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資料整理日記④
真崎守著「わたしの手塚治虫体験」という書籍がある(写真①)
これは、手塚治虫死去の翌年1990年に出版され、(一)と銘打たれていたが(売れ行きが芳しくなかったせいか)続刊が出なかった本である。
虫プロ社員として手塚治虫を間近に見、それ以前から手塚漫画のヘビーな読み手であった真崎守が、手塚作品に対する考察と自身の人生を語った貴重な内容で、この「第一巻」では真崎守の幼少期から中学卒業までが書かれている。
真崎守は「ことば」を駆使する漫画家であり、自分のことも度々語っているものの、これは出版を前提に語っているだけに重みがある(特に、貸本デビュー以前の具体的な記述としては、スペクテイターという雑誌の第27号(2013年)に載った赤田祐一氏によるインタビュー記事とこれぐらいしかないかもしれない)
そして今、目の前に、今まで日の目を見なかった(三)の原稿があるという奇跡(写真②)
これの出版が実現していたら、それはそれで(出版諸事情により)色々な部分がカットされていたかもしれないが、この原稿の時点では、(三)まるごと一冊が「虫プロダクション時代」となっていて、そしてその最後の章が「COM時代」で結ばれている。
真崎守がCOMに峠あかねの筆名で深く関わっていたことはよく知られているが、彼はCOM編集部員ではなく、あくまでも「あらゆる漫画に精通している虫プロ社員」として定期的に手伝う立場であった(COMの仕事として別枠でお金を貰っているわけではなかった)。峠あかねと言う筆名もCOMでしか通用せず著名人ではなかったから、便利屋的な微妙な立場であったとは言える。
そのCOM創刊号~第7号まで「まんがマニア必読ページ」という企画があり、初回のみ峠あかねの署名で「活動をはじめよう!」という「ぐら・こん」決起文的文章だったが、二回目以降は資料の集め方やスクラップの方法等、実用的な内容が無記名で書かれている(写真③④)
でもこれはおそらく、実態としては峠あかねが一人で書いているのだろうな、と思っていたらその通り、(三)の原稿(写真⑤)にまさにそう書かれていて納得。
とは言え、COM当該記事が無記名文章であるという事実は動かすことが出来ず、当時の編集部重鎮の方々の多くも世を去られた今、証言を集めることもままならないでしょうが。
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