プロファイルからプロローグ、ノートからnoteへ
幼いころ、わたしは内気で引っ込み思案な子供だった。
人見知りもするし、家族やごく限られた友だち同士でないと思うままに自己表現できない子だった。
あまりにも物静かで、まわりの大人から“お地蔵さん”なんて揶揄されたこともあった。そこはお人形さんとか、もう少し可愛らしい喩えにならなかったものか。
大人しいという点では、育てやすい子供だったと思う。
スーパーのお菓子売り場に転げ回ったり、病院が嫌で絶叫ストライキしたり、公共交通機関やファミレスで奇声とともに駆け回ったり、そういった子供らしいヤンチャの数々とは無縁だった。両親からも“手のかからない良い子”とのお墨付きだった。
そうあるべきと思って、それ以外は異質なんだと思って生きてきたような節がある。
物静かで良い子の頭の中は、たくさんの空想と音楽と言葉で溢れていた。けれど、それに釣り合う外側への表現が足りていなかった。しだいに内へ内へ潜っていく思考が定着していった。
いつからか自然と、わたしは“内側の自分”との対話をするようになっていた。
特別なことは何もなく、ただ湧いてくる感情や声を言葉にのせてノートに記していく。それを見つめ、噛み砕き、自分の心模様を観測していた。
使っていたのはどれも小さいサイズのノートだった。全部で4冊あって、最初の1冊はレトロなうさぎの表紙、2冊目が赤、3冊目が黄色、最後はテーマパークのお土産かなにかで、方位磁針がくっついたデザインだった。
思春期特有の悩みや葛藤、大人になる前の多感な時代の心のバランスは、このノートに支えられていた部分が大いにあると思う。誰かに相談したり頼ることを、負担や迷惑に等しいことだと無意識に敬遠していた“手のかからない良い子”にとっては。
そんな“良い子”の学生時代はグレることもなく概ね順調だったが、進学した専門学校でついに人生の挫折を味わった。20代前半でうつ病に罹り、後半まで引きこもり生活が続く。
自分と向き合う時間は誰かに売りたいほどあった。にもかかわらず、ノートはだんだん開かれなくなっていった。
SNSが目まぐるしく普及し、発展したのが一因にあると思う。
ブログに始まり、mixi、Twitterと、個人が何かをアウトプットできるプラットフォームは加速度的に成長した。やがて腰を据えてやる必要のないインスタントなものが主流になっていった。自分の考えを煮詰めたり、心の葛藤に寄り添ってゆっくり耳を傾けたりする時間は、日常からいつの間にかなくなっていた。
20代後半になり、うつ病と長い引きこもり生活を脱して社会復帰を果たした。就職前の罹患だったから、ようやく社会人になれたと言ったほうがしっくりくる。
すごく遅咲きだけど、30半ばにして実家を出た。あの4冊のノートを手放したのは、確かこのタイミングだ。ノートに留まらず、自分のうつ病に関する諸々の記録をみんな、わたしは物理的に手放した。
無かったことにしようとか、そういうのとは少し違う。
うつ病と引きこもりで、20代という人生でもっとも華やかで若さに満ちあふれていたはずの大半を棒に振ったのは事実だ。その時代の自分を経て今の自分がいる。
もっと言えば、生きていたくなくて、死にたいけど死にたくなくて、どうにかまともに生きていたいと強く強く望んだどん底の自分に、今のわたしは生かされている。諦めなかったあの頃の自分から、生きる道を与えられている。
受け容れてはいる。が、うつ病にまつわる体験談などで見聞きする「うつ病になってよかったか?」の問いに対するわたしの答えは「そうは思えない」だ。
人間の性で、どこかでやはり“うつ病にならなかった世界線”を夢想する。せめて、決別までいかずとも、自立できたと自負するタイミングで区切りをつけたかったんだと思う。
“普通の”社会人になっても影のように常にいた「また戻ってしまわないか、もう大丈夫なのか」という恐れ、不安。引きずって歩くには重たすぎた。
先の人生へ進むために手放すのならば、自分に許可してあげてもいいと思った。
でも、また。
繰り返した? 戻ってしまった?
