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ニュータイプの源流,クラーク『幼年期の終わり』。時を翔るヒトの覚醒

私がSFを嫌いなのはつまらないからで、結局理に落ちてしまうからだ。

江國香織『物語のなかとそと』「川上さんへの手紙」

SF小説が苦手です。

そこでの日本語には、表現の豊かさが乏しく、美しさを感じられません。同じ科学技術を語るとしても、稀代の物理学者が語る、深海を照らす澄んだ思索にくらべて、SF小説の文章ではもやがかかってかすみがちです。

いつしか文章を味わわずに、ストーリだけを追っている。そんな退屈な読書体験に、途中で興味を失ってしまう。つい最近もアシモフ『銀河帝国興亡史』を途中で放り出してしまいました。

多くのSF小説は、単に未来の技術や宇宙空間といった「状況設定」を借りているだけで、実際の物語は他のジャンルでも展開できるものが少なくありません。つまり、SFらしさは舞台設定にとどまっていることが多いのです。

また、SF小説も、ミステリーやエンタメ小説のように物語の核心となる障壁・葛藤・課題を解決することで物語が完結する構造が一般的です。SF小説とはいえ、斬新さや挑戦的な要素が欠けていると、物語の結末が予測可能になってしまいます。

単に、あらすじやストーリーの面白さだけを求めるなら、コミックの方がビジュアル表現も加わり、より満足を感じられます。

コミック版『銀河帝国興亡史4 ファウンデーション』

SF小説を数年に一度しか手に取りません。
ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』の新訳をハヤカワさん、お願いいたします。

しかし、優れたSF小説では、そこに描かれる未来は現代から飛躍しています。その創造的な煌めきが、漠然と抱いている物理や技術への疑問、また認識の枠組みを、新たな可能性の域へと導いてくれます。

だから『幼年期の終わり』は読めた。
この本は、意識の扉を開く福音書だ。

「ときがみえる」

機動戦士ガンダム ララァ・スン

わたしはファーストガンダム世代ではないので、こちら「機動戦士ガンダムUC」のマリーダさんのシーンが頭に浮かびます。

機動戦士ガンダムUC episode7「虹の彼方に」23:00辺り

いまのお前たちには見えないものが、私には見える。ここでは時間さえ輝いて見える。どんな絶望の中にも、希望は生まれる。
お前は光だ。哀しみすら糧として、道を照らせ。姫様と二人で……。
人はいま、戸口に立っている。そこをくぐれる時が、来るのかも知れない。この虹の彼方に、道は続いている

機動戦士ガンダムUC episode7「虹の彼方に」1:16:00辺り

『幼年期の終わり』は、空間と時間を単なる物理的な次元として捉えるのではなく、それを超越した存在や概念へと覚醒させ、わたしたちの理解を果てしない広がりへと羽ばたかせてくれます。従来の物理法則にとらわれず、無限の可能性と広がりを持つ新たな宇宙観を提示し、読者に深い思索と新たな認識の扉を開いてくれます。

これはニュータイプの原型だ。

『機動戦士ガンダム』を手掛けた富野さんが考える魂の目覚めニュータイプとは、『幼年期の終わり』で描かれる無限の自我への開花なのだろう。

『幼年期の終わり』の流れを簡単にお話しします。これから読まれるかもしれない方に、読書時の面白みを失わない範囲に抑えています。

全体は三部構成をしています。

  1. 「地球とオーヴァーロードたち」(到来、ファーストコンタクト)

  2. 「黄金期」

  3. 「最後の世代」(終わりと始まり)

特に有名なのは第3部「最後の世代」でしょう。何かが目覚めるようですが、さまざまな媒体でその内容が明かされていますね。

第1部と第2部も非常に引き込まれる内容です。それぞれがSFの一流作品としてしっかりと成立しています。

第1部 ファーストコンタクト

第1部に少し手を加えれば、非常に面白い映画ができるはずです。多くの映画が同じプロットを使っており、サスペンスのスタンダードと言えるかもしれません。持つ者、助ける者、奪う者の交錯が繰り広げられます。

第2部 黄金期

ローマ帝国の繁栄「パンとサーカス」を実現したユートピア。現代の視点でいえば、発達したAIがもたらす調和の世界とも置き換えられます。

到来者によって"マズローの欲求5段階説"の最上位"自己実現欲求"にまで底上げされた人類の姿が描かれます。

発達した知性は一般的に功利的である。

人類が経済学を探求する最終目的は、完全な分配です。これが技術によって実現されれば、争いはなく、最小限の労働で済みます。顕在的な争いは存在せず、抑圧ではなく調和によって世界がコントロールされます。『幼年期の終わり』で描かれる統治構造では、到来者たる支配者が統制に関して他人事であり、支配する気が最初からありません。その理由が第3部に語られます。

第3部 終わりと始まり

到来者によるスピーチが、比較的長く展開されます。このスピーチでは、『幼年期の終わり』における"終わり"と"始まり"が明かされます。物語の核心に迫る重要な部分であり、到来者の役割、その意図が述べられます。

そして、到来者が単なる先導者ではなかったという事実も明らかになります。

あくまでもその到来者は、

これ以上のものを創造しえない石女うまずめにすぎず

クラーク『幼年期の終わり』光文社古典新訳文庫 解説(巽孝之)

※ 石女: 子供のできない女。男女の交わりのできない女性。

であり、

知性ある者は、運命の必然に腹を立てたりはしない。

クラーク『幼年期の終わり』光文社古典新訳文庫

と、穏やかな口調で話します。

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