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夏の京都はやはり暑かったという話(太郎の青春 京都編)

太郎は酷暑の京都を炎天下、ひたすら自転車のペダルを漕いでいた。

過日、ここで心筋梗塞で倒れた先輩のことを書いたが、実はその人生の先輩は放置竹林整備のNPOの理事長。
面会の出来ぬまま退院し、翌日から現地に出てきていると言うから行ってきた。
いつもは最寄り駅まで理事長が車で出て来てくれていた。
今日はそんなわけにいかず駅のレンタサイクルに乗った。
電動アシスト付き自転車に初めて乗ったが、一言で言えば快適であった。
事故の起こりそうな原因も分った。

NPOの事務所に行くのに京都市内の西に位置する洛西ニュータウンを通り抜ける。
もう30年も前に太郎が車でよく通過したニュータウンである。
将来的に地下鉄を延伸させると京都市にそそのかされて、移り住んだ若い住人達は皆それなりにお歳を召してしまった。
マイカーに乗れなくなったり、乗らなくなった太郎より年上の方が何人も炎天下、街路樹の日陰を選びながら歩いていたのが印象的だった。
太郎のよく知った当時の明るい弾けるような緑のニュータウンは、曇天のもと全体的にくすんだ元気のないオールドタウンになっていた。

事務所に着くと椅子に座る理事長は一回り小さくなっていた。離れて座っていたのは久しぶりにお会いする奥さま、しばらくは運転手として来るとのことだった。
まだ無理の出来る身体ではないのだが責任感で理事長は出て来ているのだ。
長年の付き合いでそんな人だと分かっている。
退院を聞きつけてやって来る人達は見舞いではなく皆相談事を持参してやって来ていた。
かかってくる電話もそんな内容ばかりだった。

NPOと言えどもすべてがボランティア活動ではない、相応の金が動き、皆対価を得て活動に参加している。
NPOのなかにも欲得の渦が音を立てずに巻いているのである。
こんな時に人の本質は分かってしまう。

太郎は組織の再編だけ提案して帰って来た。
提案した以上、口を開いた以上黙って見ているわけにはいかない。
外れかかった航路を修正出来るまでは手伝わなければならない。
しかも修理不能の巨大戦艦のタグボートにならなければならない。
いつものことと思いながら、太郎はなんとかなるさと思いながらNPOの事務所を後にした。

曇天の空はいつの間にか青空に代わり、早い午後に太郎を突き刺す陽射しはまだきつく、湿度の高いうだるような暑さの中を電動アシスト付き自転車を駅に向けて走らせた。


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