今日はカウセの日 前回は私が動け無いので家族が行って状況を話してくれていたのだけども。 第一声が「しかし何時迄も楽な生き方しないねぇ出来ないのかな?」 楽な生き方って何なの?好きでてめぇみたいなヤブ医者にわざわざ会いに来るかよ?今日は噛み付く元気がちょっとあったみたい。 「その言い方だと私がこの鬱状態を好きで引き伸ばして生きてるみたいじゃないですか?」 あのヤブ医者は慌てて言い方を変えたが時既に遅し。 一度吐いた唾は飲み込めないとはよく言ったものだ。 取り敢えず
歳を取りだんだん母親に似てきたことに毎日震えている。 オシャレは大好きなのに私は鏡を見ていられ無い。 メイクの為に鏡を見てもパーツごとに集中して顔全体を見るのは最後の秒単位。 嫌なところばかり似ている。 本当にこの顔で今後も生きていかなければならないのかと思うと落胆しかない。 それに気付いたんだ。仮に似ている部分だけ整形してみたとて、まず大事なのはそもそもベースとなる輪郭で私はだらしなく長い顔をしている。歳をとって顔の皮も下がり初めて不細工が加速している。可愛かった
最近母親とLINEが繋がった。 嫌いとか話したく無いとか色々思うところがあっても一言も話さ無いではいられないこともある。 ショートメールを使いたがるが私が使っていないから見落としも多い。だから嫌がる母親にLINEの使い方を教えて貰うように身内に頼んだのだ。 たまたま庭に見たことの無い花が咲いていて、とても見事な色合いをしていたので画像を送り、これ何の花なの?とLINEしてみた。3日既読は付かず仕方なしに身内にLINEを見るように頼んでやっと既読がついた。 グラジオラス
基本的に誰に対しても最近特に一線を引いてしまう。自分が傷つきたく無いという理由かな?と少し考えてみたのだけどちょっと違うというか、私が話す事が相手にどう伝わるのか。あるいは話している相手にとって無駄な時間になってしまうのでは無いか。話題作りは苦手じゃなかったのに…クリスチャン時代から離れれば離れる程に接する人のことを考える様になった。 信用出来るまでは簡単にお腹はみせない。だけど嘘は絶対に吐かない。話さなくていい事は話さない。相手の事を知って、この人は大丈夫。と思うまではそ
今なら死ねる 死にたいなぁ でも目の前の可愛い動物達が路頭に迷うのは困る。でも一緒に連れていくのもちがう。 こういう生きることの未練が明日も私に呼吸をさせてる。
昨日はカウンセリングだった。 なんの実りもない無駄な時間に思える。 OD、リスカ話すのも面倒くさい。ずっとそうだけど全く人の話聞いて無いの分かるわけ。言葉だけはそれっぽい事言ってるけど何を話しててもそう返せば済むもんね。 「しかし何時までも生きづらい人だね」 生き辛いよそりゃ。セルフネグレクト出来る環境なら良かったかな。そうしたらお前の顔など二度と見にこないで済む。 カウンセリング中に自分のスマホテーブルに置いてんじゃねーよ。しかも通知をonにしとくとかバカなの?話
前記事を書いたあと涙がとまらなくて。 でもそれを見たネコが分かってるみたいに顔に自分の顔を寄せてきて涙を肉球で触るのね。 でリビングで飼っているシュナウザーもね、抱きしめようとしてくれるの。 動物って凄いよね。言葉なんて本当に要らないよ。 だけど頭おかしくなりすぎてクスリ沢山のんじゃって2日間ベッドから降りるのもきつかったのね。まず寝返りが打てない。胃洗浄したところで…って思っちゃって。結果生きてるし。 来年の誕生日生きていられるかな。 画像は買い物依存の結果。こ
今日は誕生日。 Twitterで風船が上がっても誰にも祝福される事も無い。 産まれた日は私にとって地獄の始まりと変わらないから祝福されても幸せには思えないけど。 そもそも誕生日を祝って貰って楽しい年齢なんてとうに超えてしまってるけど。 誕生した日の事を思うより早く棺桶に入ってしまいたいのが本音。勝手に人間のかたちに作られて、中途半端に物事を考える事が出来て、だけど心は真っ黒で。 日本こそ注射でここからサヨウナラできる制度を進めて欲しい。樹海で探す人力も税金も必要無く
私は過去の記憶 母親から向けられる恐ろしい眼差し とことん辱められた事など複合してそれらが頭の中に文字としてとめどなく落ちてくるイメージが消えなくなる事がある。毎日では無い。鬱の症状がよくない時、なのかな。 そうしたぐるぐると考えても仕方の無い事。考えたら苦しいことを忘れる脳にしよう、所謂脳トレみたいなものかな?そんなネット情報を読んでみた。 脳は単純で例えばそんな時に明るくて口ずさみやすい曲で頭を満たすといいらしい。 確かにそれは訓練だし、試練だ。 正直私もどんなタ
母から電話がきた。 何かとおもえば「お母さん帯状疱疹になったの!」 へぇ…で? 「あれって水疱瘡の菌が関係してるのね!」 あぁ…で? 「最初は何だかピリピリしたのね、でも発疹が出ないから帯状疱疹って言ってもらえなくて。数日したら発疹が出たのね!だからまた病院に行ったの。嫌よね〜痛いのって!すごく不愉快ね」 何故もこんなに私がこの件に苛つくかって数ヶ月前に私も帯状疱疹の症状が出たから母親に私は水疱瘡になった事があるのか尋ねたのだ。その時の反応が何を調べようともせず「
お母さんを断ち切らなければいつまでもアナタが傷付くだけ。 ごもっと。 頭では分かってる。 いつまでも子供時代を思うのは何一つ自分の意思がそこには反映されなかったからではないのか。私の毎日は母の手のひらの上。 温かい手のひらでは無い。時に心の芯まで冷たくさせて時に激痛を伴う火傷を負うほどに。そんな母のそばで怯えて過ごす毎日。 バカじゃないの?ブサイクだね?頭悪い!何その目?お前には今悪魔が入っているね?ウチにお前は必要無い!毎日毎日こんな調子で言われ続けたら心が麻痺し
家事はしてくれなくていいから、ただ私の話を受け止めてくれる偽物のお母さんが欲しい。 本物のお母さんには期待したら落胆するだけだって思う。それでも期待してしまうのが悔しい。 子供こそ無条件の愛を持っている。悔しいかな。親は十月十日自分のお腹に居たからって無条件で子供を愛せる人ばかりではない。だから虐待死も無くなる事は無いだろう。亡くなる子供達は最期まで両親に期待をしていただろう。恨んで恨んで死んでいった子は恐らく皆無なのではないか。 母の日の1日前に指定して私なりに考えた
新興宗教 カルト キリスト教 私は知らない。何年も何年もその渦中にいたのに。 人間は弱いから何かに縋りたくなる時もあるのだろうけれどそもそも私はまだ親に庇護されなければならない年齢で縋るとかそんな問題では無くて。5歳になった私の目の前にはエホバという神様よりも先に母親という恐ろしい「何か」がそびえ立つ様になった。 母親が「何か」に変化したきっかけにエホバの証人の訪問が絡んでいることは言うまでも無く。かと言ってその厳しさが何もエホバの証人だからとも言えないのが私は苦しい。