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真崎守プロジェクト

60年代後半から70年代を全力疾走したマンガ家の記録。
真崎守ご本人とご家族の協力の元、全資料を整理しています。 日本のアニメや、マンガの土台を作る時期に…
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2024年7月の記事一覧

資料整理日記④

真崎守著「わたしの手塚治虫体験」という書籍がある(写真①) これは、手塚治虫死去の翌年1990年に出版され、(一)と銘打たれていたが(売れ行きが芳しくなかったせいか)続刊が出なかった本である。 虫プロ社員として手塚治虫を間近に見、それ以前から手塚漫画のヘビーな読み手であった真崎守が、手塚作品に対する考察と自身の人生を語った貴重な内容で、この「第一巻」では真崎守の幼少期から中学卒業までが書かれている。   真崎守は「ことば」を駆使する漫画家であり、自分のことも度々語っているもの

〈もり・まさき〉のデビュー作に魅せられて

 こちらの記事にコメントを書いたら、橘川さんから何か書かないかとリクエストがあったので、1回だけ書かせていただくことにした。14歳の読者だった時代からの思い出話なので、〈もり・まさき〉時代については敬称略としたが、その点、ご容赦いただきたい) 〈もり・まさき〉との遭遇 私が〈もり・まさき〉という名前に出会ったのは、確か昭和39(1964)年、東京オリンピックのあった年のことだ。場所は私が生まれ育った静岡県富士市市内の家から近い焼きそば店(現在も食堂として存続)。焼きそばやお

資料整理日記③

地獄狼が主役の作品群のうち唯一単行本化されたのが「ながれ者の系譜・地獄狼篇」(写真①、1973年、青林堂) これはヤングコミック1972年1月12日号~3月22日号に掲載された全6話に、旧作を修正した2話が加えられている。 その加えられた2作のうち一つが、漫画パンチ1969年8月13日号に掲載された「愛は死の臭い」という作品で、「THE OUTLAW IN THIS JUNGLE~」と冠された、地獄狼番外編3作の一作目」(写真②)   それで、今回確認された原稿を見ると、写真

峠あかね批評集(1)COM 1967年 2月号

峠あかね批評集(1) 真崎守は、1963年に手塚治虫の虫プロに入社。アニメ番組の制作進行などを担当した。また虫プロで発行していた「COM」の漫画投稿コーナー「ぐら・こん」で、峠あかねの名前で新人マンガ家の作品レビューを行っていた。真崎守プロジェクトでは、峠あかね名義の批評集をまとめていくことにした。 COM 1967年 2月号    映画の世界が、コメカミにシワ寄せて、「もはや言葉を失った…」などと気どって、一九六六年を回顧しながら失望している時だから、創作活動という