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反駁

傷付いた心を食べ尽くすカラスになりたいと、願う日々の結び目、無数のジレンマや、悲観的な君の過剰摂取した背丈ほどあるフルーツ、分離して行く液体を眺めては、エクソダスと歌うボブマーリーの隣で、密かに蓄積する永劫を観測し、白昼夢に消えるだけの惰性な論理や、儚さを謳う連中の思念に巻き込まれては、映画の中で手懐けられて行くだけの葛藤と、疎ましい現状に加速する退廃的なムード、愛されたいと強請るばかりで、愛されようとしていないという矛盾点に気付かないだけの馬鹿野郎や、痩せた街路樹に吊り下げらた看板のようなもの、あらゆる模倣を繰り返しては、過信ばかりの君や、起源から抜け出せずに、惰性で引き摺る面影や衝動、空回りするだけの恋、暗澹として記号を追うだけの日々、止まっている場合では、ないのかもしれないし、そこで待ち続ける事が、正解なのかもしれないし、その場で敷衍して行くだけの、記憶なんてものが、不規則に蛇行しては、システマチックな余罪なんかを謳い、今に縛り付けたりするし、幼気な自分を守るためだけに、他人を蹴落としたり、誰かを供儀として捧げたり、対比したり、当たり障りのない話で差し引いたり、誤魔化したり、未だ足りないと、ねだったりと、忙しく動き回ってばかりいて、自分というものから逃避行を続け、動く事だけが、健気で、正解なんだと、促し続けて来た君たちの傲慢さには、うんざりするし、謳われて来たものを、あたかも、正解のように崇めては、贖うほどに、争いばかりを生み出すだけの、正解なんてものが、今に食い込んでは、身動きを取られなくするし、途端に、潤滑剤や、興奮剤の役目を果たす彼女や、運にすら見捨てられ、そこで、廃れるだけに至ったとしても尚、未熟なままに、こうして、大きくなってしまったのだから、野晒しのままで、雨風にさらされ、錆たり、溶けたりしても尚、こうして、強靭な足腰で、ボロボロになっても進む様や、様々な思惑や、位置や意味なんてものに騙されず、自らを信じ続ける事だけが、唯一、自らの力になるのである。

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