【CEOブログ】先人の土台を飛び出し、自分の土台も壊していく|ロクディムのチャレンジから
ロクディムの単独公演「NooooooW!」に行ってきました。
またロクディムかと思ったあなた。
そうです。またロクディムです。
基本的にオタク気質なのよ。ごめんて。
ーーーーーー
駅を降りる。腹ごしらえをする。劇場に向かう。
ワクワク。
劇場に入る。
ドキドキ。ワクワク。
めっちゃ緊張してる私。目を合わせられない。それでも合わせてくれたけどドギマギしちゃった。基本的にオタク気質なの(言い訳)。
実は初めてのロクディム公演。めっちゃワクワクしながら6人を眺める。
・・・。
ストレッチしてる。
あんまりしっかり前説とかしないんだね〜。でも落ち着いてて大人の余裕って感じでいいね〜、と思う。(基本的に全肯定なの。オタクだから。)
と言いつつ、挟んである紙にもらったお題の答えを書いて渡したり、トイレここだよ〜のアナウンスを貰ったりしてあっという間に時間が過ぎる。
オンタイムで正式な前説が始まった。徐々にオープンになっていく6人。キリっとしてる。
そして
円陣→
オープニング音楽にあおる照明→
スタージを駆け回るロクディム→
中央でピタッと止まる、
そして一斉に叫ぶ
「どうも〜ロクディムで〜〜〜す」
歓喜
すご過ぎる。
圧倒的エネルギー。会場全部を虜にする吸引力。
わかるかな。
声の大きさとか、見目の良さとかそんなんじゃなくて、本人たちが発している輝き。ピカーーーって辺りを照らして、お客さんの胸にダイレクトに伝えてくる。オーラと呼ばれるそれ。
この動画の嵐のみなさまが出してるそれ。
みてるとわかんないけどワクワクしてくるじゃん。説明できない何かに引っ張られて見入っちゃうじゃん。
それが劇場を包み込んだ。
歓喜よ。ほんと。久々に体験した感覚。
これは私がオタクだからじゃないと思うんだ。絶対。
圧倒的期待感で、このショーが始まった。
最初はお客さんが書いてくれた紙からヒントを得てスタート。ドライブしたり、歌を歌ったり、ショートのシーンを見せてくれる。
でもね。でもよ。
そんな様子を見ていてなんだか、ざわざわしてきたんだ。
あれ???様子がおかしい。
あれ????うまく行ってない???
待て待て、そんなはずはない。
天下のロクディムだ。(この思考はよくない)
いや、でもおかしい。す〜〜っといかない。
外を走る自転車に煽られ競争する話かと思いきや、助手席と揉め出すし、挟まれたドライバーが「もーーーうるさーい」とか言って落としにかかるかと思いきやそんなことなく、なんか妙にずっと揉めてる。結局起承転結的なわかりやすさはなく、あたふたしたドライバーが終始面白かった。
神様が出てくるシーンも、すぐに「もしかして、神様?」と決めちゃえばいいのに、なんか妙に「え、なに?」「誰ですか?なんですか?」って言ってるし、女の設定でやってけど男って言われたら、そのまま男の設定に変えちゃえばいいのに「女だったの〜」と怒り出す。
母と子でひどいお父さんの話をしていたところに、普通のお父さんで入ってくる。「食べたいさん」という妖精が出てきた次に「痩せたいさん」じゃなくて「食べさせたいさん」なるもので入ってくる。恋に恋するキャラクターの家に幼馴染がやってきたのに、「あなたとは合わないわ」とか言っちゃう。
とにかく、とにかくずれまくる。その都度正当化はしていくんだけど、都合よく捻じ曲げはしない。そのキャラクターとか設定で進み続ける。いわゆる入ってきてほしいキャラクターでは入ってこない。おそらく入りたいキャラクターで来て、それでなんとかシーンを作る。
最初はすごくざわざわした。
なんならちょっとイラッとした瞬間もある。笑
でも途中で考えてみた。
私はなぜイラッとするのか。なぜ早く決めることがいいことだと思っているのか。なぜ相手を否定しないことをよしとしているのか。即興とはなんなのか。ロクディムは何にチャレンジしているのか。
インプロの流派や出自は様々あれど、よく話題に上がるキース・ジョンストンは0から即興演劇を発明して、『Impro for Storytellers』なる名著を出し、マエストロやらシアスポというフォーマットを作りあげた。
