『悪文-伝わる文章の作法』岩渕悦太郎【基礎教養部】
本記事はコミュニティの書評活動の一環として書かれたものになります。後日更新される書評も合わせて読んで頂けるとよりお楽しみいただけると思います。書評のリンクは以下になります。更新までしばしの間お待ちください。
書評の本に選んだきっかけ
コミュニティ活動の一環として、これまでいくつかの本の書評記事やnote記事の作成を行なってきて、文章をそこそこ書いたなという感覚が自分の中にありました。これまで書いてきた書評の本は、自分の個人的に興味のある本や自分のあまり触れてこなかった分野の本を選ぶようにしてきました。しかし、文章それ自体の良し悪しという観点で選ぶことはそこまで意識していませんでした。幸いなことに文章を書く機会をたくさん頂ける環境にいるので、良い文章とは何なのか、また悪文にならないためにどんなことに気をつければ良いのかという部分を知りたくなりました。今回『悪文ー伝わる文章の作法』を書評してみようと思ったキッカケは大きく分けて2つあります。自分が文章を書くときに気をつけるべき事を知ることと他人の文章を読むときの判断材料を増やすことの2つを持ちたいと思い、この本を選びました。
本書の内容
書評の方でも軽く触れたが、本書は多くの悪文を例にして悪文とは何なのか、またその条件は何かということを書いている。その内容は「構想と段落」や「文の切りつなぎ」、「修飾の仕方」など日本語のごく基礎的な使い方について説明されている。しかし、本書中に大量の悪文が掲載されていることからも分かるように、基本的な使い方であったとしても正確に日本語を用いることのできている人は意外と少ない。
ここで、悪文として紹介されているものをいくつか書いてみる。
「前半のような覇気の見られない戦いぶりを続けた」
この文章は「前半のような」という言葉が覇気のみにかかっているのか戦いぶりまでかかっているのかによって意味が異なってくる。よって、この書き方では前半に覇気があったのかどうかが分からない。
もう一つ悪文とされた文章を紹介してみる。
「驚く男の熱心さ徹底している宣伝ぶり」
これはどこで意味が切れるのかの捉え方によって意味が変わってくる。今回は「驚く、男の熱心さ」という区切り方が1番良いように思われるが、あくまで思われるのであって区切り方を最後まで決定することはできない。この問題は見出しなどによく見られるが、短くキャッチーなフレーズを作ろうとしていった結果、意味がよく分からないものになってしまうという例としても挙げられている。
これらの例からも分かるように、一読して意味が分かりにくいという文章は得てして悪文になりやすい。特に誤読をされてしまうような書き方をしてしまうと、文章は相手に正しく伝わらなくなってしまう。文章を書く際は自らの文章の読者を想定した上で、意味が一意に定まる誤読をされないような文章を意識しなければならないのだ。
興味深く感じたこと
文章は自らの目で追って読むという他に、耳で聞くことによって理解するという場合もある。視覚によって文章を捉える際には、よく分からなかった部分を再度じっくりと読み直すということができるが、文章を読み上げられているのを聞いている時に分からない・分かりにくい箇所があったとしても、原則として戻ってもう一度聞き直すということは難しい。下手なアナウンサーの例として、いつも文節や句の切れ目に、文の終わりで使うような下がるイントネーションを使うことが挙げられていた。言われてみれば、文章の意味が区切れるところでイントネーションが下がっていると文章のまとまりを理解しやすいということは理解できた。しかし、自分が話す際にこの事を実践できているかといったらあまり自信を持って頷くことはできないと感じてしまった。文章を書くということだけでなく、文章を読み上げるということにも文章の構造を意識しなければならないことを自覚できたのは新たな収穫となった。