僕がラジオ局を脱サラしてからVRのバンジージャンプをはじめるまで
新卒でFMラジオ業界に入り、約12年勤めた後に独立して
『VRのバンジージャンプ』をつくっている野々村哲弥と申します。
「え?なんでそんな活動してんの?」と思ってくれた方は
下記も是非ご参照ください。
【自己紹介】初めまして、独立してVRバンジージャンプを作っている野々村です。
この記事では、略歴というか、
生い立ちからどんな仕事を経てバンジーに辿り着いたのかということを書いてみたいと思います。
学生時代の夢は広告プランナー
1984年生まれ、兵庫県川西市で育ちました。次男です。
体を動かすこと・お笑い・ゲーム・漫画が好きでした。
割と真面目で、高校まで地元の公立の学校に通い、京都の同志社大学へ進学しました。
小さい頃から人を笑わせるアイデアを考えることが好きだったので
高校1年くらいまで、夢は芸人でした。
その後、高2くらいの頃、様々なCMに触れる中で「広告ってスゴい」と思うようになりました。
なぜなら、自分の心に届いたCMを振り返った時に、
ただ単にウケを狙っただけの内容だと思いがちだったのですが
それらはちゃんと「企業活動の目的の元につくられている」ということに気づいたからです。
「この仕組みを理解したいぜ」
「自分も人の心を動かすアイデアを考えることを仕事にしたいぜ」
そんな浅はかな思いから広告プランナーを目指した学生時代でした。
大学時代に目覚めたこと
サークルでイベントづくり等に携わって「企画して形にすることの楽しさ」に目覚めました。
京都という街はこういった学生や市民による表現活動が盛んな街です。
企業の資本力でつくられるものより個々人から生まれ出てくるものが好きになり、これはアートへの興味にも繋がりました。
ちなみに高校時代までは行動範囲が狭く、海水浴すらしたことがありませんでした。
その反動で、大学時代は色々な『体験』を求めて、
全国一人旅、スカイダイビング、スキューバダイビング、バンジージャンプ、等にもトライ。
物質的な豊かさや金銭的な豊かさよりも、
人生の中で心に残る「体験の豊かさ」を求める価値観がこの頃に形づくられました。
就職〜FMラジオ業界で約12年
(写真は、30周年企画の番組でご一緒させて頂いたJUN SKY WALKER(S)さんと社内外のお世話になった方々。野々村は手前の真ん中です。)
株式会社ジャパンエフエムネットワーク(JFN)という会社に就職しました。
FM東京(TOKYO FM)やFM大阪など全国38局のネットワークの中で
番組制作や広告営業など様々な事業をやっている会社です。
志望動機は、広告やイベントの営業を学びたいと思ったからということと、何よりラジオが好きだったから。
結果的に、12年間の中で広告の営業・ラジオの制作・新規事業(中国ビジネス)など経験させて頂きました。
勤めた12年間は、初めは割とスゴいポンコツで、ジョブローテで環境が変わる度に壁にぶち当たっていました。
ハマるとすんなり行くけど、無知だし不器用だしムラがある、
ストリートファイター2で言うところのブランカみたいな感じのダメキャラでした。
12年間の後半には、経験も積み重ね、色々な方のお陰で社内外からかなり様々な仕事を任せてもらえるようになりました。
企画営業という職種はコミュニケーションの仕方が既に商品だったりするのですが、
自分なりのコミュニケーションや仕事の進め方で結果を出せるようにもなっていました。
そこで、会社を辞めてバンジー!
大学時代に初めて体験したバンジージャンプというアトラクションは、様々なアトラクションの中でも群を抜いて心に残っていました。
別記事でも詳しく書こうと思いますが、
いざジャンプ台に立つまでは分からない、想像を超えた恐怖に心の底から驚いたからです。
「落ちたら死んでしまう高い場所にいる」というだけでなく、
「そこから自らの意志でジャンプしなければならない」という
このパラドックスがポイントです。
「現実なのに現実だと信じられない」
「自分を信じるとかではなく、運命を信じるしかない」
そういった、これまでの常識を覆すような感覚を、
ものの10分ほどで体験することのできる「バンジージャンプ」は
スゴいアトラクションだなと思っていたということです。
加えて、会社員になってビジネスを学ぶ中で、
ビジネス的にもバンジージャンプは面白いと注目していました。
今でこそ、橋やダムなど大自然でのバンジージャンプ場は
全国に8箇所ありますが、当時は群馬を中心に2〜3箇所のみ。
シーズンピークには予約が取れないほど人が詰め掛け、
10分ごとに10,000円以上の体験料金を稼ぐことのできるビジネスは、
地域の観光誘致にも役立てられるし儲かりそうだという確信がありました。
最終的に、応援してくれる方が現れたので、
「バンジージャンプで何かをやる」ということだけ決めて
2018年9月に独立。
バンジージャンプ大国のニュージーランドから世界一安全なバンジージャンプの運営マニュアルを取り寄せたりもして
はじめはリアルのバンジージャンプ場や移動式のリアルバンジーをつくりたいと動いていましたが、
結果的にVRに辿り着き、オリジナルの「VRバンジージャンプ装置」を発明し、今に至るという流れです。
次の記事では、この『どこでもバンジーVR』が作られるまで、
そして新型コロナの蔓延を挟んでの現在やこれからについてご紹介できればと思います。