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善良と傲慢 感想

育ってきた環境や関わってきた人々によって
無自覚に「当たり前」ができていく。

そして、絶対的な自分の価値観となって疑わない。
そこに、傲慢さが生まれるのだ。

男主人公である架も、婚約者であり女主人である
真実もそれぞれの傲慢さをいくつも秘めている。
そして、そのどれもが無自覚であった。

まず、架は友達付き合いにおいて男同士のような
カラッとした関係性しかしらない。
だから、女友達も真実もみんなで仲良くなれると
思い込んでいる。
だから、女同士のドロドロとした関係性があるとも考えず、婚約者である真実を女友達に何回も合わせてしまう。それによって真実が傷ついているとも知らず、SOSサインであった細かい違和感も見逃していた。
自分は順風満帆だと信じて疑わなかったからこそ、
疑問を抱くことなく傲慢になってしまったのだ。

一方の真実は、結婚相手に多くは求めないと思い込んでいた。しかし、狭い世界の価値観で周りと比べながら培われてきた自己愛の高さが、無自覚に高い理想を求めていた。
だから、傲慢な態度で他の男性を評価してしまう。そして、顔が良く、社交性もあり、外車に乗っている架しか選べなかった。彼こそが自分に釣り合っていると、無自覚に信じていたのだ。そのため、架に70点を付けられていたと知ると抱いたことのない怒りを覚える。
だが、敢えて単純な真実のスペックだけでいうと70という点数は妥当である。架が失礼なことに間違いはないが、真実が客観視できていないこともまた
事実だ。

現代の風潮として、「自分を大切にすること」が
とても重要視されている。
一方で、「他人を理解しようとすること」が
軽視されて、諦められていることも多い。

「他人を理解しようとする」とは、
「自分を疑うこと」だ。


価値観が合わないからと結婚を諦めるのは、果たして傲慢ではないといえるのか?
我にかえって背筋が伸びるような小説だった。

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