もう呆然とするほど 自分の気持ちに鈍感である 今年4月 声が出なくなって なす術わからず手放した仕事を 無くした事が相当ダメージだったらしい 半年間モヤっとしていた原因はそれだった 再準備を始めたけれど まだダメージは続いている #天職 #声出ない #喉のケア教えて
あの人が言った 私の代わりに 私が心の中で言った言葉を あの人が作った 私の代わりに 私が負うはずだった傷を あの人が泣いた 私も泣いていた 心の中で 寒い暗い夜に あの人が泣いたから 泣かないでいいよって 明日晴れるからって でまかせでも信じようって思ったんだ そして誰もいなくなった 小説のタイトルみたいに それはとても悲しく寂しく途方に暮れる空間だ そして私も旅に出た 長い長い終わりの見えない旅 希望だけを抱いて 光射す方を目指して #詩 #物語の種
昔々、懐いてくれた男の子がいてよく我が家へ来た。彼の彼女、なんかあるとすぐ窓から飛び降りようとするという。彼が他の女の子と仲良くしてたとかそんな理由だ。その度に待て待て待てって止めなきゃおさまらない。 たしかにそういう子に好かれそうな男の子だった。 そしてそういう女の子は情が厚くて女っぽい(魅力的)のだ。ざっくり言うと。 ジェンダー多彩な今どんな組み合わせがあるのかわからないから「男」「女」は一つの象徴で、AとB くらいに思ってもらえれば。 女を泣かす男に時間を割くのはも
きっかけは東京の大学への進学。 好きなものを追いかけて好きなことをやっていたら東京に住み続けていた。 そこには音楽が密に関わってくる。 好きなバンドの出身大学に入ったら仲間ができた。 インディーズバンドのローディみたいな事をしてるうちにドラムの組み立てと基礎を教わった。 音響の専門学校へ行って青山の小さなスタジオや映画の撮影所で何年か働いた。時間的に安定した仕事を探したら大きな広告代理店に迷い込んで、世の中のお金の流れを知ることになった。 これらは東京でしかできなかったこと
その人は黒くて長い髪にくるくるパーマをかけていて真っ赤な口紅をつけた英語の先生だった。 名前は覚えてない。 声は少しだけ覚えている。 レースで編んだワンピースを着てヒール5センチのサンダル履いて教壇に右肘だけちょいとのっけて立ってた。 記憶はそれくらい。ただ。 「あんたたち、頭だけは柔らかくしときなさいよ」 って言葉だけ。 とりあえず堂々としていて細かいことはどうでもいいじゃんて態度でかっこよかった。 先生生きてるかな。 今もし会っても変わってなさそうだな。 だっ
話すのが苦手な人が、考えてることを絵に描くことができたらいいのにね。 もっといえば、思ってることと言うことが違う人も、思ってることの方を絵に描くことができたらいいのにね。 もっともっといえば、わたしの頭の中を絵に描くことができたらいいのにな。 言葉じゃないコミュニケーションで会話できたらいいのにね。わからないことが多すぎていつのまにかわかろうとする事をやめてしまっていたね。
朝というか仕事行く前は食事をしない。 朝ごはんは健康に大切とどんだけ言われても書かれててもしない。というかできないだけ。 ただコーヒーにちょっとの牛乳か豆乳をたらして飲むのがその日の始まりの合図。 目が覚めてきたらスマホのアプリで英語のディクテーションをする。中国語を学ぶときもある。韓国語のときもある。今となっては何のためにやっているのかわからないけど、いつからかやってると落ち着くのに気づいた。 #日々の大切な習慣