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日常にある笑い

昭和の関西人と吉本新喜劇

昭和の時代に幼少期を過ごした関西人のほとんどは、半ドンの午後に吉本新喜劇を観ていた。もちろん私も。

私にとって吉本新喜劇はお笑いではなく、人情お涙ちょうだい劇のイメージが強い。もちろん面白ギャグや面白キャラクターが登場するけど、そーゆーのは実際に日常にいたりするような人たちを大袈裟に表現しているだけで、特別とか特殊とかいうイメージはなかった。

なんやかんやドタバタあって、親子の愛や兄弟の絆なんかを笑って泣けるストーリーで展開する。感動の人情ストーリーにお笑いが散りばめられている、それが吉本新喜劇だ。

観ている私たちは、その中で披露されるギャグやキャラの全てがおもろいと感じているわけではない。お気に入りのギャグとそうでないギャグがある。だってやっぱりおもろいと思うもんは人それぞれやから。

だからこそあんだけよーさんのギャグが連発され、様々なキャラの人たちが登場していたのだと思う。吉本さんからの配慮とゆーか、選り取り見取りの中からお好きなんをどーぞお楽しみください、ってことなんちゃうかな。私はそう思ってる。

個人的な事情で平成に入ってからは海外生活が長くなり、日本のテレビ番組が縁遠くなって観なくなってしまったけど、令和の今も同じようなコンセプトでやっているのだろうか?


お笑いは日常

笑いはテレビやネットの中だけじゃなくて、家庭や学校、職場などの身の回りにもある。道端に転がっている石がおもろい状態になっているのに気付いて、笑い転げることだってある。見つけるか見過ごすかはその人次第。

おもろいもんはなんぼでもそこら辺に転がってるものなのです。

昭和の吉本新喜劇を観て育った私は、日常のお笑いを見つけるのが癖になっていた。よく観察してみると、おもろいもんや人は身近にゴロゴロ転がっている。おもろいもんを見つけてひとりでクスクスと笑い、同じセンスで笑ってくれそうな友達や家族に話してまた笑う。

自分で見つけて自分の中で消化するお笑いに、コンプライアンスも何も関係ない。世間様のことなんか考えずに、ただただ、わろといたらええねん。

昔はそれでよかった。身近で完結していたからだ。


お笑いのダークサイド

今の時代、ひとつ注意しなければならないのは、ひとりでわろて楽しんでいる笑いを共有する範囲。このSNS全盛時代に、不用意になんでもかんでもリミットをかけずに垂れ流しをするのは危険極まりない。

それは、笑いの裏に潜むダークサイドを浮き彫りにすることがあるからだ。実際に、真剣に悩んだり困っている姿がおもろいことだってある。それをむやみに世間に広めて笑い者にすることは全く以て全然よろしくない。

困っている人や失敗する人がおもろく見えることなんてザラにある。それが笑いのダークサイド。笑わせているのか笑われているのか。笑ってもらって嬉しいのか笑われて嫌なのか。それは当事者にしか分からないこと。

物事には多様な見方がある。おもろいかおもろないかは立場や状況でコロコロと変わるものなのだ。

その瞬間に自分がおもろいと思っただけで留めておくべき笑い。そういう笑いもあるってこと。お笑いの共有範囲にはくれぐれも注意しなはれよ~。


笑いのセンスってなんや?

笑いのセンスなんちゅーもんは、時代や年代、場所や人によって変わって当然。日本中、いや、世界中の人が同じ笑いのセンスを持っているわけではない。笑いのセンスは、嗜好や癖のように人それぞれで違うもの。

私がおもろいと思っても、他の人にはしょーもないと思われることがぎょーさんある。笑いは個々のセンスで好みが違って当然なんやし、正解も不正解もない。

自分が今、おもろいと思うものがおもろい、ってことでええんやよ。


お笑いの技は努力と人柄で磨かれる

されど、お笑いのプロは持っている。場の空気を掴んで、そこにいる大半の人のツボにはまることを言ったりやったりする技を。経験値と知名度を上げて、その場に現れただけで大半の人が笑けてしまうような、そんな技を。

そこはやっぱり、プロやから。近所やクラスのおもろい子とプロのお笑い師の違いはそこにある。

それはもう、努力と人柄。

人は嫌いなものをおもろいとは思わない。この人なんか嫌なことばっかしゆーてるけど、なんやしらんけど好っきゃわーって思われないとおもんないねん。ホンマに心底嫌われてしもたら、なんもおもんないねん。

悪態をついても好かれる人柄が大事。そして努力を重ねて大勢の人に知ってもらうこと、大勢の人に好かれること、それがホンマに大事やねんよ。

運とかセンスだけでお笑いのプロとして成功してる人なんておらへんねんから。プロのお笑い師は大衆にモテてなんぼ、っちゅーてね。


笑って暮らそう

生きていると嫌なことや辛いことが山のように押し寄せてくる。誰にでもそうだ。でもそんな嫌なことばかり考えて生きていてはつまらない。

日常にある楽しいことを見つけて笑うことで、気分は変わる。

自分で見つけられなければ面白そうなことをしている人を見て笑えばいい。

自分がおもろなりたいと思うのならば、先ずは人に好かれるええ人柄を身につけなあかん。

何はともあれ、笑って暮らせるって幸せなことやと思う。一日誰とも話さないで過ごすより、一日一回も笑わずに過ごす方が苦痛やもん。

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