がやってしまったことで落ち着かない。

なんとか汗が引き、老朽化で馬鹿みたいに寒い廊下を通って身体がとても冷えた。


おそらく人生で味わいたくない瞬間の一位だろう。

その後の国語はなにも覚えていない。何点だろうがここから巻き返せる自信がなかった。




試験終了。

去年も思った、もうここに来ることはないだろうという感情。


今年は二度とこんなとこ来てやるもんかと思った。


試験後、LINEで家族が会場まで車で迎えに来てくれていることを知った。


父親が自分を探しているのが見えて、結果を聞かれる前にダメだったと教えた。

よく見れていないが悲しそうな顔をしていたと思う。

母も弟も無理に私を励まそうとしてくれる。


私は長時間の試験で疲れていた。


全ての試験が終わってから


身体的にも精神的にも、、、


車に乗った直後からだるくて体に力が全く入らなくて足を伸ばしていても全く休めない。ずっと無気力なまま助手席に乗っていた。体も重い。


夕食はなんとなくで入ったパスタ屋さんだった。

ここまで泣かないでおこうとしていたけど、トイレでまた号泣してしまった。

家族にもおそらくばれていたと思う。


その後は、僕の母校にひと足先に合格していた弟と一緒にゲームをしたり野球を観に行ったり、旅行をしたりして他のことに気を紛らわせていた。


2週間くらい自分主体で家から出ることはできなかった。

やっぱり世間から負けと言われているようで外に出られない。


でもその日はやってくる。


合格発表の日


朝10時3分

受験生サイトに入り貼られている番号をみる

10434

自分の番号はなかった。
見た瞬間から自分の次の番号しか無いのがわかった。

2度目の大学不合格 


心臓のバクバクが止まらない。

頭を抱える。人生はなんて辛いんだ。


辛すぎて、泣こうにも泣けなかった。

13時30分、母親が外出から帰宅。 自分がどんな時でも慰めてくれる。

お昼ご飯にドーナツと中本のカップ麺とヨーグルト買ってきてくれた。泣きながら食べた。


母も一緒に悲しんでいた。
上を向いて泣いていた。

現実を忘れたくて寝ようとしたが、
寝ようにも寝れず言い表しようのない感情になった。

弟帰宅、俺の様子を見て察する。ペンの走る音がして母が不合格を伝えているのだと思った。 


昼から夕方まで無心でゲーム。ほぼ負けた。気分が落ちている時こそ負ける。
なんにも勝てねえ。

ため息をつきながら、俺の人生は終わったと思い、胸が苦しくなる。 なんなんだこの人生。

SNSでとめどなく溢れる合格の文字。 
見ていられなかった。

なんとか夕食を食べて風呂に入る。

涙が出ると喉が渇くからずっと水と氷を食べていた。そして体が寒くなる。
布団とトイレの繰り返し、ため息ばかり出る。

社会に戻りたくないと思った。

夜23時頃

父親が帰宅。

なんでこんな遅いんだよと思ったが、父が我が家を支えてくれている。俺が今日まで頑張って来れたのも父のおかげであると思った。

自分の部屋でスマホを見ていたがすぐに一階に向かった。

ドアを開けると、スーツ姿に冬用のアウターを着た父の姿があった。

普段通りに見えたが、すぐに左手を伸ばし握手を求められる。

私が水を飲もうとすると、父から熱い抱擁をかわされた。そしてこう言われた。よく頑張ったと。

この時に父は泣いてて僕も泣いてしまった。

その様子を母親も見て泣いていた。
涙が止まらない。
自分のことであんなに泣いたのは初めてだった。

去年の悔しさを晴らせなかった分余計に悔しい。

父は僕の努力が無駄になることは絶対にないと約束してくれた。

父も若い時、学歴で悩むことがあったらしい。

だけど仕事で結果を残してくうちに、そんなこと気になんなくなったらしい。

でも〇〇はまだ辛いよな。時間が解決はしないかもだけど、徐々に良くなってくからと教えてくれた。

二浪はあまり世間の評価は良くないからやめた方がいいことと、もう学歴だけで評価される時代は変わりつつあること。

この一年頑張ってきたからより悔しいのはわかると言ってくれた。

一緒に頑張ってきたから、そして最後まで辛そうな俺を支えてきてくれたから父も俺以上に悔しかったんだと思う。

ほぼ毎日休まずに働いている父。
休日も毎日自習室の送迎に来てくれた。

あと絶対に自分を卑下するなと教えてくれた。これは大切だけどまだ自分には難しいかもしれない。


共テが悪かった時も父はまだ諦めずに応援してくれた。
二次がダメだった時でも。
そして今日も。


そんな父みたいな人になりたいと思う


____________________________終


ここまで読んでくれた方、、、、
本当にありがとうございます🙇‍♂️

あの日から約1年が経ちました。

最初は辛いこともたくさんありましたが、今では浪人失敗しても、心から良かったと思っています!!

案外なんとかなるもんです。



この先もいろんな記事を書いていきたいので、、、、いいねd(^_^o)とか押して貰えると励みになります!!!

最後まで読んでくれてありがとうございました!!!
























いいなと思ったら応援しよう!