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『生物と無生物のあいだ』ノート

福岡伸一著
講談社現代新書

 福岡伸一の本を取り上げるのはこれが2冊目である。1冊目は『芸術と科学のあいだ』で、今年の3月3日に投稿した。
 
 この本は前回取り上げた本とは違い、実験科学的な内容が主であるが、著者のアメリカでのポスドク時代のことから書き起こされており、そこここに書かれてある自伝的な内容も興味深いものがある。

 著者は、〝生命とは要素が結合してできた構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果〟で、生命というものはこの〝動的平衡〟で成り立っているという。
 このシンプルで転換的な生命観を人類が真の意味で発見したのは、1930年代後半のことで、発見したのはルドルフ・シェーンハイマーというドイツ生まれのアメリカの生科学者である。彼は窒素より中性子が1個だけ多い重窒素を追跡子(トレーサー)として、生物実験によって精密なマクロな現象をミクロな解像力をもって証明したのである。

 私たちの身体はタンパク質や脂質といったミクロの粒でできているが、これらの粒々は機械の部品のように固定されているのではなく、ものすごい速度で日々交換されている。今日、自分の身体を形作る粒は明日には壊されて排出され、食べ物に含まれる新しい粒に置き換えられる。
「生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。」(本書P164)

 また別の視点からみれば、生命の営みはエントロピー(乱雑さ)の小さな状態を保つことにあり、エントロピーの小さな物質(食物等)を摂取することによって、エントロピーの増大を防ぐのであるが、それが年齢を重ねることや病によって、それがうまく働かないようになるのである。生物の死とはエントロピーが徐々に増大し崩壊に至る過程とも言える。
「そして、エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなくて、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになる。」(本書P166)
 粒がたえまなく流れながらも、私は私であるという〝同一性〟を保つ仕組み、つまり変わりつつ不変を保つのが〝動的平衡〟であり、生命のそのものなのである。

 仏典では生命現象のことを、「如如として来(きた)る」と表現しているが、それに相通じるものがある。
 福岡伸一の著書は実に面白く示唆に富む。

 この本は、講談社の読書人の雑誌である『本』の2005年7月号と2006年3月号から2007年6月号に掲載された内容を一冊の本にまとめたものである。事ほどさように、大手出版社が発行するPR雑誌は内容が濃い。

〔余談〕講談社の『本』は、新潮社の『波』、岩波書店の『図書』と並ぶ月刊のPR誌である。いまはどれも有料だが、私は職場の中にある書店で見つけると、「いただいていいですか?」「どうぞ持って行ってください」というやりとりで毎回(!)ただでもらっている。お金を払おうとしても、店長は「持ってって」と受け取らない。
岩波書店の『図書』は、昔は一冊10円だった(ような気がする)。今は年間購読料が税込み・送料込みで1000円である。いまは岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」で読むこともできる。

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