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峠あかね批評集(1)COM 1967年 2月号

峠あかね批評集(1)

真崎守は、1963年に手塚治虫の虫プロに入社。アニメ番組の制作進行などを担当した。また虫プロで発行していた「COM」の漫画投稿コーナー「ぐら・こん」で、峠あかねの名前で新人マンガ家の作品レビューを行っていた。真崎守プロジェクトでは、峠あかね名義の批評集をまとめていくことにした。


COM 1967年 2月号


 

 映画の世界が、コメカミにシワ寄せて、「もはや言葉を失った…」などと気どって、一九六六年を回顧しながら失望している時だから、創作活動という同じようなジャンルの中にいる私としてはまんがはそうでもなかったよと、カッコヨクやることにしたよ。

 児童雑誌を中心とするまんがの世界は、ここ数年来ズーッと変わりつつあったが、更に変わりつつ進んでいると思えるね。

※ ※ ※

 大きな傾向としては、雑誌が、映画やテレビという他の媒体、特にテレビとのドッキング戦法に成功し、雑誌の売り上げはのび、テレビの視聴率はイイ線を確保しちゃった。雑誌の発行部数がのびたということは「産業」としての成長があったはずだし、テレビの視聴率が維持(あえて向上といわないところがミソ)できたのは、商業放送の中での、タイアップ番組の地位が固まったことであり、共にこの社会でオマンマにありついてる者や、これからありつこうとしてる者には、けっして悪い話じゃない。

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真崎守ご本人とご家族の協力の元、全資料を整理しています。 日本のアニメや、マンガの土台を作る時期に活躍し、コミケの前身とも言われるグラコンを主催した真崎守の全仕事をまとめていきます。

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60年代後半から70年代を全力疾走したマンガ家の記録。

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