大河ドラマ『光る君へ』初回を視聴。および平安女性名についてあれこれ思うこと
ついに平安時代摂関家最盛期がドラマ化されましたね。
平安時代、本当に長いです。桓武天皇から安徳天皇まで、およそ千年?
平家物語に取材した平安後期から鎌倉時代初期まではいくつか大河ドラマで扱われていましたし、道長の娘・彰子と息子の頼通が政権トップだったころ東北地方の歴史ドラマもあります。(『前九年』『後三年』の役から奥州平泉藤原氏の滅亡までを扱った『炎立つ』1993年7月から翌年の3月まで放送)
今回は戦乱とはほとんど無縁。藤原道長の時代。
ヒロイン・紫式部が源氏物語を生み出した一条帝の御代がメインになるのでしょう。いわば「これぞ平安貴族」の時代。
初回から見ごたえがありましたし、勉強にもなりました。
なんといっても、時代考証に倉本一宏先生の名前があることが喜ばしいです♪
ところで、平安時代の女性名で興味深いところがありました。
道長の姉・国母(天皇の生母)である東三条院・詮子ですが、ドラマでは詮子と書いて「あきこ」と読ませています。
いままでは「せんし」だったと思うのですが、「あきこ」は最新の研究結果なのでしょうか?
だとすると、道雅の娘「定子」も「ていし」ではなく「ていこ」に?
でも当然、定子と書いて「さだこ」とはならないでしょうね。
というのは、内裏では女性名に濁音が入ることを忌み嫌うからです。たとえば江戸時代初期に後水尾帝の中宮として入内した徳川秀忠の娘・和子(かずこ)は入内時に「まさこ」と改名しているほど。ちなみに和子中宮は女帝・明正天皇の生母。
今回は紫式部の呼び名を「まひろ」とされていました。
ずいぶん以前、何かのおりに、ある研究者先生が「香子と書いて『きょうこ』と呼ばれていたのでは?」とテレビでおっしゃっていたと記憶しています。その「きょうこ」説の根拠は明らかではありませんが……。
道長の正妻「倫子」もまた、なじみ深い「りんし」ではなく「ともこ」となるのでしょうか?
それはそれで「現代的でいいんじゃない?」と楽しいかぎりですが、気になる女性が一人。
藤原道長の側室「源明子」です。
安和の変で失脚した源高明の娘で、別名「高松殿」
こちらはいくつかの書籍で明子と表記して「あきらけいこ」とか「めいし」とか読ませていたような記憶が……。
今回は「詮子」が「あきこ」なので「源明子」も「あきこ」だと重複するので、区別しやすく「めいこ」となるのでしょうか?
ドラマのホームページなどをあらかじめチェックしておけばいいのでしょうが、ちょっと意外性を楽しむために「このまま疑問をとっておこうか?」などと愚考しております。
ところで、「平安女子の名前って割とテキトーなの?」とつっこみを入れたくなるのはわたしだけでしょうか?
旅行随筆家の「菅原孝標の娘」とか歌人の「藤原道綱の母」。あるいは役職名と実家の「清原家」をくっつけた「清少納言」もあれば、執筆したベストセラー本のヒロインの名前にちなんだ「紫式部」とか……。
皇族に生まれるか、皇后になるか、または帝をそそのかす悪女?(藤原薬子)でもないかぎり、なかなか名前が文献に残らないようです。
『世界に名前などない……迷子にならないように世界に名前を当てはめるのは我々人間で、名前が我々を救うことなどあり得ない』
といった文章があるのはアメリカの作家・コーマック・マッカーシー氏の『越境』です。上記は引用ではなく、概略なので、ご興味があればご一読ください。m(__)m
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……名前について考えていたら、ふと思考が飛躍してしまいました。
要するに、名前が残らないからといって歴史的な男尊女卑をここで論じる必要はありません。
彼女たちの人生が否定されるわけではありませんから。
その時代、確かに彼女たちが生きたという事実だけは揺るぎない真実なのですから。