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人生という旅路で交わる者たち

2021年の夏から通っていたESL(英語を学ぶクラス)を卒業した。といっても、8月〜翌年5月で1タームの授業はこれからも続くので、この日が最後だと先生に伝えて行かなくなるだけだ。

週に2回、風の日も雪の日も、開講しているシカゴ郊外の図書館へ向かった。すごく頑張っていたように聞こえるけど、仕事や体調を優先してサボることもたくさんあった。低血圧の朝はいつも行くかどうか迷っていた。

通い続けた2年半の月日は、私がシカゴ郊外で過ごした時間とまるまる重なる。なんとなく中学、高校みたいに3年で終えようかなと思っていて、これからは、英語「を」学ぶのではなく、英語「で」学ぶフェーズに入るつもりでいた。

それなら何がいいかなぁ、とぼんやり描いていたところ、急にこの土地を離れることが決まって少し計画が早まったのだった。

ありがたいことに、私が通ったESLは無料で自由に参加できる。だからこそと言えようか、英語を学ぶ共通点を軸に、いろんな人の人生が交差する不思議な場所だった。


一時期、隣に座っていたロシア人男性のダニールのことをよく思い出す。初めて挨拶したとき、やさしいのに射るみたいな目で見るんだな、と思った。とても寡黙で、ディスカッションのときも、慎重に丁寧に、英語も誤りがないように、少し気を張って話す人だった。

少しとっつきにくい印象の彼も、回を重ねるうちに自分のことを少しずつ話してくれた。ロシアから移住したばかり。母国では医師をしていたが、アメリカでは免許や英語力の問題で到底むずかしい、妻と子どもがいるから他の仕事をしないと、と続けた。

移住した理由を、ダニールは「不信感が募ったからだ」と言った。私はその真意をあまり深くは追及せず「アメリカで見るニュースは、母国で伝えられている内容とは違う?」とだけ尋ねた。

ダニールは「ぜんぜん違うよ」ときっぱり答えた。ずっと一緒にいた両親や友人と信条が合わなくなったんだ。そう話すときの表情は寂しさと諦めがまざっていて、でも自分の選択には誇りを持っているような、つよい人だった。みんなに知らせることもなく、いつのまにかクラスには来なくなった。

地域柄、ここ一年でESLにはウクライナやロシアから移住してきた人たちが多く参加していた。それぞれの事情を抱えて。みんな言語を学びながら、パートで仕事を始める。生きていくためだ。

小さなデバイスの中で見るニュースは、どこまで真実なのかと怖くなった。そして、クラスメイトが話す体験はきっと真実なのだろうとも思った。昨年、私がSNSの使用頻度を減らしたり、抱えていたものを次々と手放したりしたのは、彼・彼女たちとの交流があったからかもしれない。

その気付きや変化について、もう少し細かく言語化もできそうだけど、あえて言葉にはせず、心の深層にとどめておきたい。長い時間かけて身体の細胞が変わるみたいに、クラスメイトの言葉を通した体感もまた、ごく自然な形で自分の中に染み込んでいった。


ESLの最終日、1月生まれの人を祝うパーティーに、私の送別会も兼ねてくれた。フードやドリンクが並べられる中、「To Mica」と書かれた封筒が置いてある。みんながメッセージを寄せてくれたカード。

さみしいよ、また会えるといいね、と言葉を交わしても、そのような機会はなかなか訪れないことを、私たちはよく知っている。毎日、同じ空間で過ごした中高生時代の友人でさえ、今どうしているか知らない人がほとんどだ。

けれど、繋がるときは、またちゃんと繋がることも知っている。期待も執着もない、前触れもない、予想もできない、神の采配のような展開で。人はそれを縁や奇跡と呼ぶ。

図書館を出る別れ際、みんなが大きく手を振ってくれた。Enjoy your journey!と添えて。いつものバイバイではない、出航する人に向けたような「さよなら」だった。同じぐらい大きく手を振り返す。

journey、と頭の中で反芻する。人生という旅。身体ひとつで、どこまでもいける旅。乗り越えていく旅。どうか元気でいてね。祈りにも似た気持ちを飲み込む。この切なさもまた、やがて私の一部になる。

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Mica
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