そして『昭和の匂い』
まだ私が子供の頃の話、白菜の美味しいこの寒い時期に昭和五年生まれの職業婦人であった母は時々水餃子を作ってくれた。
刻んだ甘い白菜と豚のひき肉に塩・胡椒、ニンニクの入らないショウガたっぷりの水餃子であった。私も兄も文句を言うことなくモグモグと茹で上がるそばから平らげていった。
この時の食卓の匂いも忘れることの出来ない嗅覚ばかりではない『昭和の匂い』である。
狭い社宅の当時主流だった2DKの狭いダイニングで三人での夕食であった。父はいつも残業で遅かった。母は仕事から帰宅するや否や「腹が減った」とせっつく私たちのために着替えもせずに台所に立った。
兼題(季題)が呼び起こす五感の記憶
料理の苦手な母の作った料理で思い出すものがいくつかある。
この『水餃子』のほかに『握り飯』がある。おにぎりではない握り飯を思い出しながら私は三年近く前、『俳句ポスト365』の投句と投稿文章を考えていた。
兼題は『夏の日』、選者夏井いつきの言うように季題は記憶再生装置である。
事象の記憶だけではなく、味覚・視覚・嗅覚・触覚・聴覚の五感を思い出す。この時のこの『夏の日』で思い出したのは母の作った握り飯であった。
まだ『夏の日』なんて優雅な祝日が生まれる以前の高度成長期時代の昭和の思い出であった。
以下がその時の投稿文章である。
◆今週のオススメ「小随筆」 お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪
●少年の頃 海の日 7月20日 青い空に白い入道雲そして広がる海、夏休みの始まりである。
買ったばかりの父の軽ワゴンに家族四人で乗り込み海水浴に行った。愛知県豊橋市は渥美半島の付け根、伊良湖岬に行く途中にある。
半島の外側は太平洋、波が荒く遊泳禁止の外海では両親には内緒で悪友と泳いだ。白くどこまでも続く太平洋岸の砂浜の行き着く先は島崎藤村のうたった『椰子の実』の恋路ヶ浜である。この歌に心打たれるのはまだまだ先である。
そんな外海とは対照的に内海は静か過ぎるくらい静かだ。国道から脇道に入って松の林を抜けると小さな入江が目に入る。そこに臨時の海水浴場があった。
両親の監視の下、障がいを持つ兄と浮輪につかまり日がな一日クラゲのように漂った。そして昼は塩辛い母の作った握り飯を食べた。
それから兄は木陰で昼寝、私はまたクラゲになった。
一日良い子でいた。
父母は夏休み初日に親としての義務を果たし、次の日からは毎日働きに出た。
私は兄とまだクーラーなど無いアパートで休みの間を過ごした。はっきりしない漠然とした不安を抱え本ばかり読んでいた。
夏の日、夏休みが始まるとあの時の気持ちが心の底から湧き上がってくる。青い空、白い入道雲とは対照的なモノトーンなあの部屋の灰色が心に広がる。/宮島ひでき
懐かしき母の丸く大きな塩握りであった。