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つい最近まで、仕事でも私生活でも罪悪感をベースに、人から怒られないよう、自らに鞭を打って先回りして行動するのが当たり前だった気がする。

子どもの頃は、
父に怒られないように、片付けをした。
母に怒られないように、ピアノの練習をした。
先生に怒られないように、勉強をした。

学生の頃は、
父に怒られないように、節約をした。
母に怒られないように、地味な格好をした。
友達に怒られないように、ダサい行動を避けた。

大人になってからも、
(元)夫に怒られないように、家事をした。
上司に怒られないように、仕事をした。
両親に怒られないように、存在を消した。

コロナの時は、
周りに怒られないように、マスクをした。
非常識だと思われないように、大好きな海外旅行を控えた。
不謹慎だと思われないように、友達にも連絡しないようにした。


まだまだ無限にあるが、これが普通だった。

とにかく人の機嫌を損ねないことが処世術だった。チラチラ顔色を見ながら反応を確認して動いていた。

後で罪悪感を感じないように、あらかじめ誰にも怒られない状態を準備しておくのだ。

しかし、人生経験を積んで色んな人に出会うと、そのようなことを全く気にしていないタイプが存在することに驚いた。

もちろん程度に差はあるし状況によるが、誰かに怒られることや、非難されること、機嫌を損ねることを避ける、という発想ではなく、純粋に自分の気持ちを大切に行動できる人たちがいる。

私が仕事で関わる生徒の中にも、
先生に叱られないように、怒られないように宿題や小テストの勉強をする人、
やっていなくても堂々としていて、あっけらかんと爽やかにやっていないと言える人がいる。

私は明らかに前者だったため、後者の心理が分からなかったが、よく話を聞くと、後者のタイプは親から安定した愛情を受け取ってのびのび育ったタイプが多いように思えた。

宿題をしたから良い子
していないから悪い子

ではなく、
ありのままの存在でOKだと
信じることができているのだ。

そのような子どもたちは自らの環境に対しても歪んだ耐性がないため、無理せず合わない場所から離れることができる。

学校に行くから良い子、ではないから、

無駄に何年も忍耐を重ねる、ということがないのだ。

どちらのタイプにもメリットデメリットはあるし、そこまで単純ではないが、幼少期に親の顔色を伺って育った人たちは大人になっても我慢癖が抜けづらい。

それが生きづらさにつながっていく。

最近の自分は過去の記憶を上書き保存し、潜在意識を書き換えることで、そこに出来る限りとらわれないようにし、自分軸を再構築しつつある。

うまくいっていると思ったのは、先日仕事で提出義務のある書類を1か月ほど放置していたことに気付いた時だ。

その、書類は業務上必要というより形式的に出すと決められたものであり、無くても誰も不自由しないのだが、以前の私は期限の数週間前に終わらせて真面目アピールをしていた。

それをそもそも出さない同僚もいるため、そこまで重罪ではないが、ここまで堂々と放置したのは始めてだった。

もしかしたら、真面目に出していたことで、それなりに評価されていたかもしれないが、気がついたらそのような評価などどうでもよくなっていた。

大切なのは、それが自分にとって大切かどうか、必要性を感じるかどうかだ。

罪悪感をベースに行動するのはもう卒業。

社会にはますます不適合かもしれないが、自分軸で考えるようになり、マインドが180度変わった。

出世コースに乗りたいなら必要だが、若い頃から、怒られないように宿題をする癖は治した方が幸せに生きられる気がする。


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