わたしの仕事 #2 翻訳書(英日)校閲
※トップ画像はクレジットの載っている本のみです。実際には3年間で数十冊の実績があります(お問い合わせください)。
翻訳書校閲とはこんな仕事
校閲の定義
校閲とは、「原稿(校正刷り)の内容や表記の誤りを指摘し、正すこと」と定義できると思います。
翻訳書校閲に特有の要素
原著との突き合わせ、すなわち翻訳チェックが入る点です。わたしは複数の翻訳会社において、実務(産業)翻訳主体ではありますが、20年ほど翻訳チェッカーを務めてまいりました。
訳文に手を入れすぎずに(あるいはまったく手を入れずに)ミスだけを拾ってコメントしたり、代替案を提示するのは最も得意とするところです。
(翻訳ではない)小説の校閲と同じところ・違うところ
翻訳ではない小説の校閲も請け負っています。その場合、「整合性」を見るのが校閲者の大事な仕事のひとつです。右利きだったはずの主人公が左肩で銃を構えていたり、さっきまでいた場所から移動していないはずなのに、いつの間にか違う場所にいたり。そうしたところにコメントしていきます。
しかし翻訳書の場合、原著はすでに発行されていることが多いものです。つまり原文はすでに編集・校閲が入っている文章であるため、不整合が残っていることはかなり少ないものです(ゼロではありませんが……)。そのため、そういうコメントは少ないと言えます。
翻訳書の校閲で見なければならないポイントは3つあります。
1つ目は、「原文どおりに訳されているかどうか」という翻訳チェック。誤訳と訳抜けをチェックします。
2つ目は変換ミスや助詞抜けといったケアレスミスを指摘します。これはどんな本の校閲にも共通する項目です。
3つ目は、翻訳書特有の、どうしても残ってしまう日本語の不自然さを拾って指摘するという点です。
翻訳者は、ターゲット言語(たとえば英語)の勉強に膨大な時間を費やしています。本業の作家に比べれば、日本語ライティングに脳と時間のリソースを割いてきていない(割けない)のがふつうです。
したがって、「翻訳書を読んでいると読者に感じさせない」くらいのレベルで日本語が書ける翻訳者というのは、かなり限られます。
わたしはこれを残念なことだとは思っていません。
英文をミスなく読解して日本語の訳文をつくるには、とても高度なスキルを必要とします。それ以上、つまり「日本語そのもの」と思えるほど自然とは言えない箇所が、まったく訳文に残っていない。そこまでのレベルにまで到達するのは、才能、経験、正しい努力のすべてが揃わなければ難しいと思います。
多少、不自然な箇所が残っているのは当然です。それを編集者が指摘して、翻訳者に戻してリライトしてもらうのが、ふつうのプロセスだと思います。
けれども、「どうしてもここだけは直してほしい」という箇所は、校閲者からもコメントする。それを見て「いや、このままでいいでしょ」とそのままにするか、翻訳者に戻すかどうかは、編集者の判断に委ねる。とくに指示がなければ、そのようにわたしは作業を進めています。
ときには原文ミスが見つかります。原著を置いておいて、翻訳書だけ正しく直すのはできないことも多いでしょうが、念のため疑問は上げておきます。
出版翻訳の世界
翻訳書に特有の事情として、「下訳者」が入っている場合がある、ということが挙げられます。それも一人ではなく、複数の下訳者が関与している場合もあります。
原著は一人の著者が書いています。けれども、このシステムでは翻訳は複数人が分担します。とうぜん、人名等の固有名詞、語尾、表現等が整合していない箇所が出てきます。
そうした箇所を含め、上訳者(表紙に名前の載る翻訳者)は全体をリライトし、統一して原稿にします。DTPのプロセスを通り、校正刷りになったものがわたしたち校閲者に届きます。
けれども、この段階で不整合が残っていたり、直しきれていない誤訳、訳抜けが残っていることもあります。それを落とさずに拾うのが、わたしたち翻訳校閲者の仕事です。
読者に「きれいな」テキストを届けるための最後のプロセスを担当していると思って、日々「疑問出し」をしているのです。
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なお、トップ画像はクレジットの載っている本のみです。実際には2年間で十数冊の実績があります(お問い合わせください)。