ブンバは死んだ、と彼女は言った
近所をぶらぶらと散歩の途中で、どこからともなく名前を呼ばれた。
ミィ〜ア!ミィ〜ア!
イタリア訛りで特徴のある声。すぐに誰だか分かったが、人通りの多い広い十字路で彼女の姿を探すのには時間がかかる。
クルクルと2回りほど見回すと、反対側の歩道で手を振る彼女の姿が目に入った。
犬友のイタリア人だ。
交差点を渡って笑顔で駆け寄り、元気?と声を掛け合う。
彼女はミアのことをとても可愛がってくれるのだが、彼女の犬はミアとはそれほど仲が良いわけではない。そっぽを向いてスタスタと先を急いで立ち去ろうとするのを私が引き留めるのが習慣。
ブンバッ、ブンバッ。
そう名前を呼ぶとうざったい前髪の隙間からチラッとこちらへ視線を向けるが、ブンバは決して靡いてこない。完全塩対応の犬なのだ。
たまに彼女が仕事や諸用で出かけるところに出くわすことがある。その時はもちろんブンバは留守番なので彼女は一人で歩いている。
だから今日もいつも通り何の気もなく「ブンバは?」と尋ねた。
かがみ込んでミアと戯れあっていた彼女が顔を上げると、その大きく見開いた目いっぱいに涙が溜まっていた。そして彼女が言ったのだ。ブンバは死んだ、と。
最後に会ったのは確か2〜3週間前。ブンバはシーズーと別の犬種が混ざった小型犬で、もう結構な老犬だった。その日もかわいい小さな短い足でイタリア人女性の横を歩いていた。
出会った頃はもっと駆けるように散歩をしていたのだが、最近ではヨタヨタとゆっくり歩く姿をよく見かけていた。犬も歳を取ると足腰が弱くなるものなのだ。
「元気そうね」と声をかけると、「そうでもないのよ」と彼女は言った。
特にどこかが痛そうには見えないし、首や腰が曲がっているわけでもない。しっかりと自分の足で歩いている。
「あら、元気そうに見えるけど?」そう言うと、「先週手術をしたのよ。癌を取ったの」と彼女は何でもないことのようにサラリと言った。
「癌?」
「そう、人間と同じ。歳だし色々悪くなるのよ」
「でも手術で取ったからもう痛くないのよ。ね、ブンバ」彼女がそう言うとブンバはフンッと鼻息を吐き出し太々しい態度でこちらを見た。しょーもない立ち話はええからはよ行こや!とでも言いたげな表情だった。
それが私が見たブンバの最後の姿。嘘やお世辞ではなく本当にいつも通り、元気そうに歩いていた。
「この火曜日にブンバは死んだの」彼女は言った。頬はピンク色に染まり青く透き通った目から溢れ出た大粒の涙はキラキラと輝いて宝石のようだ。
ミアは彼女に寄りかかり、顔を近づけ舐めようとした。そしてワオフンワオンと何か言いたげに彼女の顔に向かって声を出すがもちろん何が言いたいのかはわからない。でも彼女はそれを慰めの言葉と受け止め、「そうなのブンバはもういないの。ミアにはわかるのね」と声を震わせて言った。
最近雨が多い。空気が湿っている。
昨日もずっと雨が降っていた。ただひたすらに地面を叩きつける大粒の雨音が鳴り響いていた。地面にはしっかりと水溜りができていて、アスファルトもぐっしょりと濡れていた。
命あるものには始まりと終わりがある。ミアだっていつかは終わりの日を迎える。そんなことはわかっている。わかっているけど悲しい気持ちは止められない。
ずっと一緒にいられたらいいのに。
イタリア人の彼女と日本人の私がフランス語で会話をすると、ストレートな言葉が多くなる。増してや大切な命を失ったばかりの彼女には叙情的な表現に酔いしれる余裕は全くない。
虹の橋を渡ったり空の上の楽園で駆け回ったり昔飼っていたペットや先に亡くなった身内たちと再会したりしていない。
ブンバは死んだのだ。もういない。
ブンバとの思い出だけが私たちの記憶に残り続ける。