カフェ という空間
あけましておめでとうございます。
2020年 note書初めです。
お正月はというと、帰省はせずに箱根駅伝の応援に行きました。
今までテレビで見ていたけど、選手たちがひたすら前に進もうとしている姿を見て、
「こんなに一生懸命になれたことがあっただろうか」と、考えずにはいられませんでした。
純粋にかっこよかった。絶対来年も見に行きたいな。
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さて、12月末で珈琲店を卒業し、1月からまた仕事探しの日々を送っています。
こっちに来てから何も出来なかった6ヶ月を取り戻すように、説明会に行ったり、ご縁があって面談をしていただけることになったり。
やっぱり行動してる方が楽しいなあ、と改めて実感しているところです。
先日、説明会で川崎に行った帰りにDEAN&DELUCAに寄り道した時のこと。
グロサリーで働くのも楽しそうだな〜と考えていた時に気づいたことがあります。
それは『カフェで働く選択肢』を捨てきれずにいるということ。
どんなカフェで働きたいのか、そのカフェの場所や扱うもの、雰囲気、雇用形態....など
はっきり決まっているわけじゃないけど、仕事について考えたときに毎回浮かんでくる。
なんで自分はこんなにカフェに執着しているのか。
そもそもなぜカフェが好きなのか。
書初めだけど、相変わらず『なんで?』について書いていこうと思います。
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食べることが嫌い
小さい頃から家の外で食事をするのが大嫌いだった。
「この量を食べきらなければならない」というプレッシャーを強く感じて、注文した途端にお腹がいっぱいになるというのはいつものこと。
もともと少食だったのもあるけど、同い年のいとこと食事に行くと「全然食べないじゃん」と言われるのが嫌だった。
母には「食べられる分だけ食べな」と言われていたけど、食べないことは悪いことだと思っていたから、無理やり食べて夜中に自家中毒を起こすという繰り返し。
幸いにも中学生になってから給食は食べられるようになったが、「この量を食べなければならない」というストレスは今でもある。
友達とご飯に行くとなれば、朝ごはんを抜いていつもよりお腹を空かせておいたり、注文する時は量が少なく食べきれるものを選ぶようにしている。
ただ食事に対しての不安が大きいだけで、友達とご飯に行くことは大好きなのに、一緒に食事を楽しむことが出来ないのはとてもとても辛い。
しかし、そんな私にとっての救世主はカフェだった。
食べなくてもいい 安心感
それまでは『外で飲食店に入る = ご飯を食べなければならない』という考えでいたが、カフェに出会ったことで、ドリンクだけを注文するという選択肢を知った。
「無理して食べなくてもいい」
大袈裟だけど私は救われたような気分になった。
もちろん、ランチタイムは食事の注文をするべきだし、注文内容に限らず、それぞれのお店のルールもある。
客としてのマナーを守ることは大前提だが、飲食店なのにこんなに自由に過ごせる場所があるんだと、とても感激した覚えがある。
お腹が減っていれば食べるし、減っていなければ飲みものやスイーツを注文すればいい。
ごく普通のことだけど、無理に食べなくてもここにいていいんだということが嬉しかった。
今では食べ物を目当てにカフェに行くことが多くなったが、食べることが苦手で肩身の狭い思いをしていたわたしが積極的に外に出られるようになったのは、カフェのおかげと言ってもいいかもしれない。
食べることに対してもっと自由でいていいんだ、と教えてくれたカフェという存在にはとても感謝している。
自由を奪わない
そんな自由な空間のカフェだから、何かを強要されたくないし、スタッフで働いていた時はお客さんに強要したことは1度もないつもり。
以前、りんご農園が経営するカフェで働いていたことは何度も記してきたが、営業やアパレルで働いていた時よりも" 売る "という感覚は無かった。
強いて言うならば、一緒にいいものを選ぶという感覚。
私たちのおすすめを押し付けるのではなく、あくまでお客さんに選ぶ自由を与える。
例えば、りんご農園だからといって、りんごジュースを頼まなくてもいい。コーヒーやチャイでもいい。
だって、焙煎師と一緒に考えたこだわりのオリジナルブレンドだし、フェアトレードのスパイスを使っているこだわりのチャイだし。
全部自信を持ってメニューに並べているのだから、お客さんはどれを選んでもいい。
「りんご農家さんなのにコーヒーでごめんね」なんて言われたこともあるが、滅相もない。
だって、あなたが決定権を持っているのだから。
むしろ、注文するものを強要するようなお店だと窮屈に感じる。
「紅茶の気分だったけど、自家焙煎で有名なお店だからコーヒーにした方がいいかな…」と思わせている時点で、お客さんから選ぶという自由を奪ってしまっていると思う。
せめて、選択肢を減らさないで、考える余地を与えてほしいと、客の立場になった今では勝手ながら思っている。
カフェの持つ可能性
そんな自由な空間のカフェだからこそ、そこで生まれるものに興味がある。
わたしが特に期待しているのは繋がり。
色んな人が集まるカフェだから、そこでの出会いから始まる新しい" 何か "にわくわくする。
人と人が出会って「こんなことしようよ!」と動き出した新しい企画や「こんなものが食べたい」という何気ない会話から生まれた試作品。
「こんなことに困ってる」と言ったら、その分野に強い人を紹介してもらえたり、物々交換のようにお互いの出来ることをプレゼントしあったり、カフェには色んな繋がりが生まれる可能性があると思う。
こういうのって、コワーキングスペースとかシェアオフィスのような共有空間の方が実例は多いのかもしれない。
でも、そこまで肩肘張らずに「コーヒーを飲みに来たらこういう出会いがあった」くらいのラフさがカフェの魅力だと思う。
カフェで雑談をしていたら期せずしてこんな出会いがあった、という形で繋がれたなら。
そこから生まれるものは、意図的に生みだしたものよりも強固でおもしろいんじゃないかな。
『人と人を結びつけられる場所』としてのカフェにも魅力を感じています。
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色々脱線しながら「なぜカフェで働く選択肢を捨てられないか」について考えてみたら、カフェという存在への恩返しと自分が思う理想の空間が根本にあった。
注文する内容は自由。どう過ごすかも自由。
実はカフェって、自由を与えてくれる存在なのかもしれない。
ストレスフリーでいられる、ありのままの自分でいられる空間。
だからカフェという存在が好きなのかもしれない、と思ったら腑に落ちた気がした。
そして、こんな風にカフェにこだわっている理由は、将来地元に人と人とが出会って新しい何かが生まれる場所をつくりたいという漠然とした、でも強い想いがあるから。
それがカフェという形が適しているのかなと考えているからかもしれない。
人と人が出会って新しい何かが生まれる。
そんな瞬間に立ち会いたい。そういう場所をつくりたい。
こんなに心の隅でしつこく主張してくるもんだから、きっとそう簡単には消えないだろうな。
そうそう、こんな記事を書いてるように、わたしは今まで「なんで?」とwhyばかりを考える癖があったけど、「どうやるか」のhowを考えることが今年の目標です。
このぼんやりとした想いをそのままでずっと持っておくのか、実現させるための行動を取ってみるのか。
よし、2020年もよろしくお願いします。
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