手放しと探求の先に
シカゴと日本の時差はマイナス15時間。31日の朝。タイムラインを覗くと、紅白の様子や年末年始のご挨拶が並ぶ。あけましておめでとうも、お誕生日おめでとうも、私にとっては、いつも2日間に渡って交わされる言葉だ。
日本で暮らす母から「あけましておめでとう」とLINEがきた。みんな寝てしまい、ひとりで紅白を観ていたという。父とワンコと暮らしているはずなのに「みんな」という言葉が引っかかった。
尋ねると、兄夫婦が泊まりに来ているらしい。元旦には、私の従姉妹一家が来るとのこと。4人の娘と孫がいる従姉妹。両親を早くに亡くしており、叔父にあたる父が親代わりになっている。総勢20人以上のお客様になるそう。想像以上に賑やかで、なんだか安心した。切り盛り、がんばって!
こちらは雪です、と外の景色と子どもたちの写真を送った。「家で大人しくしてなさいよ」と返事がくる。地元ではほとんど雪が降らない。母にとって雪は珍しい出来事、家で安全にしておくものなのだろう。お母さん、シカゴの冬は3年目、もう慣れっこだよ。
2023年、私事を振り返ると「がんばらない」をがんばった一年だったように思う。
正確に言うと、英語圏で暮らし、二人の子どもを育てる生活は十分にがんばっている。だから余計なものを付け足さない、といった感覚が近いかもしれない。
心身ともにほぐすことを優先しつつ、家庭や子育て以外で時間を使ったのは、主に二つの「勉強」だった。
心のこと
長男の発達問題をきっかけに、心のことを学ぶようになった。といっても、心理学といった学問ではなく、気になる本を読んでいただけ。息子はいわゆるグレーゾーンだし、私も自分の持て余している性質にぴったり当てはまるカテゴリの存在を知った。
けれど、それを知ったからといって、大切な息子を個性という名の型に収めてしまうのはいやだった。発達問題は、彼のほんのわずかな一部でしかない。私の興味は、そこに捉われすぎず、いかにその人本来の資質を活かすかにあった。
この世界がどう見えるかは、自分の解釈にかかっている。くそったれの世界だと思えばそうだろうし、なんだかんだ温かいと思えばそうである。綺麗事だとか甘ったるいとか言われようとも、私はやさしい世界を切り取りたい。そのために、解釈を促す心の目を養う。
英語のこと
心身の安定、子どものケアを最優先させるため、仕事ややりたいことを極力手放した。隙間時間のほとんどを「英語のやり直し」にあてた。日常生活をこなすぐらいの英語力はあれど、表面上の会話に終始してしまう。私は深い話ができるようになりたいし、もっと本を読めるようになりたい。
海外に行けば英語は身に付くと思われがちだが、ぼんやり過ごしているだけでは難しい。現地のやり取りは実践の場であり、語学はスポーツと似ている。日々のトレーニングをしなければ試合に臨んでも負けっぱなし。むしろ英語への苦手意識を強め、自尊心は削られていく(オンライン英会話も同じだと思う)。私もぺったんこ。
もちろん今までも英語の勉強は都度していたけれど、意識を変えた。続けるために、10分でもいいから自主練を「毎日やる」と決意。特に、ボキャブラリーとシャドーイングに力を入れた。だいぶ本が読めるようになり、コミュニケーションの質が変化した。でも理想にはまだまだ程遠い。引き続き、精進。
(※正確には、「毎日やる」と決めたけど、なんだか気持ちが重くなって「やってもやらなくても心のままに」と変えたら、肩の力が抜けて結果的に毎日やった)
と、そんなふうに過ごしていたら、書くことからはうんと遠ざかった一年だった。反骨精神をエネルギーに、常にやりたいこと探しをしていた自分とは、異なる生き方だったように思う。
けれど、いったん手放したおかげで、不純物を取り除いたピュアなエネルギーが生まれ始めた。言語のこと、海外子育てのこと、学んだ心のこと。今の私には、書いてみたいことがいっぱいある。
と同時に、題材によっては、エッセイの形で書くのは難しいと思うようになった。フィクションで伝える力を身に付けたい。オタク部門では、音楽に関するZINEも作りたい。
野心は枯れてしまったが、探求心はまだ残っていたらしい。人生はプロセスの連なり。英語とのバランスも大事。焦らず、求めず、少しずつ。