システム手帳は瞑想である?
サイズから運用方法、それに伴ったリフィルの選択・中身の構成などなど……
「この子はこうやって使わせていただきます!」
こんな宣言の多くは実現しないのです。
逆に、
「最初に宣言したコンセプトからどれだけ外れた所に到達できるか?」
そんなことを考えています。
ブレるほど面白いと言えるようになってきた感覚。
(※これは個人的な話です)
ブレるほど整ってくる(?)
そもそもシステム手帳は趣味なわけで……なのにやったらタスクを自分で生み出してしまう。
だから、コンセプト・宣言・計画などある種の「期待」は重く捉えないことにしています。
(じゃあ無計画にやりゃいいじゃん)
いいえ、それじゃダメなんですよ。
というか「期待」が全くない時は書けないのです。
「期待」から外れた運用方法が発展していくときや、はじめに立てた手帳計画からズレていくときには……どこか気分がいいんですよ。
気分がいいときの「整う」感覚は計画通りに行った瞬間には生まれなくて、
どちらかというとズレていった際の予想外な情報が見つかったときに生まれるのです。
たぶんこれ「瞑想」をやってると分かるかも。(つっても私もちょっとやってるだけ)
こんなイメージなんですが、
システム手帳でいい気分になる(整う)ためには「集中状態」の手前である、
「ブレているなぁ自分は」
という発見が必要なのではないでしょうか。
そもそもこのnote自体アドリブで書いてるのでブレまくってます。いつか整ってくれ。