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妄想世界

もしも叶うなら、今と常識が違う世界を見てみたい。例えばフランス革命が起きていなかったとしたら。そうしたらどんな世の中になっていただろう。

秋の夜長、それはまさしく長い暗闇時間。夏、最盛期には夜の十時過ぎまで薄明るかった空が、昨日は午後四時過ぎには薄暗くなっていた。ほんの数ヶ月で六時間も夜が長くなってしまうと、時間の使い方に困惑する。

そんな長い夜、視界の端に通り過ぎたトリコロールの旗と、週末になると大使館から送られてくる「デモに関する情報」を流し読みながら、自然となんとなく、思った。。。

あの時パリで革命が起きなかったとしても、結局時代の流れで王の政治的な力は薄れていたのではないだろうか。時間は掛かるかもしれないけれど、国民をないがしろにする君主は失墜させられ、庶民が政治に参入し、人々の生活を守る為の法律が出来るという流れは変わらない気がする。あの時あの革命が起きなかったとしても、よりよく生きたいと願う人間の欲や希望が変わることはないと思うから。

人々は自由と平等を求めて、革命とは違う別の行動を起こしていただろう。あの革命がなかったとしても、ゆっくりと時間をかけて社会の仕組みは変わっていたはず。

フランスで王制が残ったまま産業革命が進んでいたら、どうなっていただろう。工業やテクノロジーが進化して経済社会の基盤が出来ると、否が応でも庶民の暮らしの質は変わる。権力を持った王であろうとも、進化する時代の流れを止められるとは思えない。

進化と共に変動する社会の中で、時代の表舞台に立った庶民の些細な日常の不満は、権力者への嫉妬や社会的不満へとすり替わり、王族や貴族はその地位を脅かされることになる。でも革命は起きない。その代わりに、徐々に庶民の欲や希望を叶えやすい社会へと変貌せざるを得なくなる。

あの時あの革命がなかったとしても、やはりナポレオンは頭角を現していたのだろうか。続くヨーロッパ諸国の君主制廃止への動きにブレーキはかかったのだろうか。争いは続き、破壊と再生を繰り返す歴史は変わらぬままだったのだろうか。

革命のないレ・ミゼラブルは、どんな物語になっていたのだろう。

それでも自由の女神は作られたのか?アメリカの独立は。。。

もしかしたら、巡りに巡って日本の明治維新も影響を受けて、天皇陛下は京を出ることがなかったかもしれない。そしたら東京の繁栄はどうなっていた??そもそも東京って名前にはならなかっただろう。

あの時あの革命がなかったら、フランスの国旗は何色になっていただろう。国歌はどんな曲になっていたのだろう。そもそもフランス人は今ほど個人の権利をゴリ押しに主張しているだろうか。世界中の教科書からフランス革命が消滅したら、フランス人のアイデンティティーはどうなるのだろう。

国王を誇りに思う気持ちは芽生えていただろうか。庶民の為の政治と王室の関係はどのように変化していくのだろう。

実際にはあの革命は起こり、私は今ここにいる。歴史は教科書で習った通りの流れで進行し、戦争は起こり、過去の失敗を糧により良い社会を築くため、国同士が話し合い、今の私たちの生活がある。

でもでも私は見てみたい。フランス王が堂々と存在する西暦二千二十一年のフランスの姿を。どんな国になっていたのだろう。国民は自由と平等をどのように受け止めているだろうか。今と同じかな、違うかな。

もしも叶うなら、そんなフランスを見てみたい。そんなフランスが存在する世界を見てみたい。

皇居が京都のままである日本の姿もちょっと気になる。

秋冷の、ピンッと張った空気を肌で感じながら、適当にあれやこれやと思考を巡らせる。厚切りジェイソンが日本で叫びたくなったように、私もたまに、フランスで叫びたくなることがある。Why French People Why!ってね。まあ本当に細かいことばかりだけど。

あの時のあの革命がなかったら、チミたち一体どうなっていたのだい?

学べば知れる事がたくさんある。でも、知ったところで理解ができない事もたくさんある。理解できたような気になっていても、実際には受け入れられない事もたくさんある。解せない気持ちも隠せない。

順応性に欠けているのかな。いや、ただ頭が固いだけなのかもしれない。

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