ライティングの師匠、A氏
新着メールの件名に「Aです」が目に入った。6年ぶりに見る名前だ。
9年前、わたしはある制作会社で企業広報誌を作っていた。英語翻訳版では編集を担当し、オリジナル版である日本語版では、記事を書くライターとして入っていた。
このときの日本語版ディレクターがA氏だった。
まずは担当の記事を書いて、デスクに持っていった。いつも忙しそうな人で、「あ、そこに置いておいてください」という。そのとおりにして帰った。
翌朝、余白がコメントで埋め尽くされた原稿が自席に置いてあった。
●テーマが明確でない
●ロジックがとおっていない
●クライアントの意向に沿っていない
●このトピックなのだからこの話をメインに書くべきでは?
●もっと掘って書けるはず
●この要因からこの結論に飛ぶのは無理がある
原稿に朱を入れてもらうのは20年ぶりだった。ひとつひとつ検討してみたら、まったくそのとおり。A氏が文章力No.1だとは社内の評判で聞いてはいたが、さすが敏腕デスクである。
翌日、原稿を書きなおして持っていった。やはり「あ、そこに置いておいてください」。
その次の朝、机の上には、跡形もなくリライトされた原稿が乗っていた。
悔しいという気持ちすら湧いてこなかった。これがほんとうのプロの原稿なんだ……。
毎号毎号、これが繰り返された。
半年後、異動があって別のディレクターB氏がチームの長になった。B氏はテキストにはあまりチェックを入れなかったので、原稿を直されることもなくなったが、1年後にB氏が入院することとなり、再度A氏がチームを率いることとなった。
とうぜん、緊張して記事を書く。ここで、1年前よりも多少なりともましになっていると褒められれば、ストーリーとして完璧だ。
だが現実は甘くはない。何度書いてもOKが出ない。タイムリミットになるとA氏が書き直すのは1年前とまったく同じだった。
それからしばらくして、当該誌が休刊することになった。同時に、プロジェクトの契約社員であったわたしの契約も解かれ、ここを離れることになった。
そのA氏から6年ぶりにメールが来た。内容は単に、同社でチームを組んでいたデザイナーが退職したというものだった。「お知らせ」メールだから、返信もあっさり書けばよい。だが、近況報告を入れた。
「先月、ライターとして書いた初めての本が出ました」。わたしの「書く」ことに対する情熱を知っていた人なので、どうしても伝えたかった。
返事はすぐに来た。「おめでとうございます。どこかで一杯やりましょう」。
けれどもA氏はその直後に退社して独立し、ますます忙しくなった。そして3年前からはコロナ禍になってしまった。というわけで、その「どこかで一杯」はいまだ実現していない。
社交辞令を書く人ではないので、心からそう思ってくれたのだろうが、なかなかスケジュールが合わず、そのままになってしまっている。
さて、6年前に時計を巻き戻そう。プロジェクトが終わってわたしが当該制作会社を去るとき、A氏は「餞別に」とmottaのハンカチをくれた。
紫色のリネンハンカチは、いまでも大事に使っている。ちょっと気合を入れたい場にはかならず、このハンカチにアイロンをかけて持っていく。中川政七商店が扱っている、品格ある、それでいて親しみやすい雰囲気をもったハンカチだ。
A氏との飲み会は、何年経っても必ず実現すると信じている。そのときはこのハンカチを持っていくのはもちろん、初めて書いた本、そして最近書いた本を携えていこう。そして、あちこち朱字を入れてもらわなくては。
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