いや、そうじゃない。
またわたしは、うつ病に出合ってしまった。
ほら見ろ、油断するなよ。
“おまえ”は“わたし”なんだから。
手放したはずの自分に、そう言われたような気がした。
たぶん、これで最後でもないだろう。この先何度だって、出合うのだろう。
そう教えられている気がする。
人生で2度目のうつ病になったわたしは、会社を休職して、誰からも買うことのできない“自分と向き合う時間”を得た。
さっそく困ったのが、この時間をどう使えばいいか分からないことだった。
どう過ごせば心身が休まるのか、何をしていて満たされるのか、自分は何が好きなのかさえ、わたしは見失っていた。
自分と向き合う前に、見失った自分を取り戻す。
わたしは自分の観測を始めることにした。
その日にやったこと、食べたもの、感じたこと、思いつく限り記録する。
うつ病の人にとって、ごく小さなことでも継続するのは難しい。書く気力すらない日もある。記録するなかで自分の「できなささ」に直面し、惨めで悔しくてたまらなくなる。卑屈になり、こんなことして何になるんだとバカバカしく感じてしまう時さえある。
だけど、書くことでわだかまり解れたり、ざわつく気持ちが鎮まったりする。「ココロの心拍数がととのう」ようなイメージだ。書く前では予測のできなかった場所にストンと着地できることもある。
大人になってからでも“内側の自分”と対話すること、心模様を観測することは、大いに心身バランスの支えとなるようだ。というより、大人こそ意識的に行うのが大事なのかもしれない。
通算5冊目のノートに書いている大半は、ごくプライベートで取り留めのないことだ。雑記の寄せ集めをわざわざさらけ出す必要もないだろう。
しかし、対話と観測のなかで得た気づき、課題、解決に向けた取り組みや経過などは、この「note」にアウトプットしてみたらどうだろう。ふと、そんな考えが浮かんだ。
それはなぜか。
等身大のnoteがたくさんあることに気づいたからだ。
「休職」のキーワードひとつでも、それにまつわる数多くの記事が検出される。
自分と同じ休職中の人、休職を経て復職した人、休職を迷う人。みんな自分の言葉でありのままを語る。飾り立てず素直な気持ちを吐露する。できごとを包み隠さずとまではいかなくても、それぞれのノンフィクションには心を揺さぶられる。
人の数だけ悩みは異なり、環境も立場もみな違う。だから、休職した人がこれからどう生きるかに対する答えも全部違うし、これという最適解もない。
わたし自身の休職の答えも未来への道すじも、そこにないことは分かっている。今のわたしにとって、誰かのアウトプットは心の支えなのだ。
ふと、違和感に立ち止まる。
それだけで果たしていいのだろうか?
ただ読者でいるためにここへ来たんじゃない。
わたしは表現がしたくてnoteを選んだんだ。
文章が上手じゃないから。
構成やルールも知らないから。
確立したテーマだとか、突出した個性、プロフェッショナルな技能もない。
そうやって理由をつけて、また受け身になろうとしてる自分に気づく。
これまで読んだnoteがそうであったように、自分もアウトプットで誰かの力に!なんて大仰なことは考えていない。そんな心のゆとりもない。あくまで自分との対話であり、その記録によって気づきを得たり道すじを作るためのアウトプットだ。
もちろん、それが誰かのエネルギーや支えの一端にでもなれたなら嬉しい。でも、今の目的はそれではないはずだ。
紙のノートに書く習慣がまたできたことを書くだけのつもりが、書いては消し、言葉が生まれてまた書いてを繰り返すうちに、このような形になってしまった。これも自分なりの表現だと開き直って、体裁は気にしないでおく。
考えすぎて呑み込んでしまう癖は、noteの世界では持たずに歩いていこう。