家族・結婚と身体性
身体性
私たちは一人一人が身体を有していて、それを前提として世界が動いている。その中でも、結婚と身体性にはとても密接な関係がある。
このことについて話を進めていく前に「身体性」という言葉について、その定義を確認しておく。様々な分野によってその意味は少し変わってくるのだが認知科学の分野においては「物理的な身体があることによって、環境との相互作用ができることにより、学習や知能の構築にもたらす効果や性質」とされる。つまり、「身体性」とは物理的な「身体」の有無を意味しているのではなく「認知主体と外部環境のあいだに立つ機構」のあり方を指す。結婚を通じてパートナーと家族関係を結ぶという行為は、自分という認知主体と他者だった人がより身近な存在になることであるので身体性とは切っても切り離せないのだ。
結婚に伴って物理的な身体を用いた接触は当然ある。これは結婚だけでなく恋人との場合でも同じことが言える。例えば、手を繋ぐという行為一つをとってみても身体的な動きが相手に対する認知を大きく動かす。こうした身体的なスキンシップが心や認知に大きな役割を果たしていることは疑う余地がないと言える。
このことに関して、秦基博さんの「アイ」という曲の歌詞の中にも書かれている箇所がある。それを紹介してみたいと思う。
https://youtu.be/9WoCR4B_qNo?si=jfOzxOkdeJBJ_42p
この曲のサビでは
「その手に触れて 心に触れて
ただの一秒が永遠よりながくなる 魔法みたい」
というフレーズが出てくる。これは先ほど確認したように「手に触れる」ことで「心に触れる」ことができ、1秒が永遠に感じられるという心の動き方を表している。この表現は身体での接触と心と心の触れ合いをうまく対比させながら心の動きを表しており、身体的な接触が相手に心に触れることにつながるというのは感覚的にも理解できる一般的なことなのかもしれない。
自分の話
前半では「身体性」と結婚・家族の関係について思ったことを書いてきましたが、後半では自分が結婚や家族に対して感じていることを書いていこうと思います。まず自分自身今は学生をやっているので、結婚がとても身近な感じはしません。しかし、自分が20代になってからはそれ以前に比べて結婚を意識する瞬間は増えたように思います。20代後半で結婚することはよくある事と思いますし、何より自分の直接の知り合いで結婚をしている方を見たのが原因のような気がします。また、学生時代からお付き合いをしている方と結婚したというケースも何回か聞いた事があるので、そんなにシビアには考えていませんが多少そういうことを考えたりもします。
それと、大学生になって始めた結婚式の聖歌隊のバイトの影響も大きいように思います。この仕事ではただ曲を歌うだけではなく、お式に参加されるご家族様、ご親族様、ご友人様方の案内もするのですが、その方々の幸せそうな雰囲気がスタッフである自分にも伝わってくるので出勤した後は結婚に対するモチベーションは高くなっているような気がします笑。
家族
家族と一言で言っても様々な関係があるように、家族という言葉以上のその実情は複雑で豊かさを持っていると考えています。例えば、兄弟姉妹がいるかということや父親と母親のパワーバランスがどの程度違うか、核家族なのかそうでないかなど色々な形の家族があるように思います。最近親ガチャや毒親という言葉が世間に認知され始めたように、幼少期や青年期に最も多くの時間を過ごす家族の存在は人格形成に大きな影響を与えます。これも大きくは「身体性」に関わってくるのですが、将来結婚を考えた時にこの原体験の存在は大きいと思います。自分が相手に対して何を求めるのか、どうやって相手とのコミュニケーションをとるのかという部分の根幹には自分が施されてきたものが基になるわけです。自分に与えられたものを相手にも与えたくなるのはどんな分野においても変わらないのです。
将来結婚するとなった際には家族と身体性についての思想を自分の心の中に落とし込み、余生を過ごすように心がけていきます。