その上に乗りながら、10代から即興をし続けているロクディム。
そんな彼らが、キースが数十年で到達したところから先に進まないわけがなかろうよ。
そもそも、当たり前に彼らはキースという土台をとうの昔に飛び立って、(そもそもスタートがキースでもないのか?歴浅めのオタク)ロクディムという道を、土台を作り上げていると思う。お客さんからの言葉を使って組み込み、音楽も照明も使いながら、最初に出てきたものをどんどん融合させて完結させていく。
そのロクディムという土台すら、壊しにかかっているんだわ。多分。
そのチャレンジを、受け取りたい。見届けたい。そう思いながら、後半を楽しんだ。
それでもロクディムはロクディムだった。
それぞれがずれまくりながら、最初にお客さんからもらったワードを、最後までふんだんに使って、ショートシーンで歌った歌でロングのシーンが終わった。
終演。
終わった時の感想は「疲れた」
見てるこっちは全く省エネができなかった。毎秒毎分想定外がやってくる。出てきたキャラクターが何を考えて何を言うのか、受け取って理解するのにパワーがかかる。
なんで?どうゆうこと?なんでそうなる????
ってずっと思ってる。そのずれのおかしさに笑えてくる。キャラクターにどんどん感情移入していく。
YouTubeで見る時に出てくる。「すごい」「うまい」という感想は、出てこなかった。
▼それでもすごいショー動画は紹介したい
後日談。
数日経って考えたことがある。
心理学ってあるじゃん?
あれって結局は起きた事象に対して分析するという統計学なんですね。
教師が期待を持って接した結果、生徒の成績が何%上がったとか、3年以内に離婚した夫婦のうち、何%が両親と不仲だったとか。
起きた現象を分析して、人間はこうだと仮定していく作業。
ここで起こる問題の一つに、欧米での実験結果が東洋人に、ひいては日本人に当てはまるのかということを言ってる人がいるのです。
欧米の、陽気なDNAを持ち、家が広くて休日はBBQをする、街には人種差別が横行しているような文化の人たちで出た結果を、「人間はこうである」と定義していいんか。本当に日本でも同じ結果になるのか。みたいな論。
私は、その通りだな〜と思うんです。
そもそも日本人は心配性DNAが多めだし、島国だし。そんな日本では、多分心理学の結果も多少変わってくるだろうな〜と思う。
で、インプロの、少なくともキースの「Impro for Storytellers」も心理学みたいな形で作られているなと思った。
プレイヤーに不安があると、こんな事象が起こる。こんな事象が起こるとシーンがうまくいかない。ディレクターがこう振る舞うと、プレイヤーが自由になれる、みたいな。
だからこの事象が、日本人がやる即興と完璧にフィットしているとは言えないのではなかろうか。抜けてる部分があるのではないか。逆にそんなに起きない事象もあるのではなかろうか。
シェイクスピアが西洋で上演されていた時、日本では歌舞伎や能が親しまれていた。西洋では写実的で遠近法を使った絵画が主流だった中で、日本は平面的で俯瞰的な絵が描かれていた。
こんな昔のことをという気もしつつ、基盤となる文化が違う中で、違うものが生まれてくるのが当然な気がする。
キースという偉大な発明家の恩恵を受けつつ、目の前の事象をフィルターなくありのまま捉えていくことがとても重要な気がする。少なくとも意識すれば取り外しできるようになっていたい。
そして、今新しい即興を生み出そうとしているロクディムの姿を、目に焼き付けていきたいなと思う。
今回の公演は、特典映像を含むオンデマンド配信を予定しているらしい!
こんだけ文字数書いて、全然的を外した感想を持っている可能性を抱きつつ(笑)ロクディムが何にチャレンジしているのか、ぜひ本人達の口から聞いてみたいなと、楽しみに待っています。
皆様もぜひ!
私は本人達から直接サインをもらった。(認知は欲しいタイプのオタク)
めちゃ緊張してめちゃ楽しかった。
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