日本人はどこから来たか
ほい駕籠を待ちこぞり居る人なかに
おのづからわれも待ちごゝろなる
折口 信夫
浪速区鴎町公園 文学碑
正月がすむとすぐ十日戎である
今宮の戎前から難波の入堀(いりぼり)川に面
したお藏跡(くらあと)まで十丁あまりの間に
ずつと子寶(こだから)店その外の店が出て
揉み返すやうな人ごみである 其
中を壓され壓されて來る色町のほい
駕籠を見に出た記憶が消えない
折口 信夫全集より
折口信夫は
万葉集にある常世(常夜、根の国)を
南方のニライカナイと覚り、
琉球を日本神話の源流、
日本人の源流、祖先と位置付けた。
海彼から来訪する神はまれびと。
魂の還る処
日本人とはなにか、どこから来たか
柳田國男は宝貝の分布に着眼 。
琉球列島、南西諸島、その先へと
海上の道を探った
21歳の柳田國男が伊良湖崎に静養していた時
海岸に椰子の実が流れてくることがあった。
海流に乗り、暴風の翌朝などに
南の海の島から藻玉に混じり、流れ着く。
東京に戻り
近所に住む島崎藤村にその話をしたところ
「君、その話を僕に呉れ給え 誰にも云わずに呉れ給え」
そして詩「椰子の実」が生まれた。
島崎藤村 「椰子の実」
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
ふるさとの岸を はなれて
汝(なれ)はそも 波にいく月(つき)
もとの樹(き)は
生(お)いやしげれる
枝はなお 影(かげ)をやなせる
われもまた なぎさをまくら
ひとり身の 浮寝(うきね)の旅ぞ
よって、私はなにものか
私はどこから来たか
四国がルーツの私は
きっと南アジアの島々を
たどっては留まり、また流れ出て、
琉球諸島、さらに黒潮に乗って
日本という国にたどりついたのかにゃあ
私のルーツは阿波橘
太古の祖先が 「海上の道」を 北上してたどり着いた。
その頃 琉球諸島は人類の坩堝(るつぼ)。
民族のスクランブル交差点で
出会いがしらに恋に落ちて
手をつないで、ふたりして 北上を続けた。
宝貝と鰹節と 椰子の実をひとつ携えて