『完全無――超越タナトフォビア』第十六章
そういえば、古代インドの思想で「梵我一如」ということばもありますよね。
ウィッシュボーン、ヒンドゥー教も少々勉強しましたが、宇宙原理と個人(つまり自己)原理は等しく、究極的にはそれらは同じものである、という考え方でしょうか。
おっと、ウィッシュボーンの犬スマホで今ちょっと調べてみましょう。
あ、きつねさんたち、もう少しだけ我慢しいてくださいね。ご退屈かとは存じますが……。
ええ、ウェブの辞書で調べましたところ……、
『インドの哲学書ウパニシャッドに代表されるバラモンの根本思想で、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個人の本体であるアートマン(我)とは同一であるというもの。』
と書いてありました。
これってかなりきつねさんの「理」に近いのではないでしょうか。
ですが、きつねさんならこうおっしゃるでしょう。
宇宙と個人をなにか大きいものと小さいもの、いや全体と個のどちらが大きいか小さいかに関わらず、なにかとなにかを対比したうえで、それらを合一するという論理展開は必要ない、遠回りだ、と。
きつねさんとしては、遠大なるものと狭小なもの、マクロなものとミクロなものという差別観がないものですから、宇宙を大きいものとして捉えること自体、合点のいかぬことなのではないでしょうか。
はは!
まあこの部分はウィッシュボーンの勝手気ままな臆見、つまりドクサ! が入り混じってしまっていますが、きつねさんならそうおっしゃっていたとしてもおかしくはないかなということで、お許しください。
(ここでふいに、きつねくんがひとつのちっちゃい咳払いをして、ウィッシュ、ちょっとだけ前置きのようなものを話させてほしい、と耳打ちして、チビとしろに目配する。)
はい、もちろんお聞きいたします、熱望します、きつねさんの言葉を!
(と、ウィッシュボーンがドリンクをひとくち、おそらくはストローひと吸い分だけ飲んで、すかさず背筋を伸ばしました